東十条の空/二班

東十条の空
二班(牛山・志水ショウ・タミヤ・針葉樹林)


【起】牛山

『僕の住んでいる東十条の空は高くて、青い。僕はこの街と東京が好きだ』

 ……うーんと、こんな感じかな。

「どう?」

 作品を書いたノートを、隣に立っているサンデーに見せる。するとサンデーはその高い身の丈を折り曲げて僕のノートを掴み上げ、ぐっと顔を近付けた。

「そうですね……、これがさっき言っていた夏休みの宿題ですか?」

 文面をしっかりと確認した後で、サンデーはこちらに眼を向けた。ずり下がったローブから覗いた褐色の腕に巻かれた金の腕輪が、勉強机のライトに反射して眩しい。

 眼を細めながら、僕は答える。

「そうだよ、国語の宿題。『自分の住んでる街についての詩を作ってこい』って」

 サンデーの腕輪があまりにも眩しいので、言いつつ卓上ライトを消す。反射光が無くなると、一気にサンデーの姿がはっきりと見えてきた。二メートル近い長身に、全身を覆う異国風のローブ。艶のある褐色の肌と、色素の薄い金色っぽい髪色が、彼の出自をよく現していた。

 そう、見てのとおり、サンデーは「東京人」だ。

「なるほど。最近の中学生の宿題はセンスがありますね。ですが、五百年近く生きている私が詩制作なんか手伝ったら、凄く重い詩が出来てしまいそうです。そしたらあんまり含蓄があるせいで、祥平君の学校の人に、その……引かれませんかね?」

「あーはいはい、いつもの心配はいいから、とにかく何か意見言ってよ」

 謙遜なのか自慢なのかよくわかんないサンデーの言葉を遮り、改めて彼の方にノートを押しつける。するとサンデーの顔が一瞬で笑顔になった。

「そうですか! 安心しました。では祥平君、そこに座ってよーく聞いて下さい」

「いや、もう座ってるけど……」

「行きますよ!」

 気分が切り替わり過ぎなサンデーを見て嫌な予感が走る。こういう時のサンデーは結構心配なんだ。でも、そんな心配をよそに、彼は上機嫌で口を開く。

「……まず、この『東十条の空は高く、青い』という所はやめた方が良いですね。いくら都心からはそこそこあるとはいえ、このあたりは普通に高層マンションとか立ちまくりなせいで、空は高くも広くもありませんから。あと大気汚染のせいで青さも微妙ですね」

 えぇ……。意見を許可したらめちゃくちゃ言ってくるなこいつ。でも、言われてみればそうかもしれない。僕は生まれてから今年中学にあがるまでの十三年間、この街から遠くへ行ったことが一回しかない。しかもその一回っていうのも、小六で行った修学旅行先の京都だけ。去年出会ったサンデーにも、当時はめちゃくちゃ人生経験の浅さをディスられたものだ。クラスの皆にもよく「祥平って世間知らずだよな」って言われるし、ここは自称五百年くらい生きてるらしいサンデーの手を借りよう。

「で、どう直せばいいかな?」

 国語の教科書でばたばたと顔を仰ぎながら尋ねる。さっきから少し部屋が暑苦しいのは、八月という季節のせいだろうか、それとも近くにバカデカい図体の青年が立っているからだろうか。まあ青年と言っても、見た目だけだけど。

 僕が起こした微風に髪をなびかせながら、サンデーはにっこりと微笑んだ。

「こういう時には、まず正しい文章に直すんです。いくら詩と言っても、それっぽい言葉をただ並べるだけではいけませんから」

 自信ありげな姿にちょっと感心する。まるでカリスマ講師みたいだ。

「だから、どうすればいいんだよ」

 答えを急がせる僕に、サンデーは元気よく答えた。

「はい、私が指摘した、東京の空は別に高くも青くもない。という点を改善するために、本文を変えましょう。……そうですね『軽井沢の空は高く、青い。僕はこの街と東京が好きだ』なんてどうでしょう!」

 ……。

「良いわけあるか! このバカ!」

 さっきまでの期待を返して欲しい。

「へ?」

 まるで意味がわからない、という眼でこっちを見るサンデー。だからお前は駄目なんだ。

「いい? 今回のテーマは『自分の住んでる街』! 聞いてた? 自分が住んでなきゃダメなの。だいたい軽井沢散々褒めといて『東京が好きだ』って何だよ」

「……どういう事ですか?」

 怒り散らす僕に冷徹な視線を向けるサンデー。

「おいお前、五百年の含蓄は?」

「すみません、私日本歴浅いのでコプト語で言って貰っていいですか?」

「言えるか!」

 ……本格的にサンデーのポンコツ具合に頭痛がしてきた。

 とにかくサンデーから課題のノートを取りあげ、国語の教科書と共にまとめて散らかった勉強机に放り出す。しかしその衝撃で、一本の鉛筆が机の上をコロコロと転がって床に落ちてしまった。

「あ……」

 思わず声を上げた瞬間、「それ」は起こった。

『戻れ』

 サンデーの一声と共に、床に落下したオレンジ色の鉛筆が中空に浮き上がり、そのまましなやかな弧を描いて、僕の手元へと戻ってきたのだ。ふわりと机に着地した一本の鉛筆は、そのまま教科書の上を転がって、机に置かれた左手に当たって停止する。

