あの人の内に居る僕は、今もあの時のままの僕か
過去に出会った人達の僕への印象は、多分、出会ったタイミングによって異なると思う。
15年前の僕を知っている人は、今の僕を別人だと思うのではないだろうか。
詳しくは書かないが、この15年の間に明らかな人格の変容のターニングポイントがあったのだ。
自分がどんな人間か考える時、いろんな視点があって、何処から見た自分が自分と言えるのか分からなくなってしまう。
自分の内にある過去の自分のイメージ。今の自分のアイデンティティのようなモノの欠片。自己の変容を体験して、変わり続ける将来の自己像。
それに、他者から見た自分も、出会った人の数だけいるのだ。
この他者から見た自分と、自分がこうありたいと思う自己像を一致させるように、今の自分は振る舞っているように思う。
そして、他者からフィードバックされる自分のイメージによって自己像は変わり続ける。
とても傷つけてしまった人達の内の自分が、今の自分に変わったら、深い悲しみからの救いになるのだろうか。
それとも、もうあの人達の内の僕は、あの時の僕ではなくなって、深い悲しみから解放されているのだろうか。
僕の内の、あの時の僕は、「もう救われています。」