【現代文化論への準備2】 先鋭化するイデオロギーの三〇年/碇シンジ・夜神月・エレン・イェーガー  /石原劉生

【現代文化論への準備2】
先鋭化するイデオロギーの三〇年/碇シンジ・夜神月・エレン・イェーガー
石原劉生


 そういえば前回、筆者は哲学者・千葉雅也(■1)の、

 90年代までは、文化のデータベースをつくっていく時代で、まだまだコード(筆者注:お約束/常識)の外に新しいものがあると期待することができました。しかし2000年代を経て、あらゆる可能性が出尽くしてデータベースに登録されてしまい、大体の物事はパターンの組み合わせだと見切りがついてしまった。そういうわけで、脱コード化して新しいものを求める活力がなくなってしまった
(THINK ABOUT、「新しい価値をつくる」のは、もう終わりにしよう。哲学者・千葉雅也氏が語る、グローバル資本主義“以後”を切り拓く「勉強」論。//corp.netprotections.com/thinkabout/2404/)


 を引いたが、しかし、私たちはどのように「2000年代を経た」のだろうか、という箇所に注目したい。これはつまり、私たちは今どのような「状況」にいるのか、という問題と地続きの問題である。

 私たちは今どのような「状況」にいるのか。それには言わずもがな、言語もしくはそれに近い表現が必要である。例えば00年代ごろ、千葉に影響を与えた哲学者・東浩紀(■2)はすでにこう提言していた。


 そもそもぼくたちが生きているのは、第一に冷戦が崩壊してイデオロギーの後ろ盾がなくなり(左翼の威光がなくなり)、第二にグローバリズムの進展によって海外思想の「輸入」に意味がなくなり(カタカナの威光がなくなり)、第三にエンターテイメントの構造が変わり文学が失墜した(文芸批評の威光がなくなった)、そんな時代です。したがって、その環境で思想や批評の市場を再起動させようとすれば、もはやサブカルやネット(筆者注:この場合、アニメ・漫画の類/当時勃興しつつあった旧2ちゃ んねる文化圏やニコニコ動画などを指す)の厚みに頼るほかない。
(東浩紀「なんとなく考える16 仕切り直し」『文學界』、2009年)


 東自身は現在その思想を転換しているものの、この指摘は現在もなお進行中の事である。

 思想や批評の言葉を「サブカルやネットの厚み」に頼る、そしてそれは私たちの身の回りにある表現や現象を抽象化し、社会/世界全体についての、精度の高い言葉を生産する。

 この提言の実践ないし議論の一出発点として筆者が挙げたいのが、こちらもまた東の影響下にある批評家・宇野常寛(■3)の評論『ゼロ年代の想像力』だ。


 『ゼロ年代の想像力』において、宇野は端的にこういう。


 この「古い想像力」(筆者注:90年代的な感性のこと。宇野は平成不況の深刻化による「がんばっても、豊かになれない」感覚/オウム真理教テロを筆頭とする不明瞭・不可解な現代の諸事件を生んだ社会不安が示唆する「がんばっても、意味が見つからない」感覚の二つを挙げている。)を代表する作品としては、一九九五年から一九九六年に放映されたテレビアニメーション『新世紀エヴァンゲリヲン』が挙げられるだろう。

(略)物語の後半、(筆者注:「エヴァ」に乗り、戦うことを命令される主人公の)碇シンジは「エヴァ」に乗ることを拒否して、その内面に引きこもり、社会的自己実現ではなく、自己像を無条件で承認してくれる存在を求めるようになる。

(略)このシンジの「引きこもり」気分=社会的自己実現に拠らない承認への渇望が、九〇年 代後半の「気分」を代弁するものとして多くの消費者たちから支持を受け、同作を九〇年代カルチャーにおいて決定的な影響を残す作品へ押し上げた。
(宇野常寛『ゼロ年代の想像力』、2008年)


