彼らは勝手に滅びるしかない
昔は、朝の通勤時間にヒゲを剃りながら車を運転するおじさんをよく見掛けた。それに、ハンドルから両手を離し、弁当や熱々のカップ麺を頬張る長距離ドライバーも、よそ見しいしいバックミラーで化粧をするお姉さんもいた。最近はいない。
スマホという依存性のある便利な道具が誕生して以来、「ながら運転は危険」という認識が広まったことと、何より原始時代に比べて人類が「お行儀」を身に付けたことは大きい。
田舎の国道でよくある現象で、道路脇に液体の入ったペットボトルがたくさん投げ棄てられているのを、子供の頃の私はずっと不思議に思っていた。ついにあるとき誰かに訊ねたのだ。
「どうしていつも中身のまだ入っているお茶があんなに捨ててあるの?」
答えを聞いて本当にショックだった。
「あれは小便だ。トラックの運転手がああいうことするんだよ」
トイレのない田舎道が延々と続き、そのうえ長距離ドライバーには車を止めて外で用を足す時間もない。それでペットボトルを簡易トイレとして利用するのだろうが、それを不法投棄するとはどういうことか。言い訳などひとつでも出来ようか。
当時の日本人はまだそんなだったーー。
21世紀になり、国道が整備され、労働環境も改善し、コンビニや道の駅が快適なサービスを提供したとて、品位のない人間はどうしようもない。公共のトイレは自分で掃除する必要のない場所、つまりは「汚してもいい」と思っていたり、トイレットペーパーを持ち去ったり、人の目を盗んでこそこそとネズミのように生きるのが彼らだ。
もちろん職種などは関係ない。どこの界隈にも学習能力のないお猿さんは未だにいて、例えば飲食店へ行けば、不必要にあれもこれも触ったり(なめ回したりも)するし、スーパーではパック詰めされた刺身をぐにゃぐにゃと押し潰し、ビニール袋を大量に持ち去り、基本的にカスハラ気質だったり、相手が得をすると自分が損をしたような気分になったり、そういう人々は「荒らす」ことでサービスを堪能しているのである。
人間関係でも同じだ。彼らは自分と他人とを対等に見ることが出来ず(根本は自分のほうが下のような気がするという劣等感であり、それを解消すべく他を攻撃し優位に立ちたいと不毛な努力をするものである)、家庭においては家族を支配しようとしたり、会社内ではセクハラ・パワハラに精を出し、恋愛となるとストーカーと化し、ご近所では有名なトラブルメーカーだったり、相手に嫌がらせをすることでしかコミュニケーションが取れないとなると、あとは孤立してゆくのみである。
残念ながら今の世の中は人情というものが完全に消滅して久しいので、品位のない人間に対して社会は無関心だ。自分に害が及ばない限り、周囲に平気で迷惑を掛けるような人間がどうなろうと「自業自得」である。彼らは勝手に滅びるしかないーー。