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長すぎる中国と日本の相互依存。~中国雑学シリーズその4~

こんにちは、アイデアポートの鈴木です。中国深センで起業しています。

前回は、中国をあらわす4つのキーワード「広い、多い、長い、速い」の中で、2番目のキーワードである「多い」に関して、中国人の地元意識と絡めてお話ししました。

前回の記事が気になる方は下記からご覧ださい。

多すぎる中国と強烈な地元意識。~中国雑学シリーズその3~
https://note.com/ideaport_suzuky/n/nfac1befd4a43

続く今回は、3番目のキーワードである「長い」について深掘りします。

今回も脱線に次ぐ脱線となりますが、ぜひ辛抱強くお付き合いいただけますと幸いです。

中国4000年の歴史は本当か?

まず、「長すぎる中国」の「長い」とは何かというと、歴史の長さです。

ご存じの通り、中国という国は、世界有数の長い歴史を持っています。
日本人なら「中国4000年の歴史」というキャッチフレーズを聞いたことがあるでしょう。これ自体は約40年前のカップラーメンのCMで「中国四千年の味」と言われたことが契機で定着したらしいですが、私も中国で何度か4000という数字は聞きましたので、まったくのデタラメでもないのでしょう。

ただ、ここで細かな?というと失礼かもしれませんが、よくよく考えればこの「中国4000年の歴史」というのは非常に言い争いになりやすいフレーズです。

何が言い争いの元になるかというと、
「中国」という名称と「4000年」という歴史です。

まず、この中国という名称は、中華民国にせよ、中華人民共和国にせよ、これらの正式名称を略して中国と言っているわけで、つまり、政治体制としての中〇〇国の歴史はわずか100年前後です。

単なる漢字二文字の「中国」だけだと、むしろ、「中国・四国地方」のように、日本の「中国」の方が時代的に古く、現在の広島県、岡山県、鳥取県、島根県、山口県の5県があるエリアを「中国地方」と呼んでいます。

ただ、日本における「中国」という意味合いも時代と共にかなり変わってきたようです。国家としての中国を指す意味合いが強い時もあれば、ほぼ日本の中国地方を指す意味で使われた時代もあるようです。

本稿は歴史の講義ではありませんので、詳しくお知りになりたい方は、下記Wikipediaの記事をご覧ください。

中国地方
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E6%96%B9#%E5%8F%A4%E4%BB%A3

次に、4000年の歴史ですが、中国人に聞くと、4000年と言ってくる人もいますが、たいていは5000年やそれ以上の数字を言ってきます。

ちなみに、深センの人口も人によって1300万と言ったり、1500万や18000万、2200万など、聞く人によってまちまちです。
違う理由はいくつかあって、一つは情報が古い。単に最新の統計情報をキャッチアップしていない場合があります。

二つ目は、これは日本の大都市でも同じですが、実際に住んでいるけど住所登録していない人も大勢います。ところが、こういった人は統計上カウントされません。

また短期・長期の出張者もおり、統計上の数プラスこれらの流動人口も加えてカウントする場合は、流動人口は正確に調べようがないので、間接的なデータに基づくか、もっとシンプルに感覚で答えるため、人よって答えが変わってくるということです。

話を戻しますが、中国の歴史の長さもこの深センの人口と同じで、ここ最近、マンガ・キングダムで注目されている秦が中国を統一した時代からカウントする場合は、中華統一が紀元前221年で、今が西暦2022年ですから、2243年の歴史。考古学的に実在が確認されていると言われる中国最古の王朝である殷(商)の時代からカウントすると約3600年。

そして、神話の時代からカウントすれば、、、キリがないですね。これは日本の皇紀2600年と同じで考古学的に立証できないなら、単にその時代の書物が残っているからとなると、いくらでも捏造できますので、結局眉唾物の域を出ないと思います。