「どうか、しましたか?」

 事態をただ呆然と見守っていた僕に、サンデーの柔らかな声が向けられる。その時になってようやく僕は我に返った。

「いや……なんでも……」

 腕を振って、心配そうなサンデーに答える。でも心臓はこれ以上ないほどドキドキと脈打っていた。二の腕に手をやると、少しだけ鳥肌が立ってる。

 でも、どうしてだろう? 彼の「魔法」を見るのは、初めてではないのに。

「祥平君、なんだか調子が悪そうですよ。まだお昼ですし、宿題は後回しにしませんか?」

 少しおかしくなっている僕の姿に気が付いたのか、サンデーがその大きな身体を覆い被せるようにして顔を覗き込んで来た。

「ああ、そうだね。なんかぼーっとしちゃったかも」

 彼に心配をかけないように何とか取り繕う。ちらりと部屋の隅の窓に眼をやると、外は雲一つない青空が輝き、マンションがひしめき合う小さな車道を、車がせわしなく行き交っていた。時刻はまだ午後一時半をまわったところで、我ながらぼーっとするような時刻ではないとは思う。

 なんだろう。とっても、不思議な感じだ。

「夏休みはまだ一週間近くあるし、宿題も残り少ないから、今日はもうやめた。なんか別のことやるよ」

 よく分からない、謎の気分を振り払うために明るく切り出す。窓の方からサンデーに視線を戻すと、その顔にはもう心配そうな表情は浮かんでいなかった。彼は安心したように一息ついて、ローブの袖の裾を掴んで捲り上げる。「東京人」の彼は出身的に暑さには強いだろうけど、流石にこの時期はキツいんだろう。ていうか見てるこっちが暑い。

 ん? あれ……? そういえば東京ってどこだっけ? 

 ……って、僕は何を考えてるんだ? 東京って言ったら、人が多くて、夏は暑くて……そして、えーと、そうだ! なにより東京と言えばサンデーの出身地だ。

 僕は去年「東京」でサンデーと出会ったんだ。確か彼は電車の降り口で彷徨ってて、そして、変な格好のせいで職質されてて、困ってて……うん? 変な格好? おかしい。「東京」って言ったら彼みたいな不思議な力を持った特別な存在が沢山いる街じゃないか。例えこのクソ暑い時期に厚手のローブ姿で出て行っても何ら不思議は……。あれ? そういえば僕はどうして行ったこともない「東京」の事をこんなに知ってるんだ? そもそも、どうやってサンデーと出会ったんだっけ? いつ、どこで? 僕は生まれてこの方、修学旅行で行った京都以外には……。

「あ、れ……?」

 激しい頭痛と、吐き気みたいな得体の知れない気持ち悪さが襲う。落ちつきかけた心臓の鼓動も、ドキドキという音が聞こえてくる位に速くなっている。胸を押さえながら前を向くと、先ほど「魔法」の力で手元に戻ってきたオレンジ色の鉛筆が目に入った。そしてその下には国語の教科書と、さっきやってた宿題のノートがあって――。

 ふと、開かれたノートに書かれた文字が目に止まる。文字に力がない、嫌になるほど見慣れた僕の筆跡だ。

 そこには、こう書かれていた。

『僕の住んでいる東十条の空は高くて、青い。僕はこの街と東京が好きだ』

 そうだ。そうだった。

 ここが、「東京」じゃないか。

「本当に大丈夫ですか? 横になります?」

 気が付くと、目の前にサンデーの顔があった。日本人離れした、その青くて綺麗な瞳がじっと僕を見つめている。「東京人」らしい、力強い瞳が。

「いや、なんでもないわ。ゴメン」

 笑顔を浮かべると、今度こそサンデーは安心したようだ。

「なんだ、やっぱり元気じゃないですか。安心しましたよ」

 サンデーは褐色の肌に似合う真っ白な歯を見せた。眩しい彼の笑顔につられて、こっちまで笑顔になってしまうほどだ。

 僕は浮ついた気分のまま滑車つきの椅子を滑らせると、机の横の棚から親のお下がりの、真っ黒な長財布を取り出して確認する。

 えーっと。千円札が、ご、ろく、なな、八千円あった。それに加えて一万円札があるので、合計一万八千ある。

「……そうだ、これから秋葉原にでも行こっか?」

 思いの他中身があったので、ちょっと大胆な提案をしてみる。中学生にしては生意気な提案な気もするけど、大人……というよりおじいさん? とにかく保護者のサンデーがついていれば大丈夫だろう。

 しかし、サンデーは僕の提案に嫌そうな顔をした。

「えー、秋葉原って遠いところですよね」

 そういえばサンデーは人の多いところが苦手だった。でも今さら引き下がれない。

「そんなことないよ、秋葉原なんて京浜東北線ですぐじゃないか。確かに普段は満員電車だけど、大きな休みのあいだは通勤の人が居なくなるから空いてるよ! 行こうよ!」

 サンデーのローブの端を掴んで食い下がったけれど、その頑とした表情は変わらない。

「ダメです。それに、お父さんとお母さんから『祥平が危ないことしないよう見張ってて』ってよーく言われてますから、あんまり勝手に遠出したら、私が怒られてしまいますよ」

