音声燻製
おばあさんは、囲炉裏に火をくべている。
「こうしないと、家が腐りとけっけよ」
囲炉裏で燻さないと茅葺き小屋は、老朽化が進むという。おばあさんはだから、この小屋を守るために毎日毎日、ずっと囲炉裏に火をくべているのだという。
囲炉裏の周りにはいろいろなものがぶら下がっている。
「いぶりがっこ、しっとっけ?たべてみ」からはじまり、ニジマス、ハチノ子、ハチノ卵、と次々におばあさんは私に勧める。素材は様々だけれどすべて囲炉裏で燻されて、燻製の味がする。
「やまおやじ、しっとっけ?これもたべてみ」
一瞬ぎょっとするが、やまおやじとは確か、ヒグマのことを言うんだっけ、と思い、スネ肉だというジャーキーっぽい肉をかみしめる。
「スネを食べたらおやじの目玉も食べけっとけっとけ」
「おやじの舌も」「おやじのハツも」「おやじのイブクロも」…。
ついに、囲炉裏端に下がっているのは色濃く燻された袋状のものだけになる。萎びたナスのような形をしている。でも、これだけはおばあさんは私に出そうとしない。
「それ、おやじのキモですか?ですよね?食べたいなぁ」
興味津々の私の言葉に、おばあさんはため息をつき、観念したようにその袋を差し出す。
「わあ。ありがとうございます。では、遠慮なく。いただきます」
私は言葉通り遠慮なく、最後の囲炉裏端の燻製を口に放り込む。
ぶち。
口の中で、袋が破ける。中から強い燻製の匂いが口いっぱいに広がる。これは…。声だ。燻された声たちだ。
「…助けて」「もうだめだ…」「食べては…だめ」
長い年月囲炉裏端に吊るされていた絶望の声が、からだ中に広がっていく。老若男女、声の素材は様々だけど、一様に燻されて燻製の味になっている。
「逃げろ…」袋に残った最後の声がする。でももう遅い。逃げられないことは、わかっている。何しろ、燻された声でいっぱいになったキモを食べてしまったのだ。言葉は心まで染みるから。
おばあさんは私をじっと見ている。憐れむような、哀しむような、ほっとしたような顔で。
私は、今日も囲炉裏に火をくべ続ける。
「こうしないと、家が腐りとけっけよ」
そう言いながら、小屋に来た客人を、これから私は燻し貯めた山の幸でもてなす。おばあのキモの中も、そろそろいっぱいになる頃だなぁ、と思いながら。