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着物警察事件簿 2「ハレの日帯締め房先事件」
町工場のプレス機の音が一日中響く裏通りに、寂れた写真現像所がある。かつては多くのカメラマンがフィルムを持って出入りしたその店は、写真データのデジタル化が一般になった今は一見ひっそりとしている。
その店の受付として、レンゲはアルバイトに雇われている。オーナーはいつも現像室に籠っているので客が来てもすぐには出られない。たとえそれが1日に一人か二人という数であっても、やはり人を雇うしかないのだ。そして、前のアルバイトと交代する形でレンゲが雇われた。
「洋装のあなたは新鮮ね」
カウンター越しに珍獣でも見るようにレンゲを眺めているのは帯島で、こちらはいつも通りのガチ和装である。二人は着物警察の職員だ。口うるさい着物原理主義者の集まりと揶揄されていた着物警察が公的機関として整備されたのはつい最近で、レンゲはともかく上司の帯島は張り切っている。直近では六つ辻に出る着物の女お化けを退散せしめるという手柄を挙げ、いよいよ鼻息が荒い。レンゲのこのバイトも帯島の命による潜入調査だ。
結婚式場というめでたい席で、ひとりの振袖娘の帯締めの房先が下向きだった、というのが今回の事件だ。本来は、めでたい席での房先は上向きに挟まなくてはならない。それが下向きとはとんでもないことである。その違反を目撃したという証言はとれているが、出来上がった写真ではその房は上向きになっていた。どこかで写真データが改ざんされたのは間違いなかった。
「ボス、よくこの店をつきとめましたね」
レンゲがおだてるように言うと、
「カメラマンの足取りをたどって、ローラー作戦の聞き込みをして、ついにこの店が怪しいとつきとめたのよ。どんなにデジタル化社会でも『捜査は足 で稼げ』は、やはり正義ね」と帯島は自慢話を披露し始める。
「へえー」
レンゲは手元の受注伝票をペラペラとめくり始める。自分で水を向けておいてなんだが、同じ話がまた始めるのかと覚悟をきめたとき、ドアが開いた。
「いらっしゃ…」レンゲが助かった、というように顔を上げ、入って来た客を見て浮かべかけた応対スマイルを途中で凍らせる。
「お前たちか」
帯島とレンゲを見た客が嫌そうな声を出す。水鳥であった。
水鳥は、除菌消臭に除霊効果プラスのファブリーズを武器とするお化けバスターだ。現場でかち合うことの多い帯島とは互いにライバル視をしていて、先日の着物の女お化けの際は帯島に後れをとり、歯噛みして悔しがっていたのが、この水鳥だ。
「今回は、いえ、今回も、あなたの出番はないわよ。お化けも妖怪も関係ない、生きた人間の伝統着物装着法保護条例違反という、れっきとした私たちのヤマですから」帯島がしっ、しっ、と手で払いながら水鳥に言う。
「そっちはそっちで勝手にやってろ。こっちだって、あやかし指数の異常値を検知して来てるんだ、帰るわけにはいかないね」水鳥も負けていない。
「まあいいわ。お好きにどーぞ。で、どう、この1週間で客の傾向はつかめた?」
水鳥など相手にするのもくだらない、とばかりに帯島はレンゲに向き直って尋ねる。
「はい、この店、ほとんどの依頼が写真の修正という名の改ざんです。帯締め房先の上下反転依頼の記録も確認できました。証拠ばっちりです。で、ちょっと気になるのが」
そこまで言って、レンゲは帯島の顔色をうかがう。この先は今回のヤマとも、着物とも直接関係ないことなので、着物警察の仕事の範疇を越えているのでは、と心配してのことだ。
「いいから、続けて」帯島は促す。「情報は多いほどいいっていつも言っているでしょう?」
「この店に来る客の「修正」依頼で多いのが、人物消去サービスなんです。ほら、風景写真に写りこんだ、いらない人物を消す、あれで…」
「なんですてぇ!写真の人物を消せるですって?」レンゲが言い終わらないうちに帯島が素っ頓狂な声を挙げる。「そんなことができるの?すごい匠なの?ここのオーナーはっ」
「ふっ」帯島の驚きっぷりをみて、こんどは水鳥が小ばかにした笑いを含む声で言う。
「いまどき、子供だって人物消去くらいできるよ。スマホに消去アプリ入ってるだろう?あんたいつの時代の人だよ」。
「…」レンゲもさすがに帯島をかばい切れず赤面して黙っている。そう。帯島は機械音痴だ。この手の話になるとチンプンカンプンなのである。しかし、話の内容はわからなくても、人の話のアラ探し、こほん、矛盾点を見つけることには鋭い勘が働く。笑われたことなどチリほども気にせずにビシッ、といつもの扇子で水鳥を指し、
「ではお聞きしますけれどね、その、子供でもできるその、技を、客たちはなぜ、自分でやらずにこの店に依頼するの?おかしいじゃありませんか」と決めつける。