「えぇー、なんだよ。サンデーまで母さんたちの肩を持つんだな。この裏切り者、何のために頑張って宿題を進めたと思ってるんだ!」

 ……とは言ってみるものの、褐色のデカ物はそれはもう仏像のような達観した顔で首を振るのみ。希望は無さそうだ。

「はいはい諦めますよ。でももう宿題って気分じゃないし、どうしろって言うんだよ。他人の意見を蹴った以上は、代案があるんでしょーねぇ?」

 口をとがらせ恨みがましく抗議すると、サンデーはなぜかぷっと吹き出した。

「ふふ……」

「なんだよ」

 変なサンデーの方を見て尋ねる。しかし彼は軽くツボに入ったようで、なかなか笑いが止まらない。

「いいえ、なんでもありませんよ。ふふっ……ただ、幸せだなぁと思っただけです」

 笑ったまま、そんな事を言う。

「はぁ?」

 今度はサンデーがおかしくなってしまったようだ。まったく今日は変な事ばかり起こるなぁ……。でも、一日は有限だ。いつまでも彼に付き合ってはいられない。

「ほら、笑ってないで何か提案してよ」

 無理矢理その長身を揺さぶると、サンデーはやっと笑い止んで、「そうですね……」と言いながら顎に手を当てた。そしてそのままなにやら神妙な顔をする。これは彼が何かを真剣に考えている時の顔だ。普段の時と違ってこういう時のサンデーは信用できる。ここは黙って待ってやろう。

 ……そして待つこと数十秒。サンデーはわざとらしく「ひらめいた!」とばかりに、右手の拳で左手の手のひらをぽんっと叩いてこちらを向いた。

「こう毎日暑いと嫌になりますし、二人でかき氷屋さんに行きましょう!」

 その言葉に、僕は合点がいった。 

「ああ、こないだ駅前に出来たやつね」

 駅の方を指さしながら言うと、サンデーは目を輝かせる。

「そうですそうです。実は私、小豆の乗ったかき氷って食べたことないんですよ。これを機に挑戦したいです!」

 僕は何度も頷くサンデーを見て、財布から二千円だけ取り出して棚に戻す。この分なら、二人でこれだけあれば十分だろう。

「それじゃあ、早速行こうか。かき氷食いに」

「ええ。やっぱり日本は最高ですね! ……『開け』!」

「おいこら! 魔法で玄関開けるなって母さんに言われたろ? 勢いよく開くもんだからドアが傷むんだよ」

「そうでした。すみません……」

 ――魔法使いとの午後は、こうして流れていく。 

 郊外の片隅を行き交う、人の群れの向こうへと。


【承】志水ショウ

「暑い……暑すぎる……」

 駅前のかき氷屋まで向かう道中、僕は呪詛のようにこの言葉を呟いていた。

 別に僕が他のヤツらよりも軟弱だとかそういうわけじゃない。家から出るなり、容赦のない太陽光線と熱の襲撃に遭えば、誰だってこうなるというものだ。正直ここ最近の日本の夏には、生命体を生かす気が全くないんじゃないかと思う。

「ねぇサンデー、魔法で僕らの周りを涼しくしたりできないの?」

「できますよ」

 即答だった。じゃあやってよ、と言おうとしたが、その前にサンデーが続けた。

「でも、やりません。祥平君のためになりませんからね」

 それどういうことだよ、と抗議する。褐色の大男は歩みを止めると、いいですか、と真剣な口調で言うと身をかがめ、僕の目を正面から見据えた。

「祥平君はまだ子供ですが、いずれ大人になります。そうなれば、今……子供のときよりも、ずっと多くの苦しいことが祥平君を待っているでしょう。でもそんなとき助けになってくれるのが、小さい頃の苦労、苦しいことを自分の力で乗り越えてきた経験なんです。いいですか祥平君、苦しいときに楽をすることばかり覚えてしまっては、いい大人になれませんよ?」

「あぁ……そう、かな……?」

 なんだか感動的な台詞のような気もするけど、どうにもピンと来ない。多分台詞の主が、僕が落とした鉛筆を拾い上げたり、玄関のドアを開けるためだけに魔法を使うようなヤツだからだと思う。

「そうですとも!」

 僕にそんな風に思われているとは露とも知らずに、サンデーは大きく頷いた。

「祥平君にはぜひとも、立派な大人になってもらいたいですからね」

「なんでさ?」

「え?」

 サンデーは、それを訊かれるとは思わなかった、とでも言うような驚いた顔でこちらを見た。

「いやだって……僕がどんな大人になったとしても、サンデーには関係ないだろ?」

 そうだ。僕がいい大人になったからってサンデーが得するわけじゃないし、悪い大人になったからって損するわけでもない。

「確かに、そうですね」

 サンデーは言った。しかし彼は、でも、と言葉を続けた。

「『友達』には、幸せになってほしいですから」

 そしてまた、真っ白い歯を覗かせて笑った。

 友達、か。

 再び歩き出しながら、僕は去年、サンデーと出会ってからの日々を思い出していた。

 この一年、サンデーとは多くの時間を一緒に過ごした。数えきれないくらい一緒に遊んだ。

 中でも一番楽しかったのが、去年の今頃、うちに来てからまだ日の浅かったサンデーを連れて、家族で海に遊びに行ったときだ。なんと彼は魔法の力を使って、人力では決して作れないほど巨大な、砂のお城を作ったのだ。お城を見る人たちが口々に漏らす感嘆の言葉に、なんだか僕も鼻が高かった。それ以外にも、魔法で僕を波の上に立たせて、疑似サーフィン体験をさせてくれた。あの日は、僕たち家族とサンデーとの距離が一気に近づいた日だったように思う。

 喧嘩をしたこともあった。あのときは魔法を使うサンデーにコテンパンにやられたのをよく覚えている。でも今こうして思い返すと、決して悪い思い出だと言い切れない自分がいる。