ちなみに、殷や次の周、中華統一後の秦であっても、今の中華人民共和国のエリアからするとその支配地域はかなり限定的です。

いわゆる中原と言われる河南省を中心とするエリアから今の華北のエリアくらいまでであって、そういう意味でも、どこまでが中国かというのは常に論争の種になっています。

ただ、日本も昔は九州から関西・中部地方くらいまでがその中心的なエリアで、関東や東北は辺境地であり、北海道や沖縄が日本になったのはだいぶ後の時代です。

ですので、殷の時代から中国の歴史が始まったと言ってもおかしくはないのですが、中国よりも広義の意味で中国文化圏を表す中華という名称の方が
よりふさわしい場合が多いのに加え、中国の歴史は漢民族王朝と異民族王朝の支配被支配の歴史なので、これらをすべて中国の歴史と言っていいのかという議論もあります。

よって、中国大陸の歴史というのが一番論争が少ないかもしれません。

ということで、現代日本においては、「中国の歴史=殷から現在まで続く中国大陸の歴史」でほぼコンセンサスが取れていると思いますので、以降は「中国の歴史」という名称に統一して話を進めいきます。

中国は大陸国家か海洋国家か

中国は典型的な大陸国家ですが、完全な内陸国家ではなく海があります。
よって、基本は大陸国家ですが、海洋国家的な要素も持ち合わせています。
その点、日本は海に囲まれている島国ということもあり、典型的な海洋国家ですが、大陸に近いこともあり、大陸国家的な要素も持ち合わせているようです。

これに関しては、6、7年前に読んだ『ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義』 (藤野英人著)に非常に興味深い内容がありますので、以下に引用します。

「ウミヒコ」と「ヤマヒコ」の経済が交互に出現

それでは「海幸彦と山幸彦」の物語から取り出した特徴に照らしながら、日本の経済史を見直してみましょう。日本では歴史に流れるエネルギーがスイングして、「ウミヒコの時代」と「ヤマヒコの時代」が交互に出現します。そのスイングをもたらすのは外国の影響です。「サーモスタット」という装置があります。ある温度になると、カチッと作動するものですが、歴史の中では外国、特に中国がその役割を果たしていました。外国、特に中国がエネルギーを発散する「過熱状態」になると、あたかもサーモスタットのようにカチッとウミヒコの時代に転換します。(中略)
逆に中国の力が弱まると、日本は「ヤマヒコ」的になります。九世紀末に唐の衰退を理由に、遣唐使が取りやめになりました。その後の平安時代後期には国風文化、貴族文化が栄え、日本は内向きになります。(中略)

中国の盛衰に合せてスイング

ここで私の考える「ウミヒコ」と「ヤマヒコ」の特徴を列挙してみましょう。もちろん私は歴史学者ではないので、経済の専門家の観点からどのように経済を見ているかという「物の見方の一つ」と、気楽に受け止めてください。
社会の雰囲気はウミヒコが「OPEN」、ヤマヒコが「CLOSE」という特徴があります。海洋民は、基本的に独立傾向が強いとされます。一方で農耕民はまとまって仕事をする機会が多いため、組織づくりが得意です。そのため「自由」と「平等」という対比があります。昔は中国、そして今はアメリカという国が世界秩序の中心です。そうした覇権国が体現する「グローバリズム」に、私たちはその好悪にかかわらず向き合わなければなりません。ウミヒコは「グローバリズム」、ヤマヒコは「ナショナリズム」を志向します。
土地で見ると、ウミヒコの時代には、西が強くなります。京都や大阪の関西圏、そして博多などの九州圏です。大陸の影響を受けるためでしょう。逆にヤマヒコの時代には、鎌倉、江戸、東京などが強くなりました。
ビジネスでは、大きく分けると、「スプレッド(値ザヤ)」と「チャンス」を狙う方法、そしてコツコツと「ものづくり」「努力」を重ねる方法があります。ウミヒコは前者、ヤマヒコは後者を狙う傾向があります。尊敬される日本企業は、この両方の気質を持っています。(中略)

『ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義』P26~34

私はこの本に大変感銘を受け、今でも覚えていますし、ことあるごとにこの「中国の状態に合わせて日本も変わってきた」というを話します。
では、私なりもう少し詳しく解説したいと思います。

