ボーイ・ミーツ・ユニバース/三班

ボーイ・ミーツ・ユニバース
三班(獅子川 傑・速水朋也・熱帯雨林・石原)


【起】獅子川 傑

 春風に吹かれ、彼女の白いワンピースはひらひらと揺れ、被っていたはずの麦わらの帽子は、風に乗り僕の手元へと落ちてきた。

 これが彼女との出会い。大学の桜並木の道の中。その運命の人は突如、僕の前に現れた。

「どうもありがとうございます」

 その言葉は優しい声色だった。

「あ、あのその。どうぞ、これ」

 声も低く相手の目もまともに見れずに、いやそらすかのように帽子を渡した。

「助かりました! じゃ、私急いでいるので」

 彼女はすたすたと走り去ってしまった。

 僕は彼女の顔をあまり見なかったからか、顔を思い出せない。心が「あああああ」と叫んでしまった。くそ。ハーブっぽい匂いだった。僕は、女性と話したことがあまりない。こんなに、色々こだわって生活しているのに女性の前だとみっともなくなるなんて。

 あれから、数日。校内の芝は一般開放している。都内にあるが、その緑の量は有名でテレビにも学力以外で取り上げられたことがあるそうだ。今日も、近くの付属幼稚園の子供たちが遊んでいる。大学内にいるよりも落ちつく。一人、大学の木を日陰に座って本を読んでいると

「あれ、こないだはありがとうございました」

「いや、どうも」

 引き気味にいう僕に

「こないだは目を合わせてくれなかったので分からなかったけど、こんな感じな人だったんだね」

「そうですか。じゃ、僕はこれで」

 逃げるようにその場からいなくなろうとすると

「え、待ってください。もっと話したいです。私」

 彼女は、目がクリっとしていて僕にはまぶしい。何なんだろう。なんで俺なんかと話したいのだろう。でも、今話さなかったら絶対後悔する。僕はそう思い、声をワントーン上げることを意識して言葉を発した。

「いいですよ。僕でいいなら」

「やった! いつがいいですか?」

 なんだこの急展開、でも一応予定を言ってみよう。

「僕は今日もう授業はありません。いつでもいいですよ」

「私、これから授業なのでそのあとで。連絡先だけ交換しましょう」

「そうですね」

 やばい。心臓の鼓動が早くなることを感じる。俺が女性と連絡先の交換なんて。

「じゃ、私から連絡するので。バイバイ」

「あ、うん」

 手を僕に振りながら彼女は授業に行った。彼女のラインのプロフィールは、桜で今の季節にピッタリのものだった。


 僕の大学は、小田急線沿いにある私立大学である。新宿からは準急で十五分。世田谷区の高級住宅街近くにある。この大学はエスカレーター式に進学してくることもあるお金持ちの多いことで全国的な知名度を持つ。僕はお金持ちとは縁のない、ただの公務員の息子である。進学率も高い高校を出て、都内の就職も安定していると評判のこの大学に入った。

 四限が終わりチャイムが鳴って少し経ったとき、連絡が僕のスマホに届いた。

「今、授業が終わりました。駅前のドトールコーヒーで話すということでどうでしょうか」

「分かりました。では、僕も向かいます」

 駅すぐ、会社員や学生が多く利用し、いつも満席に近い。

 どうやら、僕のほうが早く着いたようだったので、コーヒーを飲んで待っていた。僕はいつも、ホットコーヒーしか飲まない。少しすると、店内に入ってくる彼女が見えたので、少し手を振って合図をすると気が付いてくれた。

「お待たせ、待った?」

「少し前に着いたから、先に飲んでました」

「そこは、今来たところとか言うんじゃない?」

「僕にそんなことを言われても難しいですよ」

「そっかそっか」

「それで、話とは何ですか」

 僕は自分のうれしいという感情を殺しながら冷静を装い質問をした。彼女の話し方、少し年上みたいだな。オリエンタルブルーのTシャツに水色のスカート。さわやかで大人っぽい服装。