 現代文化ということで、筆者は昨今の新海誠の状況を軽くなぞったわけだったが、とりあえず話をここでは一旦「わかりやすい」存在である『エヴァ』から出発することとする。

 『エヴァ』は、このようにして「引きこもっ」た。しかし宇野によれば、00年代の状況を鑑みると今の時代は「引きこもらない」らしい。議論の重要な出発点なので長く引くが、――

 だが二〇〇一年前後、この「引きこもり/心理主義」的モードは徐々に解除されていくことになる。簡易に表現すれば、二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ、小泉純一郎による一連のネオリベラリズム的な「構造改革」路線、それに伴う「格差社会」意識の浸透などによって、九〇年代後半のように「引きこもって」いると殺されてしまう(生き残れない)という、ある種の「サヴァイヴ感」とも言うべき感覚が社会に広く共有され始めたのだ。

(略)

 では、九〇年代の「古い創造力」を体現する作品が『新世紀エヴァンゲリヲン』ならば、こうしたサヴァイヴ系に象徴されるゼロ年代の想像力(筆者注:ここでは『バトル・ロワイヤル』[99]、『砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない』[04]などの作品を指している)を体現する作品はなんだろうか?

 それはおそらくヒットの規模と作品の内容から考えて、大場つぐみ・作、小畑健・画による漫画『DEATH NOTE』(二〇〇三~〇六連載)だろう。
(略)(筆者注:容赦無く障害となる者を抹殺していく主人公の)夜神月は碇シンジと同等に、いやそれ以上に、「社会」を信用していない。(略)つまり、それまでの社会(のルール)が壊れたことに衝撃を受けて引きこもるのが碇シンジなら、社会の既存のルールが壊れていることは「当たり前のこと」として受け入れ、それを自分の力で再構築していこうとするのが夜神月なのである。

(略)このふたつの作品の対応は「いじけて引きこもる」と「受け入れて立ち上がる」と対照的である。当然時代が下っている分だけ後者の方が自覚的である。そしてゼロ年代の今、多くの若者たちに支持されているのも後者の想像力なのだ。            
(同上)


 しかしここで筆者はエクスキューズを入れたい。二〇一〇年代のリアリティは宇野のいう「当たり前のこと」、宇野の想定を通り越しているのではないか。――筆者は「その後」を描くため一定以上の影響力を持った「10年代の想像力」たちに着目したいと思う。

 「10年代の想像力」の内、代表的な作品とは何かと考えたときに、筆者が提示するのは月並みだが、大規模の支持を10年代を通して獲得した漫画を起点とする一連のコンテンツ『進撃の巨人』[2009-]である。

 端的に筆者が『進撃の巨人』を介して提示したいのは「引きこもる」思想でもなければ、「引きこもらない」思想でもない。「引きこもろうもなにも、そもそも引きこもる場所がない」と言う状況、そしてその状況における世界観だ。

 『進撃の巨人』はスキャンダラスな装飾に彩られた作品だ。作中、「平和を謳歌できる環境/主人公たちの居住するウォール内」は破壊者・巨人の存在によって、一瞬かつ半ば冷笑的に粉砕される。そして物語は進行とともに「壁の内側」の人間の暴力性と「壁の外側」の巨人の暴力性が混在していき、ついには「人間は巨人になりうる」と言うテーゼさえ現れてくる。勧善懲悪を俯瞰した混沌に対する眼差しが、『進撃の巨人』では貫かれている。

 批評家・村上裕一が指摘したように、ここにあるのは秩序の崩壊による「大きな物語」のリアリティ(世界が滅ぶという畏れ)/碇シンジ的なものと、秩序の崩壊の中でサヴァイヴする「小さな物語」のリアリティ(秩序の崩壊の中で生き残っていこうとする意思)/夜神月的なものが結託している。