「うっ、それは…」
水鳥が言葉につまったとき、店の奥で大きな音がした。
誰かが分厚いドアの向こうで暴れている音だ。人の叫び声もとぎれとぎれに混ざっている。
「あの音はどこから?」
「現像室だと思う。地下にあるの」
「行ってみよう」
三人は細く暗く、急な階段を下った。その先には古ぼけた鉄の扉に現像中を示す赤いランプがついている。そのランプがついている時はドアを開けてはいけないことになっている。しかし、中の音はますます激しく助けを求めるような声まで聞こえてきて、急を要することは明らかだった。迷わずドアノブに手をかけようとする帯島を水鳥が制し、手にしたあやかし度計を見せる。
「ここは俺が」。針がレッドゾーンに振り切っているのを見て、帯島は素直に水鳥にその場を譲る。なんだかんだ言っても、帯島は水鳥の専門性は認めているのだ。
「中にいるのは?」
「オーナーです」
「他には?」
「店を開けてから誰も。ひとりだと思います」
うなずいた水鳥はファブリーズを片手にドアをそっと開ける。それを待っていたかのように背後から、階段を駆け下りた空気が部屋の中に一気に吹き込んでいく。内開きのドアはその勢いで全開となる。
部屋は陰圧がすごく、そこに外の空気が一気に流れこむことで一種のバックドラフト現象が起きていた。陰気と陽気のぶつかり合いでオーロラのようなモアレ模様の光が激しく渦を巻く。
「すごいな…」陰気と陽気の衝突など見慣れている水鳥も、ここまで激しい反応は見たことがない。今回はよほど、外気に強い陽の気を発するものがいたのだろう。帯島とか、帯島とか…。
頭でそんな分析をしつつ、手にはファブリーズを持ちシュッシュしつつ、水鳥は光がおちついてきた室内を見て絶句する。そこには、おびただしい人がいた。オーナー一人じゃなかったの?この人たちはいつ入ったの?ずっとここにいたの?帯島の問うような視線にレンゲは私にもわかりません、というように首を振る。
彼らは、身動きせずにこちらを見ている。直立、ピースサイン、笑顔、ウインクなど表情、ポーズは様々だけども、とにかく全員がこちらを向いている。そして、彼らの声が降り注いでくる。「出して…ここから出して…私を戻して…」。異様なのはしかし、その声ではない。その表情が、声とは裏腹に皆にこやかな笑顔なのである。
彼らの前には、頭を抱えうずくまる中年の男がいた。
「オーナー、大丈夫?」レンゲが男を助け起こす。それに手を貸そうと帯島が触れると、バチッっと激しい音がして冷たい火花が散った。
「陰気に取り込まれている」それをみた水鳥は、
「とにかく彼を外に出しましょう。あちらの『彼ら』のことは、店主の話を聞いてからですね」と告げ、ファブリーズで牽制しながらオーナーを抱えて部屋を出た。「待って…出して…戻りたい」後ろにすがってくる虫の羽音のような無数の声が、ドアを閉めてやっと途切れる。4人の体に、ようやく暖かい血がめぐり始めた。
「人物消去は、写真業界ではけっこう昔からある技術です。はい、おっしゃるように、最近ではそういうアプリが装備された携帯も出るまでになっています。しかし、写真の中には、そんなアプリではうまく消せないものがあるのです。それはたいてい、思いの強いものなのです。撮影者にとって、特別な、重い思いのある人物。そういうのがうまく消せないことがあるのです」
事務室の椅子で一息ついたオーナーは、3人に話はじめた。
「恋人、仲間、親、子供。そんな人物を写真から消そうというのは、よっぽどのことです。一般に使われているアプリに、その重さに耐えることはできません。で、皆さんうちにやって来るのです。口コミで知るんでしょうね。どんな修正もうちでやれないことはありませんから」
「帯締めの先の向きも?」鋭い声の帯島の問いかけに
「朝飯前です」とオーナーはこともなげにうなずく。
「あなたはそういう重い思考を抱えた人物の消去を数多くこなしてきた、と。あの部屋の彼らは、もしかしたら」
「はい。消去した写真の人物たちです。見覚えがありました」水鳥の声にオーナーはうなずき
「写真から消去してもそれは消えたわけじゃなかった。移動しただけだったんだ」
そう言って、背を丸め腕で耳をふさぐように頭をかかえこんだ。
「僕の技術なら、どんな重い情で縛られている人物も消すことができる。ずっとうまくいっていた。注文はどんどんくるし、腕を試せるし、楽しかった。でも、ある日、声が聞こえるようになったんだ。耳鳴りか、幻聴かと思ったよ、はじめは。でもその声は、強い情の紐帯でつながる人物を消すたびに強く、多くなっていく。そうして僕は気づいたんだ。この声は、消した人たちの声だって。愛した者、信じた者から、いらないと、いないものにしたいと願われ消されていく者の怨嗟の声だと」