「だよね」

「不思議に思うよね。何か変だと思うけど、君みたいな人と話したら面白いんじゃないかって」

「なるほど。そういう理由でしたか」

「そう、私に教えてほしいんだよね。君の生き方、興味ある」

「その、どのあたりでそう思ったのでしょうか」 

 やっぱりかわいいけど、どこか変わっている。そんな印象を受ける。そういえば、自己紹介してないし、まずいな。

「あの、そういえば自己紹介してないですよね」

 彼女は少し顔が赤くなっていた。

「ごめんなさい。すっかり忘れていて」

 彼女の言葉は少し改まった。

「いえ、僕の方こそ言うのが遅くなってしまいました」

「僕の方から。名前は、工藤 新です」

「新くんかな」

「苗字より、名前がしっくりきます」

「今度は私ですね。私は、綾瀬 雪乃です」

「雪乃さんですね」

「そう、私もそのほうがいい」

「そういえば、新くんの質問に答えなきゃ」

「そうですよ。なんで僕なんかに興味が?」

 顔に手を当てながら、少し言葉を選ぶように

「新くんのその恰好だよ。シャツにジャケットに革靴。どう見ても普通には見えない」

 僕は親のシャツと革靴の姿に憧れ、大学に入ったら同じようになろうと決めていた。

「あとはね、趣味が面白いと思ったからかな。恰好が変わってるから」

「でも、少し当たっているかもしれません。友達に僕の私生活の話をしても社会人みたいと言われます」

「それでね、何か趣味は?」

「僕ですか。例えば、電車や東京観光、後は、美味しいものを食べに行くとかですかね」

「その服装は?」

「一応、好きなブランドを見に行ったりして買いますね」

「そのさ、東京観光というのは具体的には?」

「まあ、桜の名所に行ったりとか神社に行くとか庭園に行ったり時には浅草に行ったりして、ここで東京メトロを使うのも僕のおススメですね」

 長々と趣味を言ってしまった。ちょっと恥ずかしい。雪乃さんの興味を引くようなものはあっただろうか。

「じゃ、新君のおススメに今度行こうよ」

「え、僕と?」

 僕は、一瞬何も考えられなくなってしまった。

「うーん、僕も予定がありますから」

「雪乃さんはいつがいいとかありますか」

「次の五月の連休が空いてるかな」

 連休だとしたらどこも混んでいる気がする。自分の頭のなかで候補を絞った。

「せっかくだから、中目黒に行きませんか」

「新宿から乗り換えて、東急東横線で行けます。ついでに代官山の蔦屋に行きましょう。とても素敵な場所なので」

「プラン立て早いね。OKだよ」

「ではそういうことで」

 一応、どこに住んでいるかを聞くのが無難だな。遠いと悪いし。

「雪乃さんはどこに住んでいるんですか」

「私も一人暮らしで、この大学の周辺に住みだよ」

「すいません、そろそろ僕はバイトなので」

「詳しい話は後日、ラインなどで大丈夫ですか」

「そうだね。結構時間、話したよね」

「私、少しここに残るね」

「じゃ、僕はこれで」

「うん! またね」


 こうして、雪乃さんとの最初の一日が終わった。しょうがないことに、雪乃さんの個人的な情報。例えば、学年と学部とかを聞くことを忘れていた。ただ、分かったことは近くに住んでいることと、名前、僕に興味があることだけである。


【承】速水朋也

「ウィンナーコーヒーのウィンナーってなんだと思う? 私、小さいころはコーヒーにお肉が刺さってるんだと思ってた。大人って変なもの飲むんだなあって」

「確かウィーン発祥なんですよ」

「ウィーン? どこにあるの?」

「ヨーロッパです」

「ふうん」

 新くんは物知りだなあ、そう言いながら彼女は手元の白いカップに口をつけた。好みの味だったのか、その目元がふわりと緩む。ちなみに中に入っているのはウィンナーコーヒーではなく、まだ温かいカフェオレだ。一日を過ごして、雪乃さんは話題がころころと変わることを知った。彼女と話していると、僕の脳裏を、おもちゃ箱の中を手当たり次第に引っ張りだしてはそこらじゅうに散らかしていた、小さな妹の姿がよぎる。雪乃さんはそういう話し方をする。ちなみに妹はもう高校生になり、今は教科書と問題集を床中に散らかしている。どれも新品みたいに綺麗なはずだ。