 ここで僕は、自分の中に何か暖かい気持ちが生まれていることに気づいた。

 今までサンデーにはっきりと、友達だ、と言ったことはなかった。でも今胸の中にあるこの暖かな気持ちが、彼への「友情」というやつなのかもしれない。十三歳の子供が何言ってるんだ、って感じだけど。

 そんな風に考えているうちに、背中と足に羽の生えた少年の銅像が見えた。角を左に曲がる。

「あ、ありました!」

 暑さのせいか疲れたようだったサンデーの表情が、パッと笑顔に変わった。彼が指さす方向を見ると、そこに僕たちの目的地があった。

 新しくオープンした直後だからか、かき氷屋は大勢の人で賑わっていた。長くはないが、店の外に列までできている。

 店の様子を見て、明るかったサンデーの表情が少し曇る。やっぱり人が多いのは苦手みたいだ。

「どうする? 他の店に行こうか?」

 小声で彼に問う。

「いえ、せっかく来たんです。ここで食べましょう。なに、ちょっと人が多いくらい平気です!」

 そうして笑ったサンデーがかいている汗は暑さから来るものだけではないように見えたけど、本人がこう言った以上、僕たちは列に並んで待つことにした。

 十分ほど待って、僕とサンデーはようやく店の中に入ることができた。

 店の内装は木目調が多用されていて、どことなく「和」の雰囲気を感じさせた。そのせいか、店内を見ているとなんとなく心が落ち着いた。

「なかなかいい雰囲気のお店じゃないですか。ここなら美味しいかき氷が食べられそうです!」

 嬉しそうに言うサンデー。頷く僕も、笑顔になっていた。

 そのとき、店員が来て僕にメニューを手渡した。

 メニューを見た僕の様子をサンデーは訝しんだと思う。だって笑顔がみるみるうちに、青ざめた表情に変化していったんだから。

「ヤバいよサンデー……高い」

 力のない声で呟く。

「えっ? 高いって何がですか?」

「バカ! 声がデカい!」

 ああもう! やっぱりサンデーはポンコツだ。第一、「お店」で「高い」ものなんて一つしかないじゃないか。

「ほら、メニュー。これ見ればわかるよ」

 サンデーにメニューを手渡す。彼はメニューを見ながら言った。

「『天然氷使用、こだわりのかき氷』ですか……えーと、一番安い『あずき』で九百円、『宇治金時』千二百円……なるほど、言っている意味がわかりました。で、祥平君は今いくら持ってるんですか?」

「……二千円」

 正直ここまで値段が高いとは予想外だった。家を出る前にもっと調べておけば……と後悔してももう遅い。今僕らがいるのは店の中だし、どう足掻いても所持金は二千円のままだ。

「それしかないのはもう仕方ありません。『練乳あずき』が千円ですから、これを二つ頼みましょう」

 笑いながら、サンデーはそう言った。でも、その声は少し残念そうだった。

 僕だってかき氷が楽しみではあったけど、最初にこの店に来たがったのはサンデーだ。僕のせいで彼を悲しませる結果になってしまったことが申し訳なかった。

 そんな僕の気持ちを察したのか、サンデーが優しく言ってくれた。

「『天然氷使用』、なんてあるんですから、『練乳あずき』もきっと美味しいですよ。それに、もっと高いかき氷はまた来たときのお楽しみにしようじゃありませんか。ほら、二千円の『デラックス宇治金時』! 次は二人で食べましょう!」

 僕も彼に微笑むと、小さく頷いた。サンデーが僕を想ってくれることがとても嬉しかったし、やっぱり彼はいいヤツだと思った――ちょっとポンコツだけど。

 僕は店員を呼ぶと、『練乳あずき』を二つ注文した。

 また十分ほど待つと、『練乳あずき』二つが僕らのテーブルに置かれた。

「「いただきます!」」

 二人揃って食前の挨拶をすると、スプーンでかき氷を一口掬い、口の中に入れた。

「ウマい!」

 思わず声をあげてしまった。

 練乳の優しい甘さと、小豆の甘すぎない素朴な味わいとが混ざり合い、得も言われぬ見事な味を生み出していた。天然氷の、口に入れるとすぐ溶ける食感も心地いい。

 この店のかき氷はまさに「絶品」だった。

「サンデーはどう? 美味しい?」

 やや興奮気味に問いかける。

「ええ、とても――」

 サンデーが言いかけたとき、僕らに向かって声が聞こえた。

「すいません、相席いいですか?」

 相席。確かにこの店は今混んでいるし、仕方ないことだろう。

「ああ、いいですよ」

 僕は返答しながら声のした方を見ると、少しギョッとした。

 そこには男が立っていた。異国風のローブを纏った二メートル近い体躯。濃い褐色の肌。黒髪で、瞳の色はグリーンだけれど、間違いない。

 男は「東京人」だった。

 出かけた先でサンデー以外の東京人を見ることはたまにあったけど、ここまで近くで、しかも話すのは初めてだった。

 でも僕がそれ以上に驚いたのは、男を見たサンデーの反応だった。

「おぉ、ガナッシュ! 久しぶりですね!」

 男に対して笑顔を浮かべ、イスから勢いよく立ち上がったのだ。

「サンデーか! 奇遇だな!」

 ガナッシュと呼ばれた男も嬉しそうに言うと、二人は抱き合った。どうやら二人は知り合いで、そのうえ仲もかなりいいみたいだ。

「いやー、しかし帰る前にお前と会えるとはな……」

 イスに腰かけながらガナッシュが言う。その言葉に、僕は引っかかるものがあった。

 帰る前。僕とサンデーはともかく、ガナッシュは入店したばっかりだ。まだ注文もしていない。それなのに「帰る前」って、どういうことなんだろう?

