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速すぎる中国と深センスピード。~中国雑学シリーズその5~

こんにちは、アイデアポートの鈴木です。中国深センで起業しています。

前回は、中国をあらわす4つのキーワード「広い、多い、長い、速い」の中で、3番目のキーワードである「長い」に関して、中国と日本の経済史に絡めてお話ししました。

前回の記事が気になる方は下記からご覧ださい。

長すぎる中国と日本の相互依存。~中国雑学シリーズその4~
https://note.com/ideaport_suzuky/n/n27421aa32de2

では、今回は最後のキーワードである「速い」について深掘りします。

激しいアップダウンを繰り返してきた中国

去年、トルコ在住の方とオンラインでお話する機会がありました。
その方はかつて中国での駐在歴もあったため、中国の話でも盛り上がりました。

正直、何を話したかほとんど覚えていませんが、一つ記憶に残っているの言葉があります。

「歴史的に見ても、絶頂期と絶不調期を延々と繰り返しているのは中国だけだ。」

というようなことをおっしゃっていたのです。

なるほどなと。

確かに、ローマ帝国しかり、オスマン帝国やモンゴル帝国、当時世界最大の版図を築いていた大英帝国しかり。
世界の少なくない国が、一度は世界一の超大国になった経験はあっても、一度衰退したらかつての水準に戻ることは二度とありませんでした。

ところが、中国だけは唯一の例外で、前々回の人口爆発と人口崩壊や前回の経済史のお話からもわかるとおり、その歴史上、延々と繁栄と没落を繰り返してきました。

このような国は中国しかないと。

つまり、ここで強調したい中国の速さとは、
変化の速さとその激しさのことを指しています。

これは、中国最大の特徴の一つである共に、中国に住む人や中国と付き合いがある人たちによっては、留意しておく点でもあります。

それとは逆で、日本の場合は、いつ起こるかわからない地震や津波の恐怖は常にあるものの、政変が起きたり、経済が突然大崩壊するといったことは起こりににくいです。むしろ、戦争が起こるリスクの方が高いかもしれません。

日本はバブル崩壊以降、失われた10年、20年、30年と言われて久しいですが、逆に言えば延々と現状維持を続けてきたという証拠でもあります。もちろん、自分たちが現状維持でも他国が成長しているため、実質的には相対的に下がっているのですが。

とはいえ、バブルが崩壊したからすぐ経済が大崩壊し、国が崩壊したとはなっていません。これからも、経済に限らず、すべてにおいて徐々に悪くなるか、徐々に良くなるかというこの2つの可能性が、依然として高いと思われます。

政治面も、たとえ政変が起こったとしても首相が変わるだけで、よっぽどのことがない限り日本から皇族がいなくなることは無いと思われ、このことにより、政治の最低限の安定が保証されています。

むろん、ヨーロッパの国々に見られるように、王族を廃止したり、また復活させたりということが将来的に起こる可能性はありますが、現状を鑑みるとそこまで大きな変化が起こる可能性は低いでしょう。

確認が速い中国

確認が速いというとポジティブですが、実情はロクに確認をしないから速いとことですね。

もっといえば、これだけ経済発展した中国で、いまだにモノやサービスの値段が安いのは、するべき確認をすっ飛ばしているからだと言えます。

逆に言えば、日本の場合は慎重に慎重を重ね、確認に確認を重ねるのでその分人件費がかかり、コストがかかってなんでも高くなる傾向があります。今は他国と比べて物価が相対的に安くなっているとはいえ、です。

慎重という意味では、得てしてリスクを必要以上に考えるため、本来ならもっと安くできることでもやり直しや不具合のリスクを勘案し受注者側は高く見積もったり、一方で、発注側からすれば、まだ上手くいくかわからないから、相手が信用できるかわからないからなどの理由で、とにかく最初は安く済ませようという雰囲気があります。

度を過ぎた確認という意味で一例を挙げると、以前、日本の手帳メーカーさんと一緒に深センの手帳メーカーを訪問した際のできごとです。

その工場は従業員が800人もいる(それでも中国では中堅工場ですが)工場で、完成品検査もそれなりの人数をかけて実施ていました。
ところが、完成品検査が2ラインあるのかなと思っていたら、もう一つはその製品のクライアントが自分で手配した検品業者だったようです。

つまり、工場の完成検査が終わったあと、そのあとすぐに、その隣でまた箱を開け直し、立て続けに同じかもっと厳しい基準で再度全数検査していました。

さらに、工場出荷時に再検査しているにもかかわらず、日本に到着してからも日本で再検査しているとのことでした。さすがに日本側は抜き取り検査かもしれませんが。

私もびっくりしましたが、逆に言えば、それだけコストをかけても採算が合う金額で発注しているということですよね。そういう意味では二重にびっくりしたことを覚えています。