「新くんは本が好きなの?」

「それなりに読みますよ」

「前に会ったときも読んでたよね。どんな本?」

 そこで僕は、つい先日読み終えた小説の話をした。高校生の男女二人が、ある出来事を通じて実は幼いころに出会っていたことを思い出し、心を通わせる物語だ。雪乃さんは身をこちらに乗り出すようにして聞いている。今日も、ほのかにハーブのような香りがした。

「私もそれ読んでみたいな。このあとまた本屋に寄っていい?」

「いいですよ。というか、今度会うとき貸しましょうか」

「いいの? ありがとう」

 うれしいなあ、と屈託なく笑う雪乃さん。

「雪乃さんは本、好きなんですか?」

 中目黒も代官山も、僕の提案でやって来た場所だ。誘った本人が雪乃さんとはいえ、彼女が楽しんでいるかどうかは、僕にとって重要なことだった。

「たまに読むかな。でも写真とか図鑑とか、そういうのを見ているほうが多いよ」

 蔦屋書店に来て、雪乃さんが特に興味を示したのが、写真集の棚だった。時間も場所もばらばらの空が切り取られた本や、世界中の摩訶不思議な建築物が収められている本、三百六十五箇所の風景を紹介するもの。雪乃さんはその大きな目を忙しく動かし、それらの背表紙を引き抜いては中身を眺め、面白そうなページを見つけると僕に見せた。

 そんな彼女は今、購入した一冊の写真集をこのカフェで開いている。世界の絶景が詰め込まれたそれを大切そうに抱える彼女が眩しかった。

「ウィーンの写真も載ってるかもしれませんよ」

「どんな街かなあ。みんなコーヒー飲んでるのかな?」

「そんなことないと思いますけど……。写真集が好きなんですか?」

「うーん、地球に興味があるの」

「地球に」

 やはり雪乃さんは不思議な人だ。ドトールで出かける約束をしたあの日、雪乃さんはまるで僕が大学近くで一人暮らししていることを知っているかのような話し方をした。初めて出会ったときに季節外れな服装をしていたこともあって、僕は人として変わっているのはジャケットに革靴を身につけた僕なんかではなく(僕の服装はそれなりに一般的なものだと思う)、今話している彼女のほうだと感じるようになっていた。僕はやや冷えてきたコーヒーマグを引き寄せ、スプーンでカラカラと混ぜた。手持ち無沙汰になるたびによくこうしてしまうのだ。そういえば、彼女に関する情報は今のところ更新されていない。僕からそう遠くない場所に住んでいて、なぜか僕と地球に興味を示しているらしい。ほとんどそれだけだ。綾瀬雪乃という人間の輪郭は、いまのところひどくぼんやりとしたものだった。ここは少し、彼女について知るべきだ。

「雪乃さんはどのあたりの高校に通ってたんですか」

 大学に進学したなら高校も出ているだろう。彼女の育った地域や、高校時代の思い出を自然と聞き出すことができると思った。しかし、彼女の反応は僕の予想とは離れたものだった。

「えっ高校? ああ、高校ね、えへへ……」

 いつも僕を真っ直ぐに見つめてくる一対の瞳が、宙を泳ぐ何かを探すかのように不思議な方向を向いている。指が所在なさげに動き、手元のカップを掴んだ。誰がどう見ても答えにくそうだった。もしかして触れてはいけなかったのだろうか。僕の頭にいじめ、病気、退学等々、思いつく限りの不穏なワードが立ち込めた。

「こっ、高校、新くんはどこに通ってたの?」

 慌てた調子で質問が返ってくる。腑に落ちない部分はあるが、もし話したくないなら聞かないほうがいい。彼女のことを知らないまま過ごすよりも、僕は彼女がこちらを向いてくれなくなることのほうが恐ろしかった。僕が母校の無難な思い出を話し始めると、雪乃さんの挙動はもとにもどり、いつもの忙しない会話が始まった。雪乃さんは質問が多い。僕たちに質問者と回答者の役割は基本的に固定されていて、雪乃さんの情報が開示されることは少ない。

「新くんは文系科目が得意だもんね」

「私立文系ですからね」

 雪乃さんは?と聞こうとして言葉に詰まる。どうやら彼女には話したくないことがあり、僕はそれに触れることを恐れていた。そもそも会話にはあまり自信が無いのだ。どう返そうか悩んでいると、

「朝日ちゃんは? やっぱり文系?」

 カラン、と音がした。僕がスプーンを落とした音だった。テーブルに濁った水滴が落ちる。朝日ちゃん?