経済史からみる中国と日本の関係性

まず、中国では、唐の時代が過去最高の時代と思っている人が少なくありません。そして、その一つ前の隋の時代に聖徳太子が遣隋使を送った頃から日本と中国は本格的に交流を始めました。

その後は遣唐使と続いていくわけですが、この隋・唐の時代、日本の首都は奈良と京都にありました。

ちなみに、本稿を書くにあたっていろいろ調べたら、この100年くらいの間に、日本の首都は藤原京、平城京、長岡京、平城京と目まぐるしく変わり、最終的に794年(延暦13年)に今の京都市に落ち着いてからは、1869年(明治2年)までの1000年以上日本の首都(とはいえ日本の首都を東京と規定する法律はないらしいですが。)だったということです。

それはともかく、先ほどのウミヒコ、ヤマヒコの話で考えると、唐の時代は中国がOPENだったので、日本も遣唐使を派遣し、その後も宋の時代まで交流が続き、首都も関西にありました。

ところが、異民族である元の時代になると、日本では源平合戦があり、鎌倉時代になって、政治上の首都は関東の鎌倉になりました、また、中国との交流は、元寇があったように日本との間で戦いはあっても経済的な交流は途絶えました。

続いて、中国が明の時代になると、日本も室町時代になり、政治の中心地も京都に戻り、三代将軍足利義満の時代に明と貿易を始めて幕府はボロ儲けしました。

明との交易は戦国時代~安土桃山時代まで続きましたが、秀吉の朝鮮出兵で弱った明を異民族の清が征服し、同時に日本も江戸時代になって鎖国しました。もっとも、江戸幕府は鎖国したとはいえ、清とオランダとは交易を続けていましたが、OPENではなくCLOSEの時代だったことは間違いありません。

このように、中国が漢民族の王朝でOPENだった時は、日本の中心は西日本に、異民族の王朝でCLOSEだった時は、日本の中心は東日本にありました。

改革開放以降の中国

最近では、中国は1979年の改革開放まではCLOSEの時代で、日本の中心は東京で、日本は高度経済成長期でしたが、人口爆発とインフラ特需の影響が大きく、内需に頼っていました。

1990年代になると中国に投資する日本企業が年々増え、中国は2001年にWTOに加盟したのを皮切りに、21世紀になると驚異的な経済成長を続け、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国となりました。

つまり、改革開放からのここ40年ほどは、中国はOPENの時代なわけです。
そして、これまで見てきた通り、中国OPENな時代は日本の中心は西日本でしたが、今はそうなっているでしょうか?

もちろん、江戸時代までとは異なり、今はもう一つの経済大国であるアメリカがあるため、以前とは状況が異なります。よって、それとのバランスもあり、これまで通り、中国が経済的に強い→OPNE→日本も中国と貿易量を増やす→西日本が中心、というところの最後のところが変わってきているのかもしれません。

ただ、やはり地理的に近い西日本にチャンスが多いことは間違いないです。

漢字は中国のもの?

日本人で漢字の起源が日本だと言う人はまずいないでしょう。

漢字は殷の時代に生まれ、周の時代に広まったそうで、漢字が中国から日本へ伝わったのは4世紀~5世紀頃と言われており、ひらがなとカタカナは漢字をもとに平安時代初期に作られたそうです。

そこから現代に至るまで、日本は漢字、ひらがな、カタカナの3種類の文字を使い分けている特殊な国となっていますが、漢字と一言で言っても中国の漢字と日本の漢字では意味が同じのもあれば違うのもあります。

中国でしかほぼ使われない漢字もあれば、日本人が作り出したオリジナルの漢字もあります。また、現在では大陸やシンガポールは簡体字ですが、香港や台湾は繁体字で、また香港と台湾の繁体字も微妙に違います。