「声、だけですか。姿は見えなかったのかな?」水鳥が不思議そうに聞く。「さっきは部屋中にいるのが見えましたよね」
「不思議です。さっき、突然なんです。これまで声だけだったのに。それだけなら幻聴だと自分に言い聞かせて知らん顔して作業を続けられたのに。今日、急に彼らの姿が現れて。だから僕、驚いて。怖くて」。
きっと取り乱して機材を振り回し追い払おうとしたのだろう。あの音はこの男がたてていたのか、と帯島とレンゲは目でうなずき合う。
「きっかけとして思い当たることは?」水鳥はファブリーズのノズル下のひきがね部分に指を入れて拳銃のようにくるくる回しながら尋問を続ける。これは調子に乗っている時の水鳥の癖だ。
「現像室-いまじゃ現像じゃなくPC作業室ですけれど、モニタで受付の様子が見えるんですけれど」
「げっ」とレンゲの合いの手。
「和服の…、そう、あの人が来てから声がざわつき始めて…」
「あー」水鳥は、納得した声をだす。この着物警察のおばさんの陽気がコンクリの床、分厚い鉄の扉をも貫通し、地下室の陰気の静謐をかき乱したのだろう。飽和状態にある溶液がわずかな刺激で結晶化するのは自然界ではよくみられる現象だ。
「なるほど。状況はわかりました。俺としては、あやかし異常値を検出したからには処理しないわけにはいかないけれど、カメラが読み取った情念つき真影は霊魂ともちがうし、完全に消滅させるにはかなり手間がかかるだろうなぁ」と水鳥は思案顔になる。
「再利用したらどうかしら」
それまで黙って聞いていた帯島が、話の内容がいまひとつ理解できずに黙っているしかなかったのだが、ここにきてパチリ、と扇子を閉じて言う。処理、という言葉に反応したようだ。
「ゴミ処理の発想よ。ゴミだって捨てて目の前から消えたらそれでこの世界から消失するわけじゃない。処理場に運ばれて多大な手間と費用をかけて処分され、それでも完全に消せなくて埋め立てたりアスファルト道路に混ぜたりしている。それと一緒ですよ。プラスチックからフリースを作るように、あそこに詰まっているモノの使い道、なにかあるんじゃない?ねえレンゲ」
「えっ、私?えっと、えっと…、フリース…ふり…フリー素材にするとか?」
「それよそれ!フリー素材って『いらすと屋』みたいなやつよね?肖像権にひっかからないよう加工して、広く使ってもらうのよ。友だちのいない人の結婚式とか、恋人のいない人のクリスマスイブのディナーとか、里帰りしたくない人の親孝行の振りとか、仮面夫婦とか、SNSでアップする時に見え張るための補正用に便利じゃないの」。
「そんな…、彼らを『ゴミのようだ』みたいに…」悲し気な声をたてるオーナーに帯島はびしっと閉じ鳴らした扇子を突き出す。
「あなた、そこよ。あれは『彼ら』なんてもんじゃありませんよ。ただのモノ。消去した存在の抜けカス。廃棄物です。『ゴミのようだ』ななく、『ごみ」そのものです。それに変な人格を与えたのはあなたよ。いろいろ想像しながら作業していたのでしょう。お前は捨てられたんだ、憎まれてるなぁ、裏切られてやんの、とか。もしかしてあなた、自分の体験を投影していたのでは?あの部屋の鬱々とした空気はあなたが作ったのよ。その気を受けて、あれらは『人もどき』になってしまった。あなた、そんな気持ちじゃもう、この仕事やらないほうが良くてよ」。
そういう帯島の隣であやかし度計を見ていた水鳥が「おお」と声を挙げる。
「今の一言で、あやかし度が危険域から注意喚起域まで下がったよ。あんた、やっぱすごいなぁ。この調子でいけば、完全消去も意外と簡単かもね」。
内心、肉親や恋人に消されてしまった人たちに同情しかけていたレンゲは、自分の上司の相変わらずの「寄り添わない」が故の強さに感心しつつ、自分はどこまでこの人について行けるだろう、と密かに思うのであった。
こうして、着物警察が追っていた「ハレの日帯締め向き事件」および、水鳥が見つけ出した「写真怨念強め人物消去に伴う陰気集積事件」は無事に解決した。振袖を着ていた若い女性は伝統着物装着法保護条例の第4条違第5号違反、現像所オーナーは証拠隠滅幇助とデジタルコンテンツ廃棄物の処理に関連する法第25条第1項第14号違反で起訴された。しばらくして、人物のフリー素材がネット公開され、そのリアルさと膨大な量と、使い勝手の良さが特に寂しい現代人の福音として重宝されていると、ちょっとした話題になったという。
今、この瞬間、全世界で何万、何億という人物が写真から消されている。消された「彼ら」はどこにいるのだろう。ネットの海でデジタルの藻屑として霧散しているか。いや、もしかして、あなたの後ろでピースサインをしているかもしれない。