 主人公エレン・イェーガーの言動を見ていけばわかりやすい。巨人により母親を殺害されたエレンはその憎悪(巨人の駆逐)を胸に調査兵団/政府軍へ入団する。エレンは夜神月のようにこの世界を武器で持って、サヴァイヴしようとする。ここで注意が必要なのは、エレンは「サヴァイヴす」るために「心臓を捧げ」て、「世界の危機/滅び」に対峙する、という立場をとっている点だ――やっていることは夜神月なのだが、考え方が碇シンジなのである。

 政府軍(国民国家的なもの)に属して「心臓を捧げ」ると宣言しているわけだから、ここにナショナリスティックな暴力性を読み込めるとして懸念を示す、という評価を下せる余地があるかもしれない。がしかし、エレン・イェーガーの「意思」は単純に国民国家に回収されるのだろうか? 先に述べたとおり、『進撃の巨人』は巨人の暴力と人間自体の暴力とを両方を見せていく構造を持っており、一枚岩ではない。ひとまずは『進撃の巨人』は新たなリアリティの獲得を達成しているといえそうだ。さてこのような00-10年代ごろのヒーロー像の変容に着目したが、筆者が付記したいのが、作品の暴力性のレベルだ。

『恋空』においては、「内面」の〈深さ〉のようなものが描かれていないけれども、「操作ログ」の〈緻密さ〉のようなものが刻まれているということ。(略)「操作ログ的リアリズム」とでもいうことができるでしょう。それは(略)ひたすらケータイというメディアにどう接触し、操作し、判断し、選択したのかに関する「操作ログ」を描くものである、と。
(濱野智史『アーキテクチャの生態系』、2008年)


 いきなりの引用だが、これは宇野常寛と近い関係にある情報環境学者・濱野智史(■4)が提唱した「操作ログ的リアリズム」に関する記述である。 

 ここで議論の対象になっている00年代当時のケータイ小説ブームの一翼を担った小説『恋空』[05]は、激しい非難を受けた作品だった。登場人物たちがなんの脈略もなく、「突然」にレイプ/妊娠/流産/難病などの重大な事態に襲われる様子を淡々と描く(あるいは、ように見える)内容は文学的な〈深み〉のかけらがない「いかにもケータイ小説的」なものとして俎上に載せられたのだ。

 しかし、濱野は「突然/なんの脈絡もなく/淡々とした/淡白な」あのケータイ小説的な感覚とは実は、「ケータイをいじってるときの感じ」(操作ログ的リアリズム)を表現したものである、と評価したのだ。

 そしてこれは、『DEATH NOTE』的なリアリズムではないだろうか。夜神月は「名前を書くと、書かれた者が死ぬ」ノートを所持していて、それが物語を動かす力になる。「名前を書く」→「死ぬ」、よく見てみると『DEATH NOTE』の暴力性は実に淡白であり、操作ログ的リアリズム的だ。

 しかし、『進撃の巨人』は違う。エレンを筆頭とする戦士たちは「直接」鮮血を浴びて戦う。そして異形の破壊者巨人に「直接」身体を破壊され、食われるのだ。「ケータイをいじっている感じ」どころではない。『DEATH NOTE』/宇野・濱野的想定は何か「限られたスケール」の範囲内で行われていたように思うわけだ。

(続)


■1 七八年生まれ。哲学者/立命館大大学院准教授。
 ポスト東浩紀と見られる言論人の一人。東と同じくフランス現代思想を専攻し、ドゥルーズ研究で世に出た(しかしながら今年の春ごろ、東とジェンダー問題をめぐって衝突、Twitter上で口論になり思想的決裂に至った)。今では国内でもそこまで多くない80年代以降の日本のポストモダニズムの伝統をくむ言論人の一人でもある。

 ソーシャルメディア(+マス・メディアとの結合)の普及に伴う「つながりすぎた社会」をめぐる現代的な公共性の問題について早くから言及し、これは現代の評論家たちの主な問題意識の一つとなっている。

