ホワッツ・アップ・サピエンス⁉/川北らいむ
ホワッツ・アップ・サピエンス⁉
川北らいむ
『キーーーーーン』
私は鳴り止まない耳鳴りに悩まされていた。その耳鳴りも、午後の診療予約のリストに並ぶ名前の、その夥しい量のために、更に酷くなるようだった。この診療所は、街では数少ない心療内科の一つである上に、明日から一週間の長期休業を控えているので、今日中に来る患者の数は過去最大に達した。
午前中ですら目が回るほど忙しかった。すっかり摩耗した頭脳を弛緩させるために、休憩中はテレビをぼうっと眺めるのが日課だ。
《……雇用率は過去最低を記録しています。続いて最新のニュースです。技術開発特区にて、初めての有機化合アンドロイドの開発に……》
垂れ流される情報で脳を空回りさせるのは何とも心地いい。出来ることなら一日中でもこうしていたいものだ。
《……の間では、犯罪や機密工作への悪用が恐れられ、〝1010事件〟の再来が危惧されています。街中でも遂にヒトとアンドロイドとの垣根が……》
「お時間です。先生」
リモコンを片手に、残酷にもそう言い放ったのは、看護師のハヤシダであった。
「もうそんな時間かい」
そう言いつつ壁時計を確認すると、ちょうど始業の十分前だった。
流石はハヤシダ、時間に正確だ。彼女は、それこそアンドロイドみたいに、いつも数字に忠実で、おまけに堅物だ。
「ハヤシダ・アンドロイドくん、それじゃあ午後の診療も頑張ろうか」
「茶化してないでカルテの準備でもしては如何ですか? 今日はただでさえ忙しいんですから」
仕事の手を休めず、ハヤシダはぴしゃりと言い退けた。
「しかし……」
ふと、ハヤシダは表情を曇らせてぼやく。
「労働アンドロイドによって職を追われ、糊口も凌げぬことがないのは、この仕事の有り難いところですね」
「しかし、心療内科や精神科ばかり景気がいいのは目も当てられないね」
「別にいいでしょう。半分以上は勘違いや思い込みで受診するのですから。受診者数が増えても、結果的な患者数は以前から大差ありませんよ」
「そういった馬鹿どもの相手ならアンドロイドでも出来そうだがな」
「乱暴な物言いは控えてください」
ハヤシダは心底うんざりした表情で言い捨てた。本当に冗談の通じないヤツだ。
先程の発言が悪い因果でも呼んだのだろうか。午後一発目の受診に、今までの馬鹿どもに輪をかけた大馬鹿者が現れた。
「先生……。恐らくなのですが、私はアンドロイドなのかもしれません」
映話液晶越しに、血の気の引いた顔で大真面目にそう言ってのけた患者、アサノというその男は神経質そうに両手でそれぞれの肩を摩っていた。
「はぁ」
つい溜息にも似た相槌をうってしまった。そんな私の態度が気に食わなかったのか、アサノはムッとした表情をし、早口でまくし立てる。
「あのですねぇ……。私だって信じられないんですよ! でもこうやってね、勇気を振り絞って来てるんですぅ! 証拠はいくつもあるんですよ。いくつも!」
彼は悩み抜いた末にここを訪れてくれたようだが、彼がアンドロイドかどうかなど、私には直ぐに分かった。
「あなたは人間です」
「だからぁ! 証拠があるって言ってんでしょお!」
落ち着かせる為に言ったつもりだったが、逆効果だったか、アサノは今にも映話液晶に殴りかかろうとする勢いであった。
「先生、話だけでも聞いてみましょうよ。もしかしたら彼がアンドロイドで無かったとしても、重篤な統合失調症患者の可能性は否めません」
ハヤシダが馬鹿らしさすら伴った冷静さで口を挟む。あるいは彼女なりのジョークなのかもしれないと思った。
「それじゃあアサノくん、その証拠とやらを教えてくれるかい?」
その言葉にアサノは満足げに話し始めた。
「きっかけは周囲の反応です。みんなが私だけを悪い意味で特別扱いしてくるんです。学生時代には言いがかりをつけられてイジメられていたことがよくありました。社会人になってからは、私の仕事に対して不当な評価が下されるようになりました。私は周りと比べてとても固い思考の持ち主で、皆さんのように柔軟に仕事をこなす事がかないません。そのために、私の仕事のやり方を見た上司が、私の要領の悪さを指摘するのです。決して頭が悪い訳ではないのです。何しろ、これでも幼い頃は祖父母からは神童などと呼ばれるほどの優秀児だったそうですから。
そこで私は気付いたんです。きっと私は他の人たちとは違った脳の構造をしているのではないか、と。もともとの仕組みが違えば、周囲と同じことをしようとしても、違う結果が生まれてくるのは必然ですよね。そう思ってみれば、小さい頃からよく『何を考えているのかよく分からない』と言われることが多かったように思います。それもこれも私がアンドロイドであると考えれば全て合致する話なのです。
SNSで見かけた手軽に出来るアンドロイド診断、フォーク検査を行ってみたことで、私のこの仮説は確定的なものになりました。その検査というものは臨床の場でも使われているものらしく、20の簡単な質問に対してYesかNoで答えていき、その結果からアンドロイドである疑惑の数値化を行うというものです。私はこの検査で100点中90点を出してしまったのです。私は自分の推理の的中に一種の達成感を覚えたのと同時に、自分がアンドロイドであることを確定的にしてしまったようで困惑しました。