「えっ? 『帰る前』ってどういうことですか?」

 質問したのはサンデーだった。どうやら僕と同じ疑問を彼も抱いてたみたいだ。

 するとガナッシュは、驚いたような、困惑したような顔になって言った。

「待ってくれよサンデー、お前、知らないのか?」

「『知らない』って……何かあったんですか?」

 ガナッシュは頷くと、神妙な面持ちになって言った。

「……俺たちの世界を、分離させる方法が見つかった」

「「え……?」」

 僕とサンデーは同時に声を漏らしていた。でもそれの意味するところは、二人の間で違っているようだった。多分だけど、サンデーはガナッシュの言葉の意味をわかっている。対して僕は、理解できないでいる。

 思えば「東京人」という存在について、僕はほとんど何も知らなかった。

 今、僕には「説明」が必要だった。

 ガナッシュが話したのは、東京人にとってとても大事なことだ。不思議と、それだけは確信できた。そして東京人に大事なことは、僕にとっても大事なことだった。

 だってサンデーは、僕の――。

 僕は意を決して、黒髪の東京人に声をかけた。

「ガナッシュ」

 僕に話しかけられるのが予想外だったのか、ガナッシュはワンテンポ遅れてこっちを向いた。

「教えてくれないか? かつて君たちに何があって、今、何が起きてるのか」

「……君は、サンデーの知り合いなのか?」

「ええ。この子は祥平君、私の友達です。私は今、彼の家で厄介になってるんです」

 僕の代わりにサンデーが、穏やかな笑みを浮かべながら答えた。

「ああ、なるほど……そういうことなら」

 そう言うと、ガナッシュは僕に微笑んだ。

「祥平君、だったな。特別に教えよう。俺たち『東京人』と、この『東十条』の街の真実を」

 そうして、ガナッシュは語り始めた。

「まずは俺たちの正体について話そう。

 結論から言うと、俺たちは『この世界』とは違う世界に住む存在だ。

 で、俺たちの住んでいる世界なんだが、そこには『この世界』の東京と、ほとんど同じ風景が広がってる。仮に名前を付けるなら『アナザー東京』、とでも言ったとこだな。

 つまるところ俺たちは、『アナザー東京』の『東京人』なんだ。

 次に、じゃあなぜそんな俺たちがここに……『この世界』にいるのか、そして、この『東十条』の街についてだ。

 始まりは去年の七月の中頃だった。

 理由はわからないが、『この世界』の『日奈浦』という街と『アナザー東京』の『東十条』――『アナザー東十条』が融合してしまったんだ。二つの街の風景は混ざり合い、そこにいた君たちや俺たちも共に暮らすことになった。そうしてできたのが今のこの街、『東十条』だ。

 こうして『この世界』に来た俺たちは、あることを恐れた。それが、君たち『人間の混乱』だ。

 突如変わった街の風景や、『東京人』なる謎の存在――君たちが混乱し、騒ぎになる要素は十分だった。最悪、人間と東京人の間で争いが起こる可能性も考えられた。

 でもそれは俺たちの望みじゃなかった。俺たちは人間と仲良くやっていきたかったんだ。

 そこで俺たちは協力して大魔法を使い、この街の人間に『俺たちの常識』を植え付けた。『ここは「東京」の「東十条」で、彼らは「東京」にもともと住んでいる「東京人」だ』……ってね。

 ある意味、君たちを騙していたことは謝る。でもあのときの俺たちには、早急に手を打つ必要があったんだ。

 ……さあ、過去の話は終わりにして、ここからは『今』の話をしよう。

 『融合』以降『この世界』と『アナザー東京』を分離させる方法の研究が進んでいたんだが……ついにその方法が判明したんだ。

 そして、今日から三日後の八月二十五日に、この街から『アナザー東京』を分離させることに決まった。

 世界が分離した暁には、君たちへの『洗脳』は解け、俺たちについての記憶もなくなる。

 ……祥平君、サンデーとはあと三日でお別れだ」


【転】タミヤ

 理解が追いつかない。何だよアナザー東京って……。

 かき氷屋からの帰り道、僕は必死に考えていた。ガナッシュに聞いた話が本当だとすれば、サンデーとは二度と会えないのか?動悸が激しくなる。呼吸も苦しい。

 こんな話にわかには信じられないが、確かに「東京」が異国の地に思えたりサンデーと出会った時の記憶が曖昧だったりと思い当たる節はある。

「祥平くん? 大丈夫ですか?」サンデーが心配そうに覗き込んでくる。

 大丈夫な訳ない。今日まで当たり前のように住んでいた場所が実は別の世界と融合されていて自分たちの記憶は操作されていただなんて。いや、そうじゃない。今考えるべきはサンデーが三日後に去ってしまうということ。

「君こそ大丈夫なのか? 三日後に自分の世界に帰ってしまうって、僕から君の記憶は無くなるって、それでいいのかよ!? 君は知っていたんだろ? この世界のことも、自分がいつか本来いるべき場所へ帰ることも!!」

