心もお洒落に
先日食べに行った料理店で言われた一言なのですが、それがどうゆう事なのかよく分からなくて考えるキッカケになった言葉です。
新鮮な食材をシンプルに手をかけて調理された料理と、香り豊かなノンアルコールのドリンクを愉しんで、最後に朝日焼の鹿背の茶碗で出された抹茶をゆっくりと飲みながら、料理人の店主ともうひとりの配給を担当していた店員の方と会話していたのですが、「今度また、お茶会を開催しますので参加してください。」と誘ってくれた流れで服装の事にも触れて、「いつもは全身黒を着られていますが、今日は珍しく鮮やかな色の衣装ですね。素敵です。いつも、お洒落にされていますね。心もお洒落に。」と言われて、自分の心まで見られているような、なんだか恥ずかしいような感覚になりました。
心がお洒落とは、どういうことなのでしょうか?
思想や嗜好が、お洒落ということなのでしょうか?
自分には欠けている知性のようなモノなのだろうか。
例えば、わさびのおろし板に「わさび」という凹凸があって、それでわさびをおろせるようになっていて、その中の1箇所だけ「わびさび」になっている。そんなユーモアなのでしょうか。
自分が出来る心のお洒落とはなにか考えてみると幾つか浮かぶのが、自分が好きなコトをベースに楽しんでいるコトです。
例えば、読んだ異国の小説の中に出てくる料理を作る為に、食材の野菜を育てて収穫し、調理法を調べて作り、異国のお酒と音楽と共に誰かに振る舞うとか。
大切な人の好きな花を育てて、とびっきりのブーケをプレゼントしてみたり。
お茶を飲む時に、そのお茶が栽培されていた土地の土を使ったその土地の窯元で作られた茶器を選んで淹れるような、そんな少しの心の豊さのようなモノなのかなと思もったりもします。
自分には、心のお洒落のセンスはあるのだろうか?不安ですが。
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