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女の赤ちゃんだった私

 昨夜、読んだ小説にこんなことが書いてあった。聡明な老人男性の台詞である。
「美人とは、30代で最終到達するものであり、以降はどうあってもそれ以上美しくなることはない」

 もちろんこれは事実ではないし、今の時代にこんなセクハラ思考を人前でぶちまけるのは命取りだ。だが実際、いつの時代もこれが男の本音であろう。
 つまり世間一般に男の言う「美人」とは、「この世に産まれた女の赤ちゃんが成長し、自分好みに仕上がる30代」のことである。胸クソこの上ない。

 そうとは知らず、その30代に向かって男目線(あるいは父親目線)で生きてきた私の人生は、まるで合法の娼婦のようなものであった。常に男たちに都合よく利用され、30歳までのほんの短い期間に結婚離婚を何度も繰り返した。もちろん幸せなど感じたことは一度もない。嫌悪、嫌悪、嫌悪。吐き気。精神が崩壊し発狂するまで、ひたすら耐えるばかりで、男に抵抗する術をひとつも持たなかったのである。そのように育ったのである。

 かくのごとき女の赤ちゃんを「世の男好み」に仕立て上げる親がいる。たくさんいる。自分の都合で娘と接する父親、無関心で助けてくれない母親。そのことに嫌悪や疑問を持たずにこの世の娼婦として全うできるならその娘は幸いだ。だが気づいたら最後、父親にされたことと母親がしてくれなかったこととの間で、娘の心は無惨に引き裂かれてしまう。娘は一生を廃人として過ごすかそうでなければ「退場」する。私のように自力で人生を立て直せるタイプはまれだ。それとてエキセントリックな経験が必要であった。男性から逃れるために巨デブになってやろうと、ほんの数ヵ月で体重を20キロ増やしたこともある。髪の毛を剃り落とし、タイの山奥まで仏教賢者を訪ねて行って、原始人のような生活をしていたこともある。(これは仏教修行が何かに優れているとか効果的だとかいう話ではまったくない。ただ単に、それだけインパクトのある非日常的なことを仕出かさないと、人生を再スタートさせることなどできなかったというだけのことだ)

 30を過ぎて自分の悲劇に気づき、40でようやく自分の身を守れるようになった。人生つまづいたことのない立派な人々からすれば、私など「バカなの?」の一言で片付けられてしまうことだろう。まぁ、バカなんだね。「自業自得」「親のせいにすんな」「ヤリマン」そんなことも言われ飽きた。どうぞお構いなく。

 しかしあんなに苦しく悲劇的だった私の過去も、こうして振り返ってみるとどこか面白いのである。太ったりハゲたり悟ったり、笑いごっちゃないがやはり笑ってしまう。元々の生き方が間違っていただけに、解決方法も正攻法とは行かんのでしょうね。

 小説にはこうも書いてある。
「35歳を過ぎたら中年で60歳からは老人です」

 今年で45歳の私は中年期もすでにベテランということになろうか。しかしながら幼少期から青年期までを苦悩のうちに過ごした身としては、今ようやく自分の人生を楽しめるようになったばかりである。世間とのズレは百も承知。今さら青春まっただ中ですけど、どうぞお構いなく。



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