ロイヤル救世主/速水朋也

ロイヤル救世主
速水朋也


 わたしのレーンに「完成したコーギー」が流れてきたのは、わたしが二十四歳の誕生日を迎えて四時間と十五分が経過したときのことだった。

 二年生の春に大学をやめてから、わたしはずうっとコーギー工場で働いている。上京するまでこの場所には大学も、仕事も、結婚相手も、コンビニも、未来もなかった。そしてわたしには出ていく理由があった。でもそれは、わたしみたいな人間にとっては、東京に行ったところでたいして変わらないことだったのだ。そして、帰ってきたわたしを待っていたのは、田んぼと畑に混ざって無機質にそびえ立つ、大きな大きなコーギー工場だった。

 コーギー工場では日夜コーギーが生産されている。ここで造られているのはウェルシュ・コーギー・ペンブロークだ。どうやら外国の王様が飼い始めたことで人気になったらしい。工場のやけにつるつるしたパンフレットにそんなことが書いてあったのを、入社したころに休憩室で読んだ。やわらかいベージュの毛並みに、ぴんと立った大きな耳、胴は長く足の短い、なんとも愛らしい生き物だ。彼らも昔は人間に飼われながら子どもを産み、育て、繁殖していたけれど、あるときを境に絶滅してしまった。そしてそれを悲しんだお金持ちがコーギー工場を建てた。お金さえあれば大抵のことは何とかなる。コーギーもたくさん造れる。

 ここでのわたしの役割は、コーギーに目をはめ込むことだ。この仕事は工程の中でも難しいもののうちのひとつで、両目のバランスがおかしいと廃棄されてしまうのだ。近年廃棄コーギーの環境汚染が問題視されていて、再生可能コーギーの開発が目指されている。コーギー造りはほとんど食パン作りと同じで、粉と水を混ぜたものを発酵させたり焼いたりしてできる。わたしのところには、混ざって練られて寝かされて切られてふんわり焼かれたコーギーが無限に流れてくる。彼らにはわたしより前のラインの人たちが既に鼻や歯や爪をくっつけていて、いつもからっぽの眼孔がこちらを向いている。初めはこの景色がそれなりに恐ろしかったけれど、毎日眺めているうちにすっかり慣れてしまった。たとえ目が付いていなくても、コーギーはやわらかくて暖かいし、食パンのようないい匂いもする。ふるふる揺れる短いしっぽだってかわいい。

 わたしは右からゆっくりと流れてくるコーギーに、手元のバケツから掴み取った一対の眼球をそっとはめ込む。対になる目を見分けるのは、それなりに困難なことらしい。しかし、わたしには目を分け取る才能があるようだった。入社するときいくつかのテストを受けて、そこでこの作業に適性があると判断された。会社の人たちからは珍しいことだと褒められたけれど、喜んでいいのかよくわからなくてへらへらしてしまったことを覚えている。だって、わたしから見れば正しい目はいつもそこにあるし、それらは使われるべきときにこちらを見ているのだ。褒められるたびに、なんとなくみんなを騙しているような気分になるのだった。

 ベルトコンベアの上でおとなしく手元にやってくるコーギーに、わたしがすこし力を入れて目玉を押し込むと、やわらかな黒い瞳はくるくると眼孔に吸い込まれ、二、三秒もすると忙しなく左右に動き出す。これでコーギーはほとんど完成だ。このあと彼らは毛並みを整えられて、ラッピングを施された後に出荷される。世界中の人々がウェルシュ・コーギー・ペンブロークを待っている。そしてわたしはずうっとここで働いている。


「ケーキ、冷蔵庫に入ってるからね」

 つい「あ」とかすかな声が出た。工場の作業はひたすら単純だ。コーギーが来る。目を取り付ける。コーギーが来る。目を取り付ける。またコーギーが来る。目を取りつけている間に次のコーギーが流れてくる。この作業には慣れ切っているので、わたしがミスをすることはほとんどないけれど、ライン長は気難しい人だから、なるべく注意されないように慎重に作業する。わたしよりも前からここに努めている人。彼女くらいの年齢になったとき、わたしはどうしているだろうか。時々考えてみようとするけれど、そうするとつい手が止まってしまう。するとライン長ににらまれる。わたしは目の前のコーギーに集中する。ここではわたしは今のことと、昔のことだけを考えて生きている。

 作業中は、時計を気にするほど時間の流れをゆっくりに感じるので、なるべく時計のほうを向かずに仕事を続ける。ぼうっと目の前の犬たちを眺めているうちに、ゆっくりドライアイスが溶け出すみたいに、頭の中が煙がかってくる。そうしてわたしの脳内は作業から完全に切り離されて、好き勝手に回想を始める。