 やるせなさが怒りに変わり口調が荒ぶる。

 サンデーは悲しそうな目で僕を見る。

「祥平くん、確かに私はいつかは帰らなくてはならないことをずっと黙ってました。それはとても心苦しかったです。君と毎日ただ話すのも、どこかへ行くのも本当に楽しかった。だからこそ君には告げないで去るつもりだったんです。」

 冗談じゃない。三日後には僕の前から突然去る上に全て無かった事になるなんて。

「そんなの勝手すぎるだろ……」

 声が震える。悔しくて涙が出そうになるのを堪える。

 嫌だ、こんな道端で泣きたくなんかない。

 サンデーはそんな僕の気持ちを察したのか、「お家に帰りましょうか、祥平くん」と言った。優しい笑顔を作っていたけどサンデーも悲しんでいる事はわかった。


 家に着くと少しは僕も落ち着いて、冷静にサンデーに問いかけることができた。

「君は本当に帰ってしまうの? 別にここに残るって選択肢もあるだろう」

「祥平くん、残念ながらそれは出来ないと思います。詳しいことは分かりませんが、去年の融合がそうだったように、おそらく分離も私達東京人の意思とは関係なしに移動が起こるもの、私の力ではここに残ることは……」

「そんな……」

 未来も過去も絶たれた。三日後にはサンデーとは別れ、この一年間の記憶もなくなり最初から何もなかった事になる。その事に恐怖を覚えた。

 今まで生きてきた中でここまで絶望したことはない。どっと身体が重くなる。もう何も考えたくない。

「今日はもう寝ようか。」

 部屋に戻ると、僕はベッドに入り、サンデーもいつものように隣の布団に入る。

「祥平くん」

「何?」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 まただ。また声が震えてしまう。

 毎日交わしてたこの言葉ももう片手で数える程も使うことはない。そう考えたらますます涙が溢れそうになった。サンデーに気づかれまいと声を押し殺す。喉が痛んだ。

 翌朝、目が覚めると隣の布団にサンデーは居なかった。

 血の気が引いていくのが分かった。いや、大丈夫、どこかにいるはず……帰るのは三日後って言ってたんだから!! そう言い聞かせながら僕は慌てて部屋を飛び出した。家の中を駆け回る。

 リビングにもキッチンにもいない!!

「祥平くん?」

 サンデーの声が聞こえた。庭にいたのか……よかった……。

「どうしたんですか?朝からそんな血相変えて走ったりして」

 サンデーはいつものように白い歯を見せて笑った。ただ今は少しいたずらっぽさが混じっている。

「わかってるくせに……」

「おはようございます祥平くん」

「おはよう」

 いつもの日常だ。

「祥平くん、今日は秋葉原へ行きませんか?」


「暑い……暑すぎる……」

「デジャブですね」

 秋葉原の駅に着くと人で溢れかえっていた。平日とはいえやはり夏休みだからか。

 サンデーはというと、さすがに笑顔はなく、既に疲れ切っている様子だ。

 なぜ人混みが嫌いなサンデーが自分から秋葉原を提案したのか。それは数時間前に遡る。

「なんでまた秋葉原?」

 状況が状況なのは分かる。最期に僕の願いを聞いてくれようとでもしているんだろう。それにしても昨日の今日で頑なに反対していた秋葉原に進んで連れてってくれるだなんて、面白いなぁなんて事を考えていた。

「残りの時間をどう過ごそうか少し考えていたのですが、やっぱり私は祥平くんの行きたい場所について行って祥平くんのしたい事をしたいと思ったんです。」

「そっか、僕としては願ってもないことだけど」

 嬉しさが顔から溢れているであろうことはわかった。

「それにたまには親に秘密で遠くへ行ったりっていうのもいいじゃないですか」

 サンデーがいたずらっぽく笑う

「普段真面目に過ごしてる人間の特権ですよ」


 念願の秋葉原に着いたものの、サンデーはもうバテてしまっている。

 ここで僕はもう一度提案してみる。

「ねぇサンデー、魔法で僕らの周りを涼しくしてよ」

 サンデーは「うっ」と言ってバツの悪そうな顔をした。

「昨日却下した手前、その提案は受け入れがたいですが……仕方ありませんね。人も多過ぎますし」

 そう言ってサンデーは魔法であっという間に僕らの周りを涼しくした。

「あぁ……最高だ……」

 僕はすっかり元気を取り戻して、サンデーも人は多いが涼しいというだけでだいぶ顔色がいい。

「じゃあ行こうか!」と言って秋葉原を散策し始める。

 僕が前から行ってみたかった店に行ったり、少し並んで有名らしいお店でご飯を食べたり、ゲーセンでどっちがたくさん取れるか勝負したりとあっという間に一日は過ぎていった。(ゲーセンでの勝負はサンデーが魔法を使ったので反則負け)

 秋葉原を出て帰りには駅前の昨日のかき氷屋に寄り、今度こそは『デラックス宇治金時』をと思ったけれど、あろうことか今日は全財産持ってきていたにも関わらず、秋葉原で調子に乗って思いのほか散財してしまったので所持金は昨日と同じ二千円だ。またサンデーに申し訳ない事をしてしまった……。

