自分の価値観は正義か

先日僕は「東海村JCO臨界事故」についての記事を書いた。書いたとは言え、どちらかと言うと自分についての過去の話がメインであって、NHKドキュメンタリー「被曝治療83日間の記録〜東海村臨界事故〜」についてもっと語りたかったのである。
当ドキュメンタリーはYouTubeで今でも見ることが出来る。興味のある方はどうぞ。

先日、僕は本当にさらっと流した。何故かと言うと、一番の違和感を被害者家族に対して抱いていたからだ。「この点はちょっと理解し難いですね」と指摘してしまうと、衰弱した人に鞭打つみたいで非人道的な印象を与えるだろうと思ったからである。
究極的には、人それぞれの価値観なので責めるつもりは一切ない。「おかしいおかしい」とこっちが勝手にぶうたれるだけの話だ。

NHKドキュメンタリー「被曝治療83日間の記録〜東海村臨界事故〜」において明らかになった事。それはまず第一に、患者の大内さんに対して医師がどのような治療法を選択したのかという事である。まず大前提として、目の前で「原子爆弾炸裂」を味わった為に染色体がバラバラになってしまった点を医師達が発見したのだという事を理解しよう。 

普通の人の染色体
大内さんの染色体

染色体は、「身体の設計図」に当たるのだそうだ。つまり、バラバラになった時点で今後、身体を維持出来ないであろうと容易に想像出来るのだ。ではそれに対してどんな処置を施したのか?結論から言うと、妹さんから輸血を行ったのである。当時の(今でも?)医学ではそれが限界であったという事だろう。新鮮で正常な染色体を取り込み、大内さんの中で根付かせようとしたのである。治療方針は間違えていないと思う。結果的には根付かなかったのであるが、それはやってみないと分からなかったのであって仕方ないだろう。強烈な放射線を浴びると自身の身体自体が放射線の様な働きをするようになってしまって、正常な染色体を攻撃、最後には駆逐してしまったとの説明であった。

良い風に解釈すると、輸血を繰り返すうちにいつかは染色体が根付いて、身体が再生する方向へと動き出すかもしれないと期待していたという事だろう。

大内さんの背中

こんな風になってしまって復活なんてあり得るのか、少なくとも元通りにはならないと察しないでもないと思うが、日本に安楽死制度が存在しない限り、一応手は尽くさなければならないという事なんだろう。ちなみに、四角の白い物体は人口皮膚なんだそうだ。彼等は、大内さんを使ってと言ってはなんだが最新医療を試したのである。皮膚が剥がれ落ち、このままでは体液がだだ漏れするだけ。無いよりはマシとの思いで貼ったのだろう。これもなんとか辛うじて理解出来る。

家族の言葉「2000年はこしてほしい」

僕は敢えて言おう。このセリフを発してしまうセンスだけはどうしても分からない。四半世紀の時間が流れ、今頃になって喰い付くのもいかがなものかとも思うが、長く息をしたからといってそれがどうしたというのだろう。ちょっとでも一緒の時間をともにしたいという気持ちなんだろうか。一緒に居たからなんだというんだ。あっちはもう完全に虫の息で自分の家族にすら構ってあげれるだけの余裕はないだろうに。これを批判と思って貰っては困る。このセンスに対し心から驚愕したので、その驚きの念を僕は書き記したかったのだ。

ドキュメンタリーにでてきた看護婦さんの中で、「私が看護していたのはもう既に大内さんとは呼べない、それらしい格好をした人」というニュアンスでインタビューに答えている方がいて、聴いてられない気持ちになったし、正直そこまで言うかと思った。以上は要約なので、もしかしたら解釈が間違えているのかもしれない。それでも敢えて予想しよう。彼女は具体的な誰に対してという訳でもないのだろうが、漠然とした不満を恐らく表明したかったのである。
「私が看護したいのは人なのであって“肉”のお世話をする為に存在しているのではないのだ」と。
大内さんは既に人ではなかったと強調したいのではない。もう治療は不可能だったのだろうと自分は当時を察するのだ。

家族から医師へ送られた手紙(だそうだ)

この手紙が本当に解せない。家族(奥さんだろうか)は何を思って手紙を書いたのだろう。全てが終わった後で「ありがとうございました」とでも言いたかったのだろうか。一応建前上、社会人だったら別れ際に言っても可怪しくないセリフだが、わざわざ後から手紙を書いたという事は、心の底から感謝していたという事になってしまう。そういう人もいるんだろうか。僕には分かりません。

「ありがとうございました」といった内容だったなら、それが手紙の主旨なんだからその部分を取り上げねばなるまい。NHKも不思議な連中である。ナレーションとして流したのは、
「とても悲観的な考えなのかもしれませんが、原子力というものにどうしても関わらなければならない環境にある以上、また同じような事故が起きるのではないでしょうか。所詮人間のすることだからという不信感は消えません。」
はっきり言って完全に政治的な主張である。そもそもこんな事を医師に言って聞かせたところで、馬の耳に念仏だと思う。彼等にとって医療が仕事なのだから。原発反対デモに参加した際の発言だったらぴったりなのだ。亡くなった方に申し訳ないが、自分の亭主を非難してる?と思えなくもない内容だし、それとも雇い主であったJCOの上司を指導不行届で暗に責めているのか……そう、被害者家族だったら本来責任の所在を明らかにしたいだろう筈なのに、(誰それが悪い!といった)主語が抜けてしまっているし、その点、広島の原爆慰霊碑「過ちは繰返しませぬから」を宣言しているみたいに聞こえて奇妙に感じるのだが……
関係の切れた頃になって、医師相手にボヤいてみたい気持ちに陥り手紙を送ったのだろう。仲が良かったのだろうか。とりあえずそう解釈するしかないではないか。

最近本当に分からない人達が多い。少し前、Xで「おもちくん」という存在を知った。先天的な頭蓋顔面奇形のお子さんである。自分が親だったら、存在をひた隠しにしないまでも、SNSには絶対晒さないと思うのだが、ご両親はへっちゃららしい。言葉は悪いが、昔の見世物小屋である。顔出ししたいかしたくないか、一応意思表示出来るようになる迄は晒すべきではなかったと思う(何時まで経っても出来なければ、認識出来ないのであればそのままそっとして置くのだ)。僕も本音喋りを得意とするタイプだが、多少はわきまえている積りである。晒さないという決意は、頭蓋顔面奇形のお子さんに対する差別の現れなんだろう。他者への差別も配慮も綺麗さっぱり何も無くなってしまって、後に残った人道主義の思想とでも呼んで良いのか分からないくらいにぼんやりとした願いのようなもの。しかしこれを寛容と呼んで「良し」と出来るのか。何かズレてると思う。

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