「……どうして、僕の妹の名前を知ってるんですか」

「えっ」

「朝日のこと言いましたっけ」

「……あ、間違えた」

「間違えた?」

「わ、私ちょっとお手洗いに行ってきます!」

「待って!」

 立ち上がろうとする彼女の腕を思わず掴む。細くてつめたい腕だった。工藤朝日、僕の妹。彼女は一度も聞いたことが無いはずの僕の妹の名前を、さらには僕が実家を出ていることをあらかじめ知っているようだ。僕に興味を持っているが、僕みたいな人間は珍しくもなんともない。高校について話そうとしなかった彼女を思い出す。彼女は何かを隠しているのか?

「雪乃さん、雪乃さんはもしかして」

 僕のなかにひとつの仮説が生まれる。

「……やっぱり今のでバレちゃったよね」

 雪乃さんがそっと腰を下ろす。その動きで我に返った僕は慌てて手を離し、すっかり冷めてしまった褐色の液体を飲み込んだ。気まずそうな、どこか悲しそうな彼女の声を聞きながら、僕は例の小説のことを思い出す。出会った日のことを忘れていた二人の話。あれは物語の世界だったけれど、ありえない話ではない。ひょっとして、彼女はかつて、

「僕と昔、会ったことがあるんですか」

「私ね、」

 しかし、僕に被せるように発された彼女の言葉に、僕の考えは完全に打ち砕かれた。

「私、宇宙人なの」

 僕の手元にあったはずのカップは消え、陶器の砕ける音が僕と彼女の間に響いた。


【転】熱帯雨林

「申し訳ありませんっ」

 携帯電話に耳を当てながら、頭を下げる彼女を見つめる。宇宙人の社会でも電話越しに頭を下げる文化があるらしい。僕に正体を明かしてしまった彼女は絶賛叱咤され中だ。

 数分前、僕は彼女が宇宙人であると知ってしまったわけであるが、僕にとっては特に気にするようなことでもなかった。正直、人間でも宇宙人でも、見た目が可愛ければそれでよかった。最も驚きはしたけれど。

「はい、わかりました。失礼します」

 丁寧に二回お辞儀した後、彼女は電話を切る。そして、

「大丈夫みたい」

 と、安心したように笑った。

「何が大丈夫なんです?」

 と、至極当然の質問をぶつける。

「君なら記憶処理の必要はないみたい」

「なんですそれ……」

 彼女から放たれた恐ろしい響きのワードに、内心震え上がる。

「宇宙人ってことがバレたら、基本的に対象の記憶を消すことになってるの。こっちの不手際が原因だとしてもね」

「ひえっ」

「宇宙人の存在は基本的に隠匿しないといけないの」

 理不尽な宇宙人ルールだ。ドジな宇宙人がいたら、それはもはや記憶テロリストだ。そして彼女にはその才能があるのかもしれない。自分から宇宙人を名乗るなんて正気の沙汰ではない。

「新くんは変わっているから、特に影響はないだろうって上司が判断したみたい」

 僕は彼女の上司の賢明な判断に感謝した。額に浮いて出てきていた汗を拭きとる。

「ところで、何故地球に来たんですか?」

 わざわざ地球に、日本に、東京に来た理由は何だろうか。確かに他の星に比べれば観て回るところはあるだろうけれど。

「名目は地球の視察、目的は観光だよ。来たかったんだ、東京」

「視察?」

「上司がね、地球人の生活様式を調べて来いって言うの。めんどうくさいよね」

 彼女はやれやれ、といった風に肩を竦めた。本当にやる気がなさそうなことが見て取れる。しかし重要なのはそこではない。

「僕に興味があるのも、生活様式を調べるための、サンプル的な意味合いなんですか?」

 僕は若干のショックを受けながら、恐る恐る聞いた。

「うーん、どうだろう。新くんがサンプルとして、面白い人間ではあるけれど、私自身が個人的に興味があるのも事実だよ」

「そうですか。それなら、良かったです」

 彼女はよくわからないといった表情をしている。僕は彼女が個人的に興味を持ってくれている、それだけで嬉しかった。

「じゃあ新くん」

 雪乃さんは改まって僕の方を向いた。

「これから、よろしくね」

 僕は慌てて反応する。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 少し改まりすぎてしまった。そんな僕を見て彼女はクスクスと笑う。