私と一緒に手帳メーカーを訪問したクライアントは、その時は新たな取引先候補を探す一環としてその工場を訪問したのですが、打ち合わせの最後に工場の社長から質問がありました。

「我々は日本の仕事をしており、日本の細かなところまで気を配るやり方は良いことでもあるし、我々も学ぶところも多いです。ただ、手帳の端が1mm長いとか短いとか、そういった細かなことに時間をかけるくらいなら、その時間とコストをもっと別のところにかけた方が合理的ではありませんか?」

私は確かにその通りだなと思いました。
そして、この質問に対するクライアント側の品証の部長さんの回答は、

「確かにその通りです。我々も日本のお客様から同様の要求があるたびに悩んでいます。ただ、そのような細かなことは、一つ一つはあまり意味がないと思われますが、一つあまくしたら、別のところもあまくなり、それが積み重なると結果的にまったく別モノになってしまいます。とはいえ、(工場の)社長のおっしゃることもごもっともですので、我々もそのバランスにいつも悩んでいます。」

今思い返しても、パーフェクトな回答ですね。
また、実際にその通りだと思いました。
いずれにせよ、この両者のやり取りには感銘を受けました。

話を戻します。
私も同じ日本人として、このように慎重を期して細部まで確認するという考え方は理解できます。

ただ、日本国内ならこれでも通用しますが、この考え方を海外の方を相手に持ち込むのはいただけないですね。ある程度良いのですが、度が過ぎると相手は信用されていないと思い、当然相手にとってもおもしろくありません。

見積もりが速い中国

余談ついでに、見積もりに対する日中の考え方の違いについても言及したいと思います。

日本の場合は、ある程度のやり直しや認識不足などのリスクも加味して高めに見積もる場合が多いです。

最大の理由は、日本においては約束を守ることが重視され、

約束不履行→信用失墜→その後のビジネスやプライベートに多大な影響がある。

という共通認識が日本社会には根付いているため、仮に見積もりをミスしたり、製品なら不具合があってやり直しとなったとしても、基本的にお客様にその分を請求できません。どうしても困る場合はお客様や関係者に相談しますが、基本は自分たちでかぶる場合がほとんどです。

ですので、あらゆるリスクを加味して見積もりを出します。
もちろん、リスクを考え過ぎたり、利幅が多過ぎたりして見積もりが高くなり過ぎても受注できないためバランスが大事ですが、見積もり時の条件から内容が変わった場合は別ですが、繰り返しになりますが、基本的には何かトラブルがあっても見積もり以上の金額を請求しないというのは日本の商習慣の常識だと思います。

そんなんこと当たりまえだろ?
と思われたかもしれませんが、それが当たり前なのは日本を含めて、世界レベルでみたら少数派だと思います。

では、中国はどうかとうと、見積もりは時間をかけずにぱぱっと提出する場合がほとんどです。

その理由はいくつかあって、
まずは見積もりのような一見すると無駄な事務作業の工数を減らしたい。
なので、過去の類似例を参考に見積もる。
最後は、最悪間違っていてもお客様に追加で請求すればいい。

このようなことを実際に口に出して言う人はほとんどいませんが、私のこれまでの経験からすると、ほぼこのように思っている人が多数派を占めると考えています。少数派の人たちは、外国企業との取引に慣れていたり、コンプライアンスが厳しい大手企業とかですね。その他大勢の中小零細企業の経営者及び従業員はそこまで切実な思いをして仕事をしていません。

本件についても一例を挙げます。

ある工場が日本からとある石膏でできた店頭ディスプレイの受注を受けました。ここで言う店頭ディスプレイとは、店頭に置かれるモニターのことではなく、お店の店頭におかれるキャラクターをかたどった像のことで、材質は石膏だという意味です。また、表面の色はスプレー塗装です。

その工場は、そのクライアントからの受注は初めてですが、たまたま日本の別のお客様の仕事をしており、それを参考にして見積もりを提出し、無事受注しました。

ところが、です。
参考にした既存の日本の顧客の製品と、新しい日本のクライアントの製品とでは、製品の大きさや複雑さ、色味や品質要求など、まったくの別モノでした。

既存のお客様の製品はかなり大きく、材料費はそれなりにかかるとはいえ、色は単一で多少の色むらや細かなキズなどは大目に見てくれていました。

一方で、新しいクライアントの製品は、大きさは既存クライアントの製品の1/4くらいでしたが、色は5、6種類使い、お店の軒先という目立つところにお置かれることもあり、ちょっとした色むらやキズなどもすべてNGです。