「今日も練乳あずき頼みましょうよ!昨日食べてとても気に入ってしまったんです!」とサンデーはまた優しく言ってくれた。やっぱりいいヤツだ。時々ポンコツだけど。

「それに」とサンデーは付け加えた。

「『デラックス宇治金時』はいつかまた2人で食べに来る時の楽しみに取っておきたいです」

 サンデーは明後日には帰ってしまう。とすると

「明日しかなくないか?」

 サンデーは笑って答える

「違いますよ、いつかまた必ず戻ってくるのでその時ですよ」

 僕は気休めだろうと思ったけど、それでもやっぱり嬉しかった。サンデーの未来に僕はまだいるらしい。

「その時僕は君のこと覚えてないよ」

 僕が笑って返すとサンデーは

「その時はその時です」と答えた。

 この言葉がどれほど僕を安心させたことか。


 次の日は家で過ごすことにした。

 いつものように。なんだかそれが一番しっくりくる気がしたからだ。僕にとってもサンデーにとっても。

 そして僕らはいつものように色んな話をした。

「他の東京人も、サンデーと同じように誰かの家で一緒に生活してるの?」

 僕はふと疑問に思って聞いてみた。
 
「そうですねぇ、私はたまたま祥平くんに拾われた形になりましたが、普通に働いて稼いで1人で自立して暮らししてる人もいれば、魔法を使って楽に生活してる人もいますね」

「それは大きく個性が分かれて面白いなぁ」と僕が返す。

「ガナッシュなんかは当に前者ですね」

 サンデーは顎に手をやり上の方を見上げながら言った。

「そうなんだ、それは実直だね」

 なるほど確かに彼は誠実そうな感じではあった。

 そこから更にサンデーの周りにいる東京人の話や元の東京がどんな場所であるかだったり、こっちとは全く違う文化の話をしたりした。またガナッシュが言っていた日奈浦がどんな街であるか予想してみたりもした。サンデーが教えてくれる東京は僕の知っている東京とは少しずつ違って、サンデーが楽しそうに話すので僕は魅力的に感じ行ってみたいと思った。

 サンデーは自分の住んでいた元の東京の街が好きらしい。それは僕にとっても嬉しいことだ。彼がこれから帰る場所が彼の好きな場所であるなら安心できるというものだ。

「でも、この一年でこの街をもっと好きになってしまいましたがね」

 サンデーはいつもの優しい笑みを浮かべて言う。

「祥平くんと出会えたんですから」

 また目の奥と喉の奥に熱がせり上がってくる。

「泣かせたいの?」

 と聞いた時には既に涙は溢れていた。

 それから一晩中色んな話をしていつの間にか二人とも眠りに落ちていた。


 そしてその日は来た。


【結】針葉樹林

 まだ暗く、朝日が出始めたばかりの頃、東十条の文字が書かれた看板の元に、異国風の装束を纏った人々が徐々に集まり始めていた。駅前で集合する様はまるで、旅行の団体客のように見える。

 カラフルな髪色の巨躯が一つの場所に会している様は圧巻だ。この街にこんなにも沢山の「東京人」が暮らしていたなんて。

「驚きましたか、祥平君」

 僕はサンデーの問いに、無言でゆっくりと頷いた。

「実は私も驚いているんですよ」

こんなにいたんですねぇ、と周りを見渡している彼はまるで日常通りの彼だ。そんな様子を見ていると、もうすぐ別れの時が来るという現実を忘れてしまいそうになる。

「祥平君、もうすぐお別れです。私達の街は正常な状態になるでしょう」

 そして、サンデーはいつもと変わらない口調と表情でお別れを口にした。
僕は泣き出したくなるのを必死に堪えた。過保護なサンデーのことだ、僕が泣いてしまったら心配しちゃって、気持ちよく別れられないだろう。

「サンデー、向こうに行っても元気でいろよ」

「えぇ、もちろんです」

 サンデーがニコリと微笑む。その時、集団の一人が声を上げた。

「同胞諸君! ついに帰還の時が来た!」

 何やら偉そうに叫ぶその人物は、空に向かって閃光を放った。すると空の暗闇に光の柱が浮かび、駅の周りに射すように立ち現れた。

「これは我々の世界への扉である! コプトの血が全てこれをくぐれば、この異空間は直ちに修正されるだろう!」

 一斉に歓声が上がる。あの魔法こそがガナッシュとかいう東京人が言っていた、世界を分離させる魔法だろう。

 ふとサンデーを見ると、彼はその様子を見て、無言のまま拍手していた。今、サンデーはどんな気持ちなのだろう。悲しんでくれているのかな。

 一人、また一人と東京人が吸い込まれるように光の中へと消えていく。駅前の集団も残りわずかとなっていた。僕たちはというと、会話もなく、静かにその様子を眺めていた。

「そろそろだね」

「そうですね」

 そしてサンデーの番が回ってきた。とどめていた涙が少し溢れる。

「離れていても友達だからな……」

 掠れたような声しか出せない。それでもサンデーにはしっかりと聞こえていて、優しい笑みのまま、瞳の青を輝かしながら応えてくれた。

「当たり前です。私は祥平君のこと、ずっと覚えてますから」

「ありがとう。さよなら、サンデー」

 数分後、天まで伸びていた巨大な光柱は、跡形もなく消え去っていた。いつの間にか朝日が昇り、明るくなっている。今日も日奈浦の空は高く、青い。


 中学生にもなると、自由が増える。学区は広がり、小学生の頃には行けなかった場所にも行けるようになる。

 僕は今、駅前を歩いている。学区の外であった駅周辺を歩いていると、なんだか感慨深くなる。

 しかし駅前というものは落ち着かない。人が多くて騒がしいし、この駅だけかもしれないが、テナント空きだらけで、もの悲しい雰囲気が漂っている。慣れない環境で余計にそう感じているのかもしれない。

 もう少ししたら帰ろう、そう考えながら、ふと空を見上げると、眩い光が走るのが見えた。

 周囲の人たちもざわざわと騒ぎ始めた。

 そして直後、街の雰囲気は一変する。さっきまで何もなかったビルの一階にはカフェが店を出していて、空の色は雲に覆われたように淀んでいる。遠くには工場から灰色の煙が昇るのが見えた。まるで、別世界になってしまったかのようだ。

 あちこちで混乱が起きているのが聞こえる。大人達にも何が起きているのか分からないのか。

「サンデー……」

 そして気がつけば、僕は意味の分からない単語を呟いていた。

 サンデーってなんだ、何で今、こんな言葉を? 

