鬱病のふりをしていたら本当にうつになった。死にたいという言葉の距離。乱雑な雑記
死にたいという酷くありふれた言葉は、自分にとって、安心の言葉だった。そういえば全てがどうでも良くなり、霧のように漂う失望感と不足感を拭える言葉だった。だから深く考えずにただ漠然と、なんとなくそう思っていた。しかし最近それが、概念としてではなく実体としてひしひしと身体を蝕むようになってきた。1日中何をしても集中できず、何か考えようとすると焦燥と絶望が混ざったノイズが頭を覆い、自分は何もできないのではないかという恐怖と、それによる将来の不安で耐えられなくなる。吐きそうな不快感と、恐怖に近い悲しさで惨めにも泣いてしまう。
そんな時に死にたいという言葉が、以前のような軽薄な意味ではなく実際的な解決策として頭に浮かぶ。
正直に言って、これまで私は不安を感じることによって、ある種の安心さを感じていた。不安であるということを認識し、それによって自分が確かに存在していると確認し、アイデンティティを刺激していた。また死にたいという事によって、どうしようもない現状を肯定しようともしていた。
確かに漠然とした不安はあったし希死念慮的なものもあったけれど、それは自然に産まれてくるものじゃなくて、意図的に作り出したものだった。つまり、ある程度コントロールが効くものだった。
けれどこの頃のは、1日中頭の中に響き渡っていて、止められない。映画を見ているときも、本を読んでいるときもずっと鳴り響いている。普通の小説が精神現象学みたいになる。そのせいで集中できず、集中できないから暗いことばかりを考えてしまい、また集中できないという最悪な循環ができる。よくわからないのに、突然すごく悲しくなったり、怖くなったり、沸騰したヤカンみたいに焦燥感が溢れてきたり、そんなことが毎日起こる。でもそれを憐憫することも許されない。
というのも、実はこの現実は、どうしようもなくは無いのだ。見えにくいだけで、解決策はあるし、やるべき事もある。それに気づいてから更に辛くなった。
解決策は目の前にあるのに、それに向き合えない自分が明らかになり、これまで悩んでいたことが低級な現実逃避でしかない事を知ってしまう。絶望を奪われて、どうしようも無いとすら言えない。なのに、現実には向き合えない。やるべき事をやれない。
多くの人間が当たり前にやっていることもできない。例えば食事を取って、風呂に入り、歯を磨き、決まった時間に寝るといったような事。食べ物は全て同じような不味さだから食事は不愉快だし、風呂には入るまで2日かかるし、夜には寝れないし。
不思議でたまらない。なんでみんなこんな複雑で困難なことをいとも簡単にこなしてしまうのだろう。凄いと思うと同時に、こんな事すら出来ない自分が嫌になる。
こうやって自己憐憫しているのも嫌だ。現実と向き合うしかないのに、出来ない。振り返ってみたら小学生の頃からそうだ。夏休みの宿題を出せたことは殆ど無いし、提出物と名のつくものは半分も出せなかった。遺伝学の本を読むと、IQ、学歴、精神病や発達障害、収入、身長、体重、他多くの指標の殆どは幼少期の環境と遺伝子で決まってしまうと書いてある。もし完全に決まってしまうなら楽なのにと思う。でも実際には努力というものがあり、そのせいで可能性は依然潰えていない。だから言い訳にはならない。頑張らなくてはいけない。
最近唯一良かったことは、孤独が気にならなくなった事。端的に言えばどうでもよくなった。考えてみれば友達がいようと家族がいようと結局は他人だし、自分は周りに誰がいてもどうせ孤独感を感じるのだ。つまりこれこそは本当にどうしょうもない宿命なのだから、考えても無駄だし、そもそも孤独以前に他のより大きな感情があるから気にもならない。
書いていると嫌になってきた。なんで深夜4時にこんなばかみたいな事をしているのだろう。いろいろと言葉を並べてみたけど、結局は愛されたいってそれだけ。誰か素敵な人に大丈夫だよって言われたいだけ。そうなの?それで解決するの?よくわからない。何がしたいのかわからない。不愉快だ。全てから逃げてクラゲみたいにふわふわと浮いていたい。そりゃクラゲだって苦労はあるんだろうけどさ。
そもそもこれを書いたとて誰も読まないし、読む人がいるならその人にむしろ迷惑だ。何が鬱だ。死ね!精神の不調などという意味のわからない病気も馬鹿らしい。生きるために生まれたのになんで死のうとするんだ。鬱と言っているやつは全員クソ。くそだ。死にたいなら死ねばいい。死ねないなら何も言うな。薬増やさない医者もクソ。言葉にすると自分の思考の陳腐さが明らかになるからすごく嫌だ。あぁどうでもよくなってきた。全部どうでもいい。面倒だ。
構成も何も考えず、推敲も一切ないただ書き殴っているだけのこんな駄文が誰かに読まれることを考えると、その人の不幸を案じるけど、やっぱりそれもどうでもいいので、これは公開することにする。