急に世界でひとりぼっちになってしまったように感じましたが、この世は広いもので、ネットで似たような心境の人たちを探してみると、同じようにアンドロイドである疑惑を自分に持つ人たちが少なくないということに気付いたのです。
私は身の回りに他のアンドロイドがいないかと思いました。恐らく私はアンドロイドである以上、何かしらの使命を負っているはずです。人間に化けているということはきっと機密工作員か何かだったのでしょう。しかし、何かの事故で私は自分がアンドロイドであることを忘れて、人間として生きているのではないでしょうか? そういうことなら、私は手近にアンドロイドがいれば、どうにか私をもとのアンドロイドに戻してくれるのではないかと思って探してみましたが、アンドロイドは他の仲間が人間に素性がバレることを好まない傾向にあるらしいので、難しいのでしょう。今のところはまだ見つかっていません」
「ご苦労様です。では、何故本日は当院へ?」
途中で映話を切ってやりたいとすら思える程の長ったらしさであったために、私は間隙を突いて本題に入ろうと仕向けた。
「私がアンドロイドとしての記憶を取り戻せないのなら、せめて私をアンドロイドと定義してくれはしませんか? 例えば、あなたのような心の医者ならば、私が寧ろ人間でないという証拠を見つけられないか、と思ったのです」
しまった。重症だな。気まずいようなやりきれない気持ちでハヤシダに流し目すると、彼女は黙々とメモを取っていた。【幼年期の自閉傾向・軽度の自己誇大化・重度の妄想没入】など、それらしいことを書き連ねている。どうやら、この状況を止められることが出来るのは自分だけらしい。
「アサノさん、あなたは正真正銘の人間だよ」
アサノを宥めるように見つめる。
「まずはフォーク検査だが、これが信憑性をもって使われていたのは、今から三十年以上も前のことだし、〝1010事件〟以前のアンドロイド識別検査は今じゃ全く使い物にならない」
〝1010事件〟のことは誰もが知っている。ガンプ社のG-1010型アンドロイドは、材質や仕組みこそ旧時代的だが、頭脳の擬似シナプス回路は人間のそれとほとんど変わらないために、フォーク検査を始めとするアンドロイド識別検査をすり抜けてしまい、それによって起こった悲劇的な事件だ。
「次に君の周囲の反応についてだが、彼らは君を明らかに異物として扱っているようだね。だとしたら君はアンドロイドとして失敗なんじゃないか? 潜入先に簡単に疑われるようなアンドロイドを作るかな?
そして君の思考の特異性については、演算能力や課題処理能力に不得手な人に共通している思考の仕方に近いね。少し珍しいけど、平凡な人間の範疇だ。
総合して言ってしまえば、君はアンドロイドである証拠が無い」
「五月蝿い! 私は確実にアンドロイドなんだ! 私は自分自身だからよく分かる。自分の内側でテープが巻くような音が聞こえたことだってあるし、プログラムされたかのように一つの物事に執着して離れられなかったことだってあるんだ!」
それを聞いたハヤシダは、迅速に【幻聴・強迫観念】とメモしていた。
ほとんど駄々をこねるような態度のアサノは、自分がアンドロイドであるかもしれない不安に苛まれているというよりは、自分がアンドロイドでも碌な人間でもないという事実に耐えきれず、精一杯の拒絶をしているように見える。
「先生、私見ですが彼は重度の人格障害の疑いがあると……」
「いや、大丈夫だ。彼もまた数多くの勘違いや思い込みの患者に過ぎないだろうよ。さあ、次の患者の相手をするぞ。今日は大忙しなんだ」
「待て、分かったぞ! お前らもアンドロイドなんだな! そうだろう? 私が自身をアンドロイドであることに気付くと不都合なんだろう? 分かった。お前らの言うことを聞くから命令はなんだったのか教えてくれ。私はこれ以上こんな……」
私は映話を切った。少々乱暴なやり方に、やはりハヤシダは不満げであった。
「もし彼が本当に心の病であったらどうするんです⁉︎ 今日の先生はちょっと意地悪ですよ!」
「あんなのをいちいち相手にしていたら堪んないぞ! 次が控えてるんだ!」
少し大きな声を出してしまった。ハヤシダが何か言いたげなのを堪えているのを見て、私の頭にほんのちょっとの冷静さが戻った。
「すまない。確かに私は受診者や君に対して失礼な態度をとっていたかもしれない。五分だけくれ。頭を冷やしてきていいか?」
「ご自由に」
私は診療所のベランダで一服した。昼下がりの気だるい陽光が街に陽炎のような曖昧な印象を与えていた。まるで白昼夢のように。
「本当に夢だったりして」
そう言いながら、私は胸のパネルを強引に開いた。パネルに取り付けられたスクリーンが虚無を映しこんでいる。
私は状態表示の操作をして、スクリーンに次々表示されていくいつも通りの情報を、憂鬱な気持ちで流し見した。
〔状態:覚醒〕
〔シナプス:正常〕
〔刷り込み機能:故障〕
〔同社製品との共鳴機能:作動中〕
そして……。
〔共鳴通知方法:耳鳴り〕
そう分かっていた。アサノを映話越しに見た時から直ぐに分かっていた。
私はパネルの右上に刻印された〝G-1011〟を無意識に摩った。
「これを知っているのは私だけでいい。誰と会っても耳鳴りが鳴り止んだことがないことも」
この独り言に、もはやあやふやになっている街は一切耳を傾けてはいなかった。