「やっぱり面白い人」

 緊張なのか、恋しているからなのか、笑う彼女見て、僕は胸を高鳴らせていた。


 その後、適当に街をぶらつき、そんなこんなで初デートを終えた。この機会に彼女について知りたかったけれど、些か特殊すぎる情報ばかり入手してしまった。

 ただ、僕は彼女のことが好きであるということを確信することはできた。きっと、変わり者らしい僕は変わった存在である彼女に惹かれてしまうのだろう。

 デートの別れ際、僕は彼女と約束をした。それは東京を案内するというもので、それは再びデートの機会があるということを意味していた。彼女からの提案である。勿論OKして、来週に行くことを決めた。

 毎回、一度デートをすれば、二度と同じ人とデートをしたことがなかった僕にとって、これは感涙に咽いでしまうような出来事だった。


 初デートから数日、僕は次のデートを待ち遠しく感じながら、大学生活に勤しんでいた。といっても、大学生は基本的には暇で、課題・バイト・趣味(読書)の繰り返しであったけれど。

 そんなある日、またしても校内の芝で読書をしていると、

「またここで読書してるんだね」

 と、雪乃さんが現れた。彼女は本当に神出鬼没だ。いつも何処にいて、何をしているのか。

「この場所、お気に入りなんです。読書に集中できて」

 座っている僕を覗き込んでいる彼女を見上げた。

「変わってるね」

 彼女は楽しそうに笑っている。どこが変わっているのかはわからないけれど、彼女に喜んでもらえたようで何よりだ。

「そうですかね?」

「新くんくらいだよ、こんなところで本を読んでるのは」

 確かに、周りを見渡しても読書をしている生徒はいない。大抵の生徒は図書館にでも行くだろう。

「図書館だと人がいて落ち着かないんですよね」

「ここも人いるけれど?」

 ぐうの音も出なかった。ので、白状する。

「かっこつけてました。すみません」

「ふふっ、そうなんだ」

 尻についた草を払いながら立ちあがる。

「一緒にお昼なんてどうかな?」

 彼女から、ありがたいお誘いを受ける。

「勿論行きます。どの店に行きます?」

 イタリアンもいいし、お寿司もいい。

「新くんがいつも食べているところがいいな」

 思いもよらぬ提案に少し驚く。

「いつも食べているのは食堂、ですかね」

「じゃあそこに行きましょう」

 彼女はパンッと手を合わせた。思うが彼女はリアクションが大きい。

 昼時の食堂は人で賑わい、大変混んでいる。キョロキョロと空いている席を探し、運よく二人分の席を確保する。

「すごい混んでるんだね」

「いつもこんな感じですよ。というか食堂に来るのは初めてなんですね」

 大学に来ているはずなのに、食堂に来たことがないのは驚きだ。

「うん、初めて来た。いつもこんなところで食べてたんだ」

「こんなところで食べてます」

 雪乃さんは、「ふむふむ」と頷いている。

「僕と同じものを?」

「うん、同じものを」

 言われて僕は、定食の食券を二枚購入する。量だけは多い定食だけれど、彼女は食べきれるのだろうか、と思考する。

 しかし、それは杞憂であった。

「おいしかった。学食っていうのも悪くないね」

 ペロリと、僕よりも早く食事を終えた彼女はそう感想を述べた。咀嚼の数が少なく、全くなく、まるで飲み込んでいるかのようだった。これも宇宙人の特徴なのだろうか。ともあれ、雪乃さんが満足そうで何よりだ。