 ギャル男ファッションに強いこだわりを持つ。ゲイであることを公言しており、LGBTの立場からいわゆる「逆差別」現象(差別を撤廃しようとするあまり、逆に被差別側が被害を被ること)を警戒している。


★ポストモダニズム:ここ二三〇年くらいの間日本の評論界隈で用いられ、定義が混乱している困った思想用語。

 哲学者・東浩紀の言葉を噛み砕いて要約すれば、進行し続ける消費社会を追認しつつも、そこから未知の公共性/可能性を探る態度のこと。いわゆる相対主義に近い。国内においては八十年代日本の評論家界隈でレジェンドだった浅田彰・蓮實重彦・柄谷行人あたりが当時展開していた仕事(ニュー・アカデミズム)から始まる。

 筆者流の解釈でいけば、旧い言葉を使うと、「第一の道/体制派」でもなく、「第二の道/反体制派」でもなく、両者の対立を超えたオルタナティブな案を作っていく「第三の道」という考えは、社会構想の観点から見てポストモダ ニズム的である(例えば東浩紀もまた旧民主党会派の一部と一瞬存在していたやや保守寄りのみんなの党の支援をしていた言論人のひとりだった。しかし彼の編んだ独自の「第三の道」構想案[九条改憲を肯定しつつも、外国人参政を筆頭としてグローバリズムに対して開かれた場を作る等]はあまり広まらなかった訳だが)。


■2 七十一年生まれ。哲学者/「ゲンロン」元取締役代表/早大文化構想学部などで教授を歴任。

 東大の学部生時代に大御所哲学者・柄谷行人に弟子入りし、『郵便的、存在論的』(98)で華々しいデビューを飾る。しかしその後、過激かつ不可解な反資本主義思想を展開した柄谷に不信感をつのらせた東は彼と衝突し始め、ついにゼロ年代初頭に「ストーカー」、「論理的能力」に欠けているなどと罵倒され、破門される。

 この頃からネット社会論、オタク文化を論じ始め、独自の路線を開拓。のちの評論家たちに多大な影響を与えた。東自身を素材にしたMAD動画が作られるなど、ニコニコ動画の一部ユーザーからも親しまれている存在にもなった。

 その後東日本大震災・アラブの春などを経たインターネットの急速な政治転回を前に、国内外で深刻化する民主主義の状況を目の当たりにした東は『弱いつながり』(14)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(17)で思想的な転換を表明。文化論フィールドからは離れることとなり、彼が創設したシンクタンク構成組織「ゲンロン」の運営に注力することとなった(二〇一九年に代表取締役を辞退)。

 彼の娘汐音の「汐」の字は京都アニメーションによってアニメ化された美少女ゲーム『CLANNAD』(04)に登場する子役キャラ汐に由来する。クジラックス、師走の翁などのアダルトコミックスを好んで購読していることをよく公言していたこともあったが、娘の成長とともに最近では口にしなくなった。


■3 七十八年生まれ。詳細は【現代文化1】で。


■4 八十年生まれ。情報環境学者/リサーチャー/東京経済大学などで講師を経験。
 ゼロ年代ごろに東浩紀が展開した情報社会論に関連して、当時注目されていた「ウェブ」という概念についての言及で世に出る。
 ところが一〇年代に入った辺りでAKBグループにハマり、一転してアイドル評論に邁進し始めた(この時の方向性をめぐって東とは思想的に決裂した)。熱が高じ、地下アイドル界隈に進出。あらゆるアイドルのCDを買いあさり、アキバのドルオタ界隈では名の知れた存在となる。
 そしてついに2014年ごろにアイドルプロデュースを開始した濱野だったが、プロデュースからあまり日が経たない頃に炎上。混乱の果てに数ヶ月間濱野が失踪するという事態となり、一時濱野死亡説が流布した。結果的にはニコ生で謝罪会見を行い、事態は一応の収束を見せた。
 現在濱野は評論界隈から身をひいており、一児の父として生きている。

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