このように考えると、漢字は中国大陸が起源ではありますが、東アジア共通の財産のようになっています。

中国が逆輸入した漢字

中国語を勉強していると、日本人にとってなじみのある単語を頻繁に目にします。たとえば、政治、法律、経済、財務、外交、他には、確認、確定、決定、判断、安全などなど、これらの二文字漢字の単語は、発音と書式(簡体字や繁体字など)こそ日本語とはかなり違いますが、単語の意味は日本語と同じ場合がほとんどです。

漢字は中国が起源なんだから当たり前でしょう?
と思われるかもしれませんが、実は、動詞は意味が全然違うのです。
一例を挙げると、

去:行く
見:会う
看:見る
走:歩く
跑:走る会:できる(英語のcanやwillのような助動詞的用法)

などなど、ほとんどの動詞は日本語の常用漢字でもおなじみの漢字ですが、動詞としての意味は微妙に異なります。

つまり、前述の二文字漢字だけ中国からそのままの意味で取り入れ、動詞だけ違う意味で取り入れたというのはやや滑稽で、普通に考えればこのようなことはしません。

実は、外国語の漢字化は江戸時代から始まり、日本が明治維新によって文明開化で外国、特に欧米から学ぼうとした際に、横文字をそのまま覚えることは一般の日本人にとってはハードルが高いため、当時の日本人ががんばって漢字に変換しました。ベースボールを野球と翻訳したのは正岡子規だというのは有名な話です。

当時の中国は清王朝で、まだ外国から学ぶとというよりは、江戸時代の日本のように毛嫌いしていましたので、明治時代の日本のような横文字の翻訳作業は進みませんでした。その後、、日清戦争後に中国から日本へ留学する人が増え、彼らが本国に持ち帰って普及したという側面もあるそうです。

最近では、取消や帰化なども日本で生まれて中国で普及しました。
ちなみに、人民、共和国、共産、党、これらはすべて和製漢字です。

このように、長い歴史の中で、日本と中国は経済的だけでなく文字の上でも相互に強く影響を与え合っています。

日本と中国はごはんとパンの関係

少し話が飛びますが、日本人と中国人は考え方が全然違うと言われます。

そりゃそうです。
世界レベルで見れば地理的に比較的近く、経済や文化などの面でお互いに影響を与え合ってきたとはいえ、それぞれが異なる歴史や風土、風習を持っているため性格や考え方が異なるのは当然です。

ただ、日本と中国、日本人と中国人は、本当に何から何までまったく異なるのでしょうか?

もちろん、そんなことはありません。
共通しているところ、似ているところも少なくありません。

そして、私はこれをごはんとパンの関係だと思っています。

ごはんとパスタや餃子でもいいかもしれませんが、要は、ごはんはお米、パンは小麦からつくられており、材料が異なるため成り立ちも異なりますが、
炭水化物という共通点があります。

つまり、炭水化物が東洋的な文化だとすれば、
西洋文化は肉、つまりタンパク質だと思っています。

ここで、念のために炭水化物とタンパク質とは何かおさらしいておくと、

炭水化物:ごはん、パン、麺類などに含まれる栄養素で、筋肉のエネルギー源となる。
タンパク質:肉、魚、豆類などに含まれる栄養素で、筋肉などをつくる素となる。

つまり、炭水化物とタンパク質では働きがまったく違います。

要は、日本と中国は違う部分も多いとはいえ同じ東洋文化(炭水化物)なので似ているところもありますが、炭水化物とタンパク質が栄養素として異なるように、東洋と西洋は基本的には異質の文化だということです。

一方で、日本は古来は中国から、近代以降は欧米から多くのことを学んできました。つまり、炭水化物もタンパク質も両方食べてきたわけです。

ですので、たとえばビジネスだと西洋的な契約文化が根付いていますし、他方で、飲みにケーションに代表される東洋的な人間関係を重視する、つまり、能力だけでなく、家柄や人間関係、コネなども重要なファクターを占める文化も残っています。

契約社会ではない中国

そろそろまとめたいので本件については軽く浅堀り?するだけにしますが、
西洋の契約文化は、個人的には神との約束=契約から来ていると思います。
ですので、一度本当に約束・契約したら、基本的には破ってはいけないのです。

