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劣等社会人らしく

 空気が冷たく朝陽がまぶしい。行楽日和というやつだ。こんな日にしかめっ面をして、周囲に当たり散らしながら出勤する人々のなんと不健康なこと。「おれはこんなに神経をすり減らして外で働いているんだぞ!」ーーいったい誰のせいだと言いたいのか。そんなものを「立派な社会人」といって労う時代はとうに終わっただろうに。

 けれども結局、私も同じだ。社会を嫌悪して距離をとってみたところで「劣等な社会人」になるだけである。どんなに覚悟を決めても、どんなに理想的な生き方を追求しても、この世にいる限り私は人間以外ではあり得ないのだし、世の中は変わらない。だからみんな物わかりのいいふりをして「他を変えるより自分を変えなさい」ということになるーー。

 歪んだ社会で楽に生きてゆくには、自分を歪ませてしまえばいい。誰かを「善玉」に変えるのは困難でも、自分を「悪玉」に変えるのは容易で、むしろ気持ち良くさえある。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のである。そうやって自分に都合の良い面ばかりを称賛し、支持する。するとこの通り、誰かが得をすれば自分が損をし、自分のためなら他が犠牲になるのは当然という「敵対社会」が出来上がるわけだ。
 何が「自分を変えろ」か。「我々に文句をいう前にお前が変わる努力をしなさい」なんてもっともらしいことを言ってるつもりだろうが、つまりは誰も自分を(善玉に)変える気はないのである。

 さあ、行楽日和だ。劣等社会人らしく、私は平日の昼間から外をぶらぶらするのである。河原へ行こう。変な形の石を探そう。白鳥が飛来して来るのはまだ先だけれど、一応パトロールはしておく。歩きながら自分の欠点についても考えよう。帰りには駅の売店に寄ってタイ焼きを買う。


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