 そう考えた途端、激しい頭痛が僕を襲った。

朦朧とする視界で、なんとか歩く。ふらふらと数歩歩いたところで、大きな人にぶつかってしまった。

「すみません」

 慌てて謝る。顔を見て謝ろうとして顔を上げると、その人は、見慣れない服装の外国人であった。

 こんなとき、どうやって謝罪すれば良いのだろう。僕は中学生なりに考える。しかし、そうやって悩んでいる内に、相手の外国人から話しかけてきた。それも、日本語で。

「お久しぶりです。祥平君」

 その外国人は、知らないはずの僕の名前を口にした。

「サンデー……」

 しかし、僕もその外国人の名前を口にしていた。そうか、サンデーは人の名前だったのか。

「また会えましたね」

 サンデーは嬉しそうに手を握ってくる。サンデーって誰だ。再び頭痛で頭が締め付けられる。

「あぁ祥平君。大丈夫ですよ」

 サンデーはそう言うと、僕の頭に、淡い光を放つ手をかざした。すると痛みは引き、すっと朦朧としていた視界が開けた。

「ありがとうサンデー」

 僕がお礼を言うと、彼は誇らしげに胸を張った。

「祥平君には健康でいてほしいですから」

 まるで親友、いや、家族であるかのような言い方だ。

「ところで祥平君、相も変わらずここは天気が悪いですね」

「いや、さっき急にこうなったんだよ。いつもはよく晴れているんだ」

 僕は彼の言葉を否定する。僕の住んでいる街を彼に誤解されたくはない。

「晴れている東十条。私も見てみたいです」

 彼はそう言って、空を見上げている。

「すぐに見られるよ」

「うーん、確かにこれから明るくはなりますね」

 僕の言葉に、サンデーが意味不明な返答をする。しかし、彼の意味不明な言葉は直後、現実のものになった。

 見たこともないような巨大な光の柱が空から降りる。そして、光から産み落とされるように、サンデーと似たようなローブを身につけた人々が現れた。あまりに神秘的な光景に、思わず息をのむ。

「サンデー、何が起こっているんだ?」

 僕が問いかけても、サンデーは満足げに頷くだけで、答えてはくれない。

「私がこの景色を見るのも、五百回目になります」

 またサンデーが訳の分からないことを言う。

「どういうことだよサンデー」

 再び説明を求めるも、サンデーは答えてはくれず、なにやら魔法を僕にかけながら、

「また一週間後に会いましょう」

 と言った。


 今日は天気が良いから、街を探検する。空は見事な灰色だ。……灰色なのに良い天気? 

 今日の空は、灰色でとても良い天気だ。だから僕は、初めての駅前を探検したいと思う。最近、たまに頭痛がするときがあるけれど、まぁ気にするほどでもないだろう。

 少し散策していると、大きな青年が職質を受けているのが目に入った。金の腕輪がよく目立っている。

 そんな青年と目が合った。

「おーい! ここですよ、ここ!」

 あれは、僕に向けていっているのだろうか。周りを見ても、彼の知り合いらしき人はいない。

「僕ですか?」

 そう言うと、彼は大きく頷いた。

「お巡りさん、僕はこの少年を探していたんですよ」

 渋々近づくと、彼は僕のことを指さしながら、警官に適当を言い始めた。

「ですよね、祥平君」

 彼の言葉に心臓を掴まれたような感覚になる。なんでこの人が僕の名前を知っているんだろうか。

 しかし、なぜ、と聞こうとしても上手く声が出せない。

「確かに、サンデーは僕の親友ですよ。お巡りさん」

 そうだ、僕と彼は親友だ。名前を知らない友人なんてあり得ないじゃないか。

 そして、いくつかの質問をした後、ようやく警官は納得してその場を去った。

「サンデー、一人でうろつくなよ。その格好目立つんだから」

 その厚手のローブは暑い東京では少し異常だ。

「えぇ? そんなことないですよ」

 サンデーは不思議そうな顔をする。そうだ、別に普通じゃないか。東京人なら当たり前の格好だ。

「ごめんサンデー、僕が間違っていたよ」

「でしょう」

 なんにせよ、サンデーと出会えたことだし、家に帰るとしよう。

「ねぇサンデー」

「なんですか祥平君」

「これからよろしくね」

 これから一緒に暮らすことになるはずの彼に、僕は歓迎の挨拶をする。

「こちらこそよろしくお願いします」

 彼はなにやら魔法を唱えている。でも、僕が気にするようなことでもないだろう。東京人が魔法を使うことも、常識みたいなものなんだから。

 僕は家に向けて歩き始める。そんな僕に、サンデーは楽しそうな笑みを浮かべながら言った。

「今回はデラックス宇治金時を食べましょうね」

(終)

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