一方で、中国では契約書なんて議事録の代わりぐらいにしかなりません。
契約書を交わしても結果が違ったり、納期が遅れたりすることは日常茶飯事ですし、いくら契約を先に交わしても、お金を支払わない限りスタートしません。

このあたりが外国企業が中国企業と取引する際に困惑する部分です。
前述の通り、契約書は単なる議事録の代わりなので、外国人がいくら契約を交わしたから進めてとお願いしても、進めてからお金が払われないリスクを考えると、お金が着金するまでやらないとなるのも理解できます。

通常は中国国内での取引におけるリスクヘッジとして、着金してから進めるというビジネス文化ですが、相手が外国企業だと、たとえその会社が世界的に有名な会社であっても、海外の取引はまた別のリスクがあるので、結局その金銭的リスクを加味すると、海外との取引も結局は着金してから進めるとなります。

納期が遅れるのも、これもたとえば製造業だと一つの製品をつくるのに材料メーカー、部品メーカー、組み立てメーカーなど多くの会社が関わっているため、たとえほとんどの会社がまっとうで、納期遅れが無かったとしても、
そのサプライチェーンのどこか1つか2つでも不真面で納期が遅れると、結果的に関連するすべての会社が栄養を受けます。

つまり、自分たちのせいではない場合も少なくないため、納期が遅れても仕方ないじゃん。で終わってしまいますし、自分たちのせいではないので、基本的に謝罪もしません。

また、納期の帳尻を合わせるために奔走したり、徹夜してでも納期を守ったりという文化でもありません。

とんでもないと思うかも知れませんが、最近では日本でも下請けいじめやパワハラ、ブラック企業などが問題になっています。日本の約束や納期は死んでも守るという文化は、えてしてこのような負の側面も背負っているため、
納期を守るために自分の生活や健康を犠牲にしない習慣というのは、決して非難されるべきではありません。

むしろ問題なのは、このようなイレギュラーが発生した際に、嘘つきや不真面目などと相手を糾弾するだけで、自分たちの問題としてとらえない歪んだ考え方です。

中国や中国人のビジネス習慣を理解していれば、どのようなリスクがあるかわかっていれば、あとは自分たちでリスクヘッジすればいいだけです。

もし営業的な観点から、品質の不具合や納期遅れが発生すると取引先に迷惑をかけたり謝罪しないといけないので、その怒りの矛先を中国の取引先に向けたくなる気持ちもわからなくもないです。

ただ、営業なら、リーダーシップを発揮して、率先して管理や確認、調整をするのも大事な仕事です。

それをしないでただ注文を右から左に流しているのであれば、それは営業とは言いません。単なる手配師です。

ただ単にお客様と話をするだけなら、それは営業ではなく、単なる御用聞きです。

だいぶ脱線しました。

そろそろまとめますが、日本と中国の関係で言えば、近からず遠からず。

ただ、基本的には異なる文化と考えを持った人たちだという視点に立脚しながらお互いを理解することに務めるべきだと思います。

なお、本件について詳しく知りたい方は、ぜひ一年前にYouTubeにアップした以下の動画をご覧ください。

中国と日本の曖昧な部分の違い
https://youtu.be/GM8oig5ey3M

まとめ

いかがでしょうか?以下、まとめると、

・中国は歴史の長い国であり、4000年の歴史というのはあながち的外れでもない。

・中国と日本は、経済史的な観点から見ると開国と鎖国のスイッチがおもしろいようにリンクしている。

・今の中国には和製漢字も日常的にかなり使われている。

・日本文化と中国文化は基本的に異なる文化であるが、経済的にも相互に影響を与え合っている。

表題の相互依存という意味では、今の日本と中国は経済的にかなりの依存関係にありますが、昨今の世界情勢の変化により、今後はその関係がアジャストされるのか、さらに相互依存が深まるのか。

中国と関係したビジネスをしている私としては、今後も注視していきたいと思います。

では、次回は最後のキーワードである中国の「速さ」について深掘りします。

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