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随筆 「私の大学」

自分でなろうで書いたエッセイをここに転載しているだけ…


―― 大学へ行け、行ったら未来が変わる。

 子供の時はずっと古生物学者になりたかった。ニュースでアメリカどっかの大学がまた何らかの新種恐竜化石を発見したと知った時に、いつも思いを馳せた。いつか自分もニュースに乗ってた連中みたいに、不毛の荒野で俯せて、たがねやらブラッシュやらを持って石を掘り続ける。そしてついに見つけた何かを、自分の好きなもので命名したい。あの頃は「大学院」というのが知らなかった、ただお袋が言うには、「博士」は「修士」よりすごい、「ポスドク」は「博士」よりすごいとか。そしたら自分は、「じゃアメリカ行って博士になる」と言い出した。博士の上にはまた「フェロー」という称号があると聞いて、またまた「フェローになる」とはしゃいだ。あの時のお袋はどんな表情だったろう。

 実は当時、「大学」が何なのかですらよくわからなかった。今でも、「大学」という概念ははっきりしない、先日卒業したばっかりなのにな。

 中学卒業を目の前にしたあの時、「この大学に行って。あそこはあたしの志望校に近いから、すぐ会える。」と、当時のカノジョに言われた。俺は笑いでごまかして、ろくな返事はしなかった。「大学」ってのがやはりわからない。あれからは段々この言葉を鬱陶しく思えた。カノジョも「大学、大学」、親も「大学、大学」、ばあちゃんも「大学、大学」。どこに行ったって、自分が本質を捉えられないこの名詞が耳に入る。皆「大学行ったら」「大学がいい」と言うけど、誰も「大学」がどんな場所なのかを、詳しく説明してくれなかった。あれほど言われた自分も、うざくて聞こうとする気にもなれなかった。だから逃げた。ちょうど卒業も間近だったから、あれ以来、カノジョとの連絡も疎くなった。

 高校受験の失敗で、親が「将来」について言ってくる回数も増え始めた。そう、当然その「将来」には「大学」も含まれている。あの頃は反抗期のおかげで、逆に「青春」について考える時間が多かった。思ったのは、皆青春が一番の宝物と言うのなら、それを受験などに時間を使われて、イメージがはっきりしない「大学」というもののためになんて、ありえない、価値がない、ダメなんだ。だからあの時俺はこっそり決心した、「大学」には行かないと。何を言われても、「大学」には行かない。「大学」の本質はわからないが、昔から大学生の就職問題についての世論は聞いたことがある。じゃなぜ自分のやりたい仕事を見つけて、それに合わせた専門学校を行かないの?行けばいい。それがあの後5年間の自分の目標だった。

 そうだった。俺は「大学」についてその正体を掴めなかっただけじゃない。今の経験からすると、「就職」に対しても迂闊だった。

―― 少子化なのに大卒生が増え、就活失敗して爛れ。

 中学というのは本当に敏感な年頃で、自分が選べる自由も増えた。だから今でもはっきり思い出せる印象深いことも多々起きた。

 「例えば、公務員になる機会があったら、君もきっと公務員を選ぶのだろ?」

 「……でもやっぱり自分の好きな職がいい。」あの時はあのタクシーの運転手さんに対して、確か、こう答えた。

 その人はまた言った、「いつかわかる」。

 昔の自分には確かに意地があった、悪い頭も持ってた。専門学校卒業して挫折を存分に味わって、ついに「大学卒業したらもっといい仕事がもらえる」ということがわかった。就活の失敗を経て、結局大学行っちゃう。多分今の自分に、頭の悪さしか残ってないだろう。

―― 自由だけ持て余した。

 大学に入ったら、子供の頃より実現しやすい目標を立てた、「卒業したら職に付けること」。とにかく資格を取ろう。2年目になってITスクールにも通うようになった。大学自体が有名ではないが、教授たちはかなり優れている。だが幾つか歳の離れた同期とうまくやれる自信は最初からなかった。それで、社交より学業を優先すると、自分の自由時間をこう使おうと思った。どうやら頭が悪いのはもう治らないみたいだ。そう、今となってわかる。人と人の間には元々隔たりはなかった、あるのは俺の愚かさだけだ。例を挙げよう。専門学校時代、同期には歳4つも上の人も居た。だけど彼がとても社交的で、いつも皆の中心にいた。その人とは関係はよかったが、こうして見ると昔の自分は彼から何も学ばなかった様だ。

ITスクールを1年ほど通っていたが、気づいたのは一つ、軽く噂でも聞いたことがあると思う。「IT関係はハゲやすい」。それでITもレッスンが終わるに連れて諦めて、三年目になってようやく、同期たちとちゃんと話せる時間が増えた。今まで多くのチャンスを逃したが、俺が他人に対してどれほど冷たくても、諦めずに接してくれる、そんな心の暖かい人達はそばに現れる。高校からずっとそうだった。自分がこんな「幸運」を持っていたとは、それを長い間有しているのに今更初めて気づく。

―― 曲げられた子供の理想、夢の中の僕たちはユートピア。

   世知辛さを垂れ流すだけで、誰も凄惨な未来に目を向けない。

 そうだ、夢について何か話そう。

 ……

 …

 地道に稼ごう。

 話は終わり。

 大人たちは子供を騙すつもりも、騙そうともしなかった。ただ子供たちが沢山の無力を覚えて、最後に誰もその結果を認めようとしなかっただけだ。

―― 昔ゴーリキーというクソジジイがいて、「私の大学」という本で人を誑かしてた。

 先日卒業した。式の後に楽しく話している同期たち(主に女子)を見て、そう思った。彼らは多分、自身が手に入れるべき喜びを手に入れた。でも俺の心は喪失感で溢れた。何か謝るべきことに対して謝らなかったか?何か感謝すべきことに対して礼を言わなかったか?自分は最後まで「大学」の概念をちゃんと理解できなかったが、ようやくあの頃の朦朧とした未来を見ることはできた。それでも心の中のどこかで悔しさを持った。もしかすると、人は元来、自身を満足させられる様な生き物ではなかった。もしかすると、俺は元来、正体をわからない何かを取り零す定めであった。おおかた、何か喋りが足らなかった、何らかの間違いをした、そして、時間が経つのが速すぎたのだろう。だけど、見るべきものはすべて見た。よって、今できることは、それらを箱詰めして過去という海に沈ませるしかないだろう。

 専門を卒業する目前に、謎ポエムを書いたことがある。ここでそのポエムの序を持ってこの文の終わりを飾ろう。

「道行く人々よ、もし私は大金を持てば、汝らが離れ去るのは、皆私のためだ。

 もし私の手は空、未練も心になくば、私が来たのは、汝らに会うためだ。」

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