「そういえば、何故急に?」

 会話に困ったので、食事に誘った理由を聞いてみる。

「ん? 特に理由はないよ?」

「僕はてっきり、生活様式の調査を兼ねているのかと思っていました」

 雪乃さんが地球に来た本来の目的は、視察のはずだ。食事なんかはまさにその対象だと思ったのだけれど、違うらしい。

「ちょっと待ってね」

 彼女は自らの首に手を当てると、何かをカチリと押した。

「上司に聞かれちゃうからね」

 彼女はお茶目な感じに目配せする。しかし、人間にその常識は存在していない。

「ちょっと待ってください」

「何? 新くんも録音機をシャットダウンするの?」

「いや、しませんよ。ありませんよ」

 彼女が人間を調査していることを疑うような発言だ。

「録音機って何ですか。僕たちの会話、第三者に聞かれているんですか」

 それはなんというか、恥ずかしい。プライバシー。僕の個人情報は何処へやらだ。

「ずっと上司に聞かれてるよ? ほら、私が宇宙人ってことをうっかり白状しちゃったとき、すぐに通信がきたでしょ?」

 僕はカフェでのことを思い出し、そういえば、と納得する。

「じゃあ、なんで今通信を切ったんですか?」

 すると彼女は、「秘密の話をするからよ」と悪い顔をした。

「秘密……ですか?」

「そう、秘密。……実は私、調査をサボってるの」

 若干、小声になりながら話す。

「なんでサボってるんです? 仕事はしっかりやらないとダメですよ」

「わかってるんだけど、調査を終えたら、帰らなきゃいけないの。ちょっとでも長くいたいから、私」

 彼女は何でもないかのように、さらりと言う。

「帰るって、どこにですか?」

「母星だよ。私程度の権限だと、地球に長く滞在することは許可されていないからね」

 いきなり告げられた事実に動揺を隠せない。そんな、いかにも宇宙人らしいことを。僕は手に持っていた箸を落としてしまった。箸はカランと音を立てて床に転がる。

「地球人は、驚くと手に持っていたものを落とす習性でもあるの?」

 彼女は変なところに注目する。そしてそれは誤った認識だ。

「ないですよ、そんな習性。それより滞在期間があったなんて……。それはいつなんですか?」

 それは人類の習性じゃなくて僕の癖です、と彼女の知識の訂正をしつつ聞く。

「うーん。今すぐに帰れ、なんてことはないと思うけれど」

 顎に手を置き、悩む仕草をしながら彼女は続けた。

「次の新くんとの東京観光は行けるんじゃないかな。その後はわからないけど……」

 宇宙人の時間感覚が人類と異なっていることを期待したけれど、あっけなく打ち砕かれる。

「じゃあ、次が最後かもしれないってことですか?」

「そうかもね」

 淡々と言う彼女に、若干の苛立ちを覚える。僕はこんなにショックを受けているのに、彼女は気にもしていないように見えてしまう。

「そんなの、僕は嫌ですよ。せっかく出会えたのに……」

 コップの水に映った自分の情けない顔を、手で覆って隠す。そんな僕の腕に、彼女の冷たい掌が触れた。

「大丈夫。新くんは辛い思いはしないから」

 彼女は優しく微笑む。

「来週、楽しみにしてるから」

 そう言って彼女は、食器を持って席を発った。僕はただ呆然と、人ごみに消えていく彼女を見つめていた。


 その日の夜、僕は窓を開けて空を眺めていた。

「どの辺が彼女の母星なんだろう」

 センチになりながら、独り言を呟く。見上げた宙は真っ暗で、星の一つも見えない。大きくため息を吐く。今日の昼以降ずっとこうだ。

 窓を開けたまま布団に倒れ込むと、スマホに通知が届いていることに気が付いた。

『雪乃さん:既読 東京タワーに行ってみたい』

 落ち込んでいたけれど、彼女のメッセージを見て口元が綻ぶのを感じた。

『自分:既読 了解です。是非行きましょう』

『雪乃さん:既読 やった、案内よろしく!』

 もしこれが最後なら、せめていい思い出にしよう。

『雪乃さん:既読 おやすみ!』

『自分:既読 おやすみなさい』

 夜風が部屋へと吹き込んでくる。僕は窓を閉め、布団に潜り込んだ。

 雪乃さんとのデートはもう数日後に迫っている。その日にせめて、想いを伝えよう。僕は彼女のことを頭に思い浮かべながら、瞳を閉じた。


【結】石原

 先週の『劇場版 名密偵ポナン』は微妙だったが、今週見た『オベンジャーズ エンドレス・ウォー』はなかなか良かった。しかし、綾瀬雪乃だ。自分は宇宙人だと彼女は自称したわけだが、思えば確証らしい確証がない。

――いや、そもそも確証らしい確証がない。綾瀬が「自分は宇宙人だ」と言ったから僕は反射的に「彼女は宇宙人だ」といつの間にか自分の中で「前提」としていたのだ。

 批判的視座の回復を試みようとすればするほど、綾瀬の存在が不気味なものとなっていった。

 そもそもわざわざ帽子を拾ったという些細な機会を境に、彼女は僕にやたらと接近しようとしている。帽子を一度拾ったくらいで! 