 どうして毎年チョコレートケーキなの。そう聞いたのは確か、小学校高学年のころだった。昔からわたしの誕生日には、母が必ず同じ店のチョコレートケーキを買ってきた。別に嫌いというわけではなかったけれど、まわりの友だちに聞くと、大抵がスタンダードにショートケーキを食べているみたいだし、わたしも他のケーキが食べたかったから、目の前で主役然とテーブルに並ぶそれを見つめながら聞いたのだ。母は少し困ったように、あなたがこれがいいって言ったのよ、と笑った。どうやら、わたしが四歳の誕生日にチョコレートケーキが食べたくて癇癪を起こし、喚き散らしたことをいまだに気にしているらしかった。当のわたしはそんなこと覚えていないのに、結局母は二十年間ケーキの種類を変えなかった。ショートケーキがいい、とは一度も言えなかった。

 母はよい人だった。専業主婦として父を支え、母親として子どもを大学まで行かせ(もっともわたしは中退してしまったけれど)、この狭苦しいコミュニティのなかでご近所づきあいを上手にこなした。というか、彼女はここで生まれ、ここで育った。そしてここで死んでいくつもりみたいだった。素直な母が喋るとその場の空気が明るくなった。誕生日を毎年祝ってくれた。時々わたしを叱ることはあったけれど、やたらと口うるさくすることは一度もなかったし、わたしに向かって大きい声を出すこともなかった。わたしは母のことが好きだったし、母も私のことが好きだったと思う。

 チョコレートケーキがいつのまにか好きではなくなっていたように、いつからか母のことが好き、とはっきり言えなくなってしまった。母は、おそらく母も気づかないうちに、わたしを製造していた。母の決めた配合で、母好みの温度で、母の定めた項目を一つ一つチェックして、わたしという人間を造り上げていた。高校生のころ、わたしはとても平凡な容姿をしていた。背は高くも低くもなく、やせているわけではないけれど太ってもいなかった。めだたない顔立ちで、普段から地味な服装だった。化粧もほとんどしたことがなかった。わたしは輪郭のぼやけた円のようだった。そして、高校三年生の秋、冷たい空気が頬にしみこむようになってきた朝に、突然、わたしは自分のかたちを変えてしまいたくなったのだ。

 わたしの住んでいる場所にはなにもなかった。家と畑。それがここのほとんどすべてだった。わたしの平凡でつまらない輪郭は、この土地のためにあつらえられたようなものだった。大学がない。仕事がない。結婚相手がいない。わたしには個性がない。ここには未来がない。そうしてわたしは東京の大学に進学した。普段から母の検品作業を通るためにこつこつ勉強していたおかげで、成績の面ではそれほど苦労せずに済んだ。反対されると思ったけれど、模試の判定を見せると案外すんなりと認めてもらうことができた。そしてわたしは都会に出て、二年目の春に大学を辞めた。結局、わたしはどこにも行けないように造られていたのだ。


 それは、田んぼと畑の真ん中にたいへん偉そうに君臨していて、まるで何光年も先からやってきた宇宙船のように見えた。異質だった。この場所を心底ばかにしているようにも見えた。その前に立って、すべすべとしたコンクリートに見下ろされて、わたしはそれまで自分がなにを探していたのか、なにがわたしを待っていたのかがわかったような気がした。コーギー工場の周りには人の気配がなく、冗談みたいに小さい入り口と、その横に時給と電話番号だけがかかれた貼り紙があった。そうしてわたしは、そこが何を造っている場所なのかもろくに調べもせずに、ここで働くことを決めた。


 耐えきれなくなって遠くのアナログ時計を見ると、夜勤が終わるまでだいたいあと二時間だった。この場所はいつまでたっても好きになれないけれど、起き上がる太陽を眺めながら帰る時間は好きだった。見飽きた田んぼ道も、特に思い入れのない同級生の家も、道端で何年も持ち主を待っている自転車も、朝のくっきりとした光に照らされているときだけは、川底に静かに眠る砂金をすくい上げるような、どこか秘密めいたきれいなものを発見したような気持ちになるのだった。ただ、今日は帰ったらあのチョコレートケーキを食べることになる。父と母と高校生の妹とわたし、きっちり九十度ずつにカットされたケーキは絶対に倒れない。チョコレートクリームの口内にはりつく甘さを思い出しながら、次に来るコーギーのために手元のビー玉みたいな目玉を拾い上げた。そのとき、不意に違和感を覚えた。それは感じたことのない視線だった。


