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映画 ねことじいちゃん

鍋を食べながらねことじいちゃんという映画を観た。
気になっていたけど劇場では観れず(映画館が1つしかなくて、別の映画館に行くには一泊しないといけない田舎町に住んでいます)、
やっとTSUTAYAの新作になっていたので。

あらすじは、ノラ猫とお年寄りがたくさん住んでいる島で暮らすあるおじいちゃんと猫を中心に、その町の人たちのふれあいとか、島の外の世界との関わりを描いている。こういう田舎の生活を題材にした映画ではありがちなストーリーなのだけど、とにかく、とにかく猫が可愛い。そして動物写真家の岩合光昭さんが監督を務めるだけあり、ストーリーよりも撮影手法が気になってしまうくらい、息を潜めて遠くから見つめていないと目にすることができないような猫の仕草がひとつひとつ映されていて、感嘆してしまう。

わたしはいま一人暮らしをしているけれど、実家ではわたしが小学生のころから飼っている猫がいて、いまも元気で頑張ってくれている。その子は本当にわたしにとって大切で、多分その子がわたしの心を占めている割合はほかの家族に比べても高かったのではないかと自負している。それはわたしがその子を、将来の決断の1つの理由にするほどだった。すなわち、わたしが1人暮らしを決めたのは、その子とずっと一緒に居たいという気持ちよりも、もしも一緒にいるときに離れてしまったら、とてもその感情を乗り越えられる気がしないという思いの方が大きく、また心のどこかで猫に依存してしまう人間である自分を、少しだけ恥じていたのかもしれない。

でもこの映画をみて、そんなことを思っていた自分を恥じた。動物と向き合うことは人間と向き合うこととおんなじで、自由と尊厳を大切にしないといけないんだ。自分の人生の選択肢がペットに影響されることも、良いじゃない。もちろん動物(特に猫)は感染症を防ぐといった観点からも室内で飼うのが望ましいけれど、猫と人間との距離感は、この映画の中に出てくる人たちを見習いたい。動物を飼うということは、大げさかもしれないけれど地に足をつけて生活することを助けてくれるように感じた。朝起きて顔を合わせたり、この映画のじいちゃんみたいにご飯をちゃんとつくるようになったり、ちゃんと生活する。

いまいる場所で幸せをみつけられる人がいちばん強いと思った。たまに此処じゃないどこかに行きたい、みたいな感情をもつことがあるけれど、若さも一種の価値であると思うならば、それは時間に置いてけぼりにされているようで勿体無いね。ないものを探せばたくさんある、それは限りなく、でもそれはきっと幸せには遠回りで、まずあるものに満足するのだって全然消極的な幸せじゃない。

人生とは、みたいな話になってしまった。とりあえずわたしは、将来ねこ1匹は養えるくらい、いまは自分の面倒をちゃんとみよう。
(ちなみにヘッダーの写真はばあちゃんちのねこ。フィルムのトイカメラで撮った。)

#映画 #感想 #ねことじいちゃん #エッセイ


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