 ということは、彼女が僕に一目惚れしたのだろうか? 逆ナンだ。となると、ある意味彼女は「宇宙人」だ。あまりにもスムーズに僕の連絡先を聞き出し、僕へのアプローチをあまりにも淡々とこなし続けている――あり得ないほどに。

 しかし問題の本質はかなり本気で「自分は宇宙人だ」と彼女が自称したと言うことである。率直に言って「あり得ない」。厳しく言えば「冗談もほどほどにしてくれ」――『狂ってる』。

 携帯電話で「母星の人」と話しかけていた場面があったが、冷静に考えてみると僕はその「母星の人」の声を聞いていない。距離があったからと言う訳もあるだろうが、まず彼女のイカれた演技力と想像力による捏造だったと言うのが「マトモな頭」で考えうる道理じゃないか?

 綾瀬雪乃は、かなりイかれている。

 残念ながら、それは避けられようがない真実[truth]だった。ポスト・トゥルース/フェイクニュースがなんだってんだ——彼女の存在はポスト・トゥルース/フェイクニュースどころの騒ぎじゃない。そもそもあまりに彼女は全てにおいて自然体すぎた。本当に悔しいし、恥じているが僕はこの頃彼女を巡って全てを鵜呑みにしてしまっていた。しかし、いまなら言える。

 彼女は宇宙人ではない。と言うことは、地球に長くいられないもクソもない。

 それが僕の――至極まっとうな――アンサーだ。

 ぼくの身体は待ち合わせ場所の東京タワー展望台にある。さて、綾瀬雪乃だ。もう槍でもなんでも持ってかかってこい。そんな気分だ。

「甘いねえ、チェリー・ボーイ」

――? 誰かの囁き声。しかし僕の身の回りにはそれらしき人影はいない。

「宇宙人はいる。宇宙人はある。それ自体として――

「うるさいっ――!」気味の悪い声だった。

「待たせたな」一瞬の瞬きのうちに僕の目の前に「いた」。宇宙人のようなものが確かにいた。しかしそれが宇宙人かどうか、人によって判断に困るものだった。それは頭まですっぽりと銀色のタイツ「のようなもの」で包まれている。頭部の先端は「それらしく」尖った形状をしていてレモンのような形状。唯一露出した顔は程よく焦げ、太眉にやや大きな眼、健康的な顔つきだ。齢は四〇にはいっていないくらいだろうか。

「誰だ——?」

「ウチュウジン、といったら?」

 確かに一瞬のうちに僕の目の前に現れたことは、認めざるを得ない。「それでも、ウソだ」僕はいった。

「なかなか――お堅いやつ」かなり緊張した短い時が流れる。「目的は」と僕。

「それを言ったところで?」

「お前には、説明責任がある――」

「まあそう焦りなさるな――息でも抜こうか」

 言われるがままに、僕はそれと東京タワー近くの「カラオケ館」に行くこととなった。LINEによると綾瀬は遅れてくるらしい。そしてそれは異様なプレッシャーによって、半ば自然に僕を連れて行った。


「♪ おっはよう 世のっ中 夢をつーれて くりかえーした(略)つぅづーくー 日々のぉ 道ぃのーさぁきぃのー(略)」

 このレモン野郎…その身なりには似合わない星野ゲーンをそいつは歌っていた。しかもかなりうまい。さらにあの星野ゲーンの「スカした」と言う形容句を水で薄めたような、しかし抑揚を抑止することによって最小公倍数の人間に好かれようとするようなあの振り付けを完コピしている。あのやたら上下に動くしつこい足の運動……

 89点だった。「星野ゲーンは、ナンセンスだ」と思わず僕。

「どうして?」

「星野は〈敗北主義者〉だ。ヤツはシンガー/作家を名乗っているようだが、ヤツは創作をしているようで、していない。どういうことか――ヤツは〈いわゆる星野ゲーン〉的なシュミラークル(虚像)を淡々と量産しているにすぎない。メッセージ性に対する緊張感が薄い、本当に薄い――最近の『劇場版 トラえもん』のような欺瞞――メッセージ性に対する誠実さにおいて星野は敗北し続けているし、情けなくも彼はその状況を肯定し続けている」

