何者か分からないけれど、それでも僕はそこに居る
最近よく通っている おひとりさま向けの小さな喫茶店で、ある陶芸の作家さんの個展に行った後日、本を読みにその喫茶店行った時の店主との会話が、今の僕のこの社会というか今生活している場所での自分をよく表しているなと思って、少し可笑しかったです。
「お客様のお名前を教えて頂けますか。」と、訊かれ名前を答えると、店主はメモを取り出して何か調べてから、個展で僕が購入した作品とその作品は今回の個展のために依頼して復刻というか特別に製作してもらったモノだったコトを教えてくれました。
そして、その作家の方と店主の会話を、そっと少しの好奇心を含めて教えてくれました。
「作家の方に、あの人は何者なんですか?と訊かれました。私は、よくわからない。と答えてから、山に花を摘みに行ったり、花を育てて配ったり、野点をする人ですと伝えました。」「なんだか、根掘り葉掘り訊いてしまうと、もう来てくれなさそうだから。」と付け加えて。
笑いながら僕はそれに、「どこに行っても、あの人は何をしている人か分からない。何者なのだろう?と思われています。素性がわからないままでもいいんですよ。それでも受け入れてくれる場所が僕の居場所ですから。」と答えて、はぐらかすと、「それで、良いと思います。」と店主は笑っていました。
誰かに自分のコトを話す時に、コレという社会の中での肩書きや役割があるわけでも無く、だからといって自分の意思で何かをしているわけでもなく。自分が何者かということもよく分かっていないけれど。それでも、自分らしくいれる居場所を選んでいるんです。そういう居場所を探すのには、だいぶ時間がかかりましたが。
何者でも無いけれど、自分らしくいれる居場所で出会う人達との関係から、新しい自分を見つけることができると思っています。