 顔を上げると、完成したコーギーがいた。


 正確にはベルトコンベアのずっと上流から、未完成コーギーたちに混ざって、きらきらと輝く二つの目で、コーギーがこちらを見ていた。朝日によく似た目だった。わたしは自分の作業も忘れ、そのコーギーを見つめ返した。コーギーが口を開いていると、なんだか笑っているように見える。そうして眼孔がからっぽのコーギーたちがどんどんわたしの前を通過していく。思えばコーギーの完成品をじっくり見るのはこれが初めてだった。徐々にこちらに近づいてくるコーギーの視線はわたしから一向に動く気配がなく、さらに周りの人たちは誰もその異物に気がついていないようだった。わたしはそのコーギーをよく観察してみることにした。ただ、見たところでは目が既についていること以外をのぞいて、そのコーギーは他と全く変わらないようだった。同じ焼き加減、同じ色の毛並み、しっぽの揺れ具合までほとんど同じだった。国産のすてきなコーギー。そうして見つめているうちに、わたしは妙なことに気がついた。背が高い。というより、大きくなっている。そのコーギーは徐々に、静かに、なめらかに巨大化していた。仲よく縦一列に並んでいたコーギーたちを押しのけるように、質量を増しているのだ。前後のコーギーたちは逃げることもせず、おとなしくずるずると横にずらされていた。


 ふいに大きな電子音が響いた。振り返ると、ライン長がおもちゃみたいに真っ赤な非常ボタンを押したところだった。いつも不機嫌そうに黙りこくっていたその顔は、今は恐怖に引きつっているように見えた。今やコーギーの大きさはベルトコンベアの許容範囲をとうに超えていて、ラインをまたがるように立っている。その足の間を小さなコーギーたちが淡々と流れていく。ライン長の押したボタンは警備会社に繋がっていて、そう遠くないうちにたくさんの警備員がやってくるだろう。彼らはこの大きなコーギーをどうするつもりなのだろう。わたしはとうに自分の背丈より高くなったコーギーの、工場の白っぽい明かりを受けてつやつやと光る目を見た。コーギーは自分が巨大化していることにも、耳障りな警報が鳴り続けていることにもまるで無頓着そうな表情で突っ立っていた。コーギー工場で検品を通らなかったものは廃棄処分だ。もちろんサイズ規定だってある。コーギーがどこを見つめているのかはわからなかったけれど、その瞳が反射するわたしは、黒々とした曲面からわたしを見つめ返していた。わたしのするべきことは一つしかないように思えた。


「逃げよう」


 工場内は、機械たちのごうんごうんという鳴き声と、じりじり響き続ける非常ベルのせいでとてもうるさかった。わたしの声が聞こえているのかいないのか、コーギーはゆっくりと瞬きをした。今までこんなに大きな生きものの瞬きというものを見たことがなかった。わたしはその木の幹のような前足をよじ登って、コーギーの首の上に腹ばいになるようにしがみついた。何度か毛を引っ張ってしまったけれど、コーギーはうなり声もあげず、平気そうにしていた。コーギーはすでに工場のどの扉も通れないくらい大きくなっていて、わたしはコーギーのてっぺんから工場中を見渡すことができた。非常警報が鳴ってから、作業員たちはみんなベルトコンベア上のコーギーたちを放り出して、散り散りに逃げ出していた。二度とできあがることのないコーギーたちは、ベルトコンベアの上でひたすらに流されていく。最後の一人らしき女の子が工場を飛び出したのと、わたしのコーギーが屋根を突き破ったのはほとんど同じタイミングだった。

 それから先はあっという間だった。一時間ほどで工場はコーギーの前にあっさり全壊し、壊した工場と同じくらいの大きさになったコーギーは突然成長をやめた。ちょうど東の空から太陽が顔を出し、星たちが静かに去ろうとしているところだった。
気が遠くなりそうなくらいどこまでも広がる田んぼのなかに、退屈な見た目の家が点々と転がっていて、その薄明りの中には見慣れたわたしの家もあった。あの小さな箱の中に、わたしの家族が、母が、チョコレートケーキがある。一瞬だけ、帰ろうかな、と思った。ここから降りて、見飽きた退屈な道を歩いて、食べ飽きたケーキを飲み下して、しっとりと冷えた布団にもぐりこんで夕方まで眠ろうかな。でも、そのあとは?

 あんなに強そうだったコーギー工場は、そこで生み出された巨大コーギーの足元で粉々になっていた。だんだんと夜明けの光は白さを増してくる。がれきの山がさざ波のようにきらきら光る。そして、眩しい日差しがわたしの家にかかったとき、地震のような大きな揺れを感じた。

 コーギーが歩き始めていた。目的地はさっぱりわからないけれど、じきにここがどうなってしまうかは、わたしのはるか下でうごめくさざ波が教えてくれていた。コーギーの背中は、誰かと一緒にもぐるブランケットのように温かい。最後に自分以外の生きものの温度に触れたのは、一体いつだったっけ。この世界で一番大きいコーギーは、朝日の中で眩しく輝いている。わたしは揺れるコーギーに顔をうずめ、目の奥からせりあがってくる痛みをやり過ごそうとした。やわらかい風が、私たちの歩みを後押しするようにそっと吹いてくる。地面に響く破壊の音を聴きながら、わたしはそっと目を閉じる。
 
 おやすみなさい。

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