「これだからチェリー・ボーイは……星野ゲーンは長きデフレ時代を通過した後の〈きたるべき主体〉だ。一つや二つMVを見てみろ。あの贅肉を削いだ機能主義、敬虔さ——星野ゲーンは極めてユニクロ的だ。消費者の期待以上と期待以下のはざまで、したたかな強度を蓄え続ける。私たちは星野ゲーンと言うユニクロ製品をいつの間にか、無意識のうちに身につけている――星野ゲーンとは、理知的な資本主義者だ」

「であるなら、より一層星野ゲーンの責任を追求しなければならない。2013年以降のヤベノミクスと星野ゲーンとの関係性…少なくとも『SUN』(2015)以降の星野はデフレ的ではない。それは間違いない。見ろ!『SUN』のジャケ写を――星野ゲーンはそれはまでずっとジャケ写においてあのようなあからさまな笑顔など作ることはしなかった。「君の声を聞かせて」などとオーディエンスへ不用意に語りかけることなどしなかった。そして『恋』(16)でヤツは文字通り『狂った』。星野ゲーンの、あの古垣結衣への鼻持ちならない「気取っ」た接触態度、最小公倍数的なほくそ笑み、中途半端に高いシャンプーの匂いのする風貌——ヤツは「夫婦を超えてい」くことなどできない。せいぜいその最小公倍数的な精神性を、あの中途半端に高いシャンプーの匂いがする声に乗せて、イオンモール構内のBGMとして曝け出していくだけだ——」

「しかし――逆にこうも言える。彼はそれほどまでに「繊細」だ」

 次もそいつの番だった。「♪ 夢の外へ つれえってーて ただ笑う顔をー みさせて この世は ひーかりい うつーしてるだけ」

 次の瞬間だった。個室の扉が開く音。「♪ いつのまにか 明けるよるぅ」――綾瀬!? あり得ない――綾瀬はマイクを持って部屋に入ってきた。デュエット――?


(レモン野郎)「とおぉーりいを 焼く日差し 夢日記は あけ←たままでー 夏は とおーりをゆくう」

(レモン野郎・綾瀬)「嘘は真ん中をゆくう ドアのそおとへつれえってーて ただ笑う声を→きーかせて この世はひーかりい うつーしてるだけ」


 また扉が開いた。またしてもあり得なかった――大勢の宇宙人のようなものが部屋に入ってきたのである。勿論全員あの銀色のタイツ「のようなもの」を着ている。ただ顔を見てみると多種多様なタイプが点在していた。みんな、楽しそうだ。


(黒人系宇宙人)「自分だけえが 見えるものーと」

(白人系宇宙人)「おおーぜいで← みる世界の」

(比較的若い宇宙人)「どちらが 嘘かえらべばいい」

(年寄りの宇宙人)「君は どーちらをゆく」

(よくわからない宇宙人・綾瀬)「僕は 真ん中をゆく」

(全員)「意味のそーとへ つれえーえってーて(略)この世はひーかりー うつーす鏡だ」


 ――あり得ない、ふざけるな——何が起きている?『夢の外へ』は間奏に入る。僕以外の全員がMVにある、あの右と左によく動く、足だけを妙に動かすダンスを始めた。楽しい、あまりにも楽しいバイオリンが流れる。

「Just sing!」黒人系宇宙人が僕に語りかける。――「歌う」。

――歌えば、いいのか?――

 バイオリンは楽しく僕に語りかける。「fiú, Énekelj mosolyogva!」[坊や、笑顔で歌おう!]白人系宇宙人は星野ゲーン風のステップで僕に近寄る。「♪ いつか 遠い人や国いの空ー おーもい届けばあいーいな(略)目の前に現してー」


――僕は、マイクを握った。

「♪ 現してぇー……」


(工藤)「夢の外へ連れってって」

(レモン野郎)「頭の中から世界へ」

(綾瀬)「見下ろす町を歩き出せ」

(その他宇宙人)「夢を外へ連れ出して」

(全員)「妄想その手で創れば」


(工藤・綾瀬)「この世が光いー 映すだぁけーーっ」……


(完)

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