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天才的なアイドル様

2023年6月25日。DIANNAプロジェクト(以下DP)定期公演 Vol.31 にてDP所属のアイドルグループ『こっちむいてダーリン』の『ゆいぴょん』こと琉桜(みらい)ゆいがDPを卒業した。

卒業が告知された時、その理由は体調不良とのことだったが、その青天の霹靂かのようなニュースに、ファンは一様に動揺を隠すことができなかった。なぜなら、彼女の前途洋々のアイドル人生が、少なくとも生徒や学生であるうちは、しばらく続くと誰しもが自然と信じていたからだ。

彼女の幼少期からのアイドルへの指向性、性格、容姿、声質、DP加入後の立ち回り、努力、成長、文章表現等々……現代アイドルに必要な全ての要素が、その小動物のような愛らしい小さな体にパッケージングされていた。それは彼女にリアルに触れた誰もが認めることであると思う。が故に、彼女のあの笑顔の裏に蠢いていたアイドル卒業の決意には誰も気付かず、そのインパクトの大きさは凄まじいものであった。

ところで、最近流行しているアニメ『【推しの子】』。強く印象に残るテーマソングと共に人気を博しているが、私は6話ほど観てすっかり興味を失くしてしまっている。そもそも1話目からその相容れない原作者との『アイドル観』に反発を覚えていたが、その辺りで観たい意欲がすっかり尽きてしまった。

私は『【推しの子】』は流行れば流行るほど、アイドルの格を下げてしまうと危惧する。いや、むしろアイドルにこだわりのない人々が大多数なのだから流行っているとも言える。むしろ誰のフィルターにも引っかからないほどに、ポピュリズムに満ちているのではないか。そう思うなか、私が異議を唱えたい箇所は色々あるが、ここで取り上げたいのは作中を支配している『嘘』というワードである。

作中「アイドルは嘘をつく生業である」というような文脈でアイドルが語られ、少なくとも私が観た6話ほどまでは、そのポリシーが根底に流れている。YOASOBIが歌うテーマソングにもそのオーダーがあったのだろう、歌詞には脈々とその言葉の血液が流れ、音楽的な鼓動を刻んでいる。

嘘。それはあまりにも横暴過ぎないだろうか。ターゲットである一般層にとってはわかりやすい言葉であり、敢えて選定した言葉であろうが、私はこれはアイドルを冒涜し、昨今のトピックでもある、女性の職業を奪う流れに繋がらないとも限らない、浅はかで、ステレオタイプな、スモールマス業界的な錬金術のための、アイドル業界には何の利益ももたらさない、悪の言霊に思えて仕方がないのである。

アイドルは『嘘』などではない。アイドルは『芸』である。と、20年以上アイドルを観てきた身としては言いたいのである。『嘘』なんて言葉で片付けてしまったら、演技、芝居と認識されている女優などもそれに言い換え可能となり、明らかに矛盾が生じるではないか。

さて話を本題に戻すと、その『【推しの子】』の矛盾を突き、オーバーキルする存在感が、琉桜ゆいにはあった。今日の卒業公演を生で観て、真のアイドルとしての矜持を体現していることを確信した。彼女はステージ上では笑顔を絶やさず、決して泣かなかった。昔、とある芝居の稽古を受けた時に厳しく教えられた「下手な役者は泣けと言われたら涙を流すが、上手い役者は泣かない」という指導を思い出す。それを10代になったばかりの彼女がすでに会得していた。この期に及んでも涙を必死に堪えて笑っていた。これだけでもうすでにアイドルの真骨頂なのだ。

琉桜ゆいのそれは、すでに『芸』すらも超えた、形容し難い純真無垢な生の躍動である。アイドルになりたい、ステージに立ちたい、可愛くキラキラと輝きたい、そんな一心で3年もの間、取り組んで来たはずなのである。私は彼女の、ステージで魅せた煌びやかな生の躍動を、『嘘』だなんて言葉でレッテル貼りしたくないのである。

琉桜ゆいは私の目の前に現れてから今日まで、常にアイドルの正解を示してきた。それは単に年少期の純粋さのみを取り柄にすることなく、アイドルに夢を託し、意識的に取り組んでいたからできたことであり、大人の不純な魂胆をゆうに破壊する威力を持っていたのである。人知れずに。