よって、できたものがことごとくNGとなり、ほぼ作り直しか手作業による塗装の修正が入り、膨大な追加コストがかかりました。

私は当時は深センで通訳をはじめたころで、ほぼ毎日のようにそのクライアントさんと一緒に深センの隣町である恵州のその工場まで一緒に行って、朝から晩まで通訳だけでなく、一緒になって品質をチェックしていました。

ただ、こうなると工場側はたまったものではありません。
完全に予算オーバーです。

この案件は製品の数が多く、複数のコンテナに分けて出荷する必要があったのですが、一つ目のコンテナを出した後に、工場側がたまらず追加見積もりを出してきました。そして、二つ目以降は、追加費用を払わなかったら出荷しないと言い出したのです。

そして、それで困った日本のクライアントが、私を見つけて協力を依頼してきたという経緯があります。

当然、日本のクライアントは支払いを拒否します。
なぜなら、見積もりをミスした責任は工場側にあるので、工場側が責任を取るのが普通だからです。日本では。

それに、そもそも見積金額が安かったから発注したのであって、値段が大幅に上がるなら前提条件が根本的に変わります。

日本側かしたら、仕事を受注するためにわざと安い見積もりを出し、受注してから値上げをしてきた。つまり、騙されたと感じても仕方がありません。

中国に発注すると最初は安いが結局値上げされる。というのはよく聞くトラブルですが、受注後に値上げをされるカラクリは、戦略的に最初は安くして後から回収すればいいという騙し討ちに近いことをする人ももちろんいるでしょうが、このように見積もりが甘いということも往々にしてあります。

確かに工場側にも見積もりが甘かった責任はありますが、日本側も日本側で品質要求が元々の仕様よりも実際の要求が厳しかったり、発注する際のチェックが甘かったりしたこともあり、発注側にもまったく責任がないとは言えません。

最終的には、出荷してもらわないと困るため、クライアントはしぶしぶ追加費用を払っていました。

根深い国際間の多重下請け構造

余談ですが、本件は別の意味でびっくりしました。

というのも、この店頭ディスプレイの発注のスキームがものすごい多重発注構造になっていたからです。

まずは発注者として、日本のある大手企業がその子会社の広告代理店に発注しました。この広告代理店が元受けになりますね。

そこが、今度は外部の大手広告代理店に発注し、そこから今回の私のクライアントである中小企業に発注。さらにそのクライアントが香港のエージェントに発注し、最終的にそのエージェントが恵州の工場を見つけて発注しました。

まさに、日本と中国を跨いだ5次受け、6次受けの構造です。

ところが、今回のようなトラブルになっても香港のエージェントが真摯に対応してくれなかったため、日本のクライアントが業を煮やして、そのエージェントを飛び越して深センに従業員を送り込み、ネットで見つけた私とセットで毎日工場に送り込んだという経緯です。私の通訳費用もこの日本のクライアントからいただきました。通訳を始めてからこのような長期案件は初めてでしたので、今でも鮮明に覚えています。

深センスピードとは?

本稿のタイトルである深センスピードの話しに移ります。

深センはその昔、人がほとんど住んでいない未開の漁村でした。
そのド田舎であった深センが急激に発展し、北京・上海・広州・深センと言われるようになったのは、本当にここ10年くらい、厳密に言えば6、7年くらい前にGDPで広州や香港と肩を並べ始めてからです。

私が11年前に深センに初めて来た時も、人はまだ少なく、未開発地もまだ多くありました。今ではGDPで広州と香港を抜き去り、華南エリア最大の都市となっています。

改革開放40年の発展に見られる深センスピード

深センスピードと一言で言ってもいくつか種類があります。

その一つ目は、1978年に鄧小平さんの鶴の一声で改革開放政策が始まりましたが、翌1979年に深センが経済特区に指定されてから、わずか40年あまりで世界有数の大都市へと発展したことです。

ものづくりにおける深センスピード

ただ、真に深センスピードという言葉がふさわしいのは、製造業においてでしょう。

現在の深センは、その周辺都市と一体となって電子製品・ハイテク製品のサプライチェーンが高度に構築されています。現代の深センが「ハードウェアのシリコンバレー」や「紅いシリコンバレー」と言われるゆえんです。

このことにより、プロトタイプを作っては改善し、テストマーケティングを重ねて量産する。というPDCAサイクルを高速で繰り返すことで短期間で大量の製品を生み出し、それを巨大な中国市場や外国に売りることで得たお金を再投資するという好循環が生まれ、近年の驚異的な発展スピードにつながりました。

また、ベンチャー企業に対する政府やベンチャーキャピタルの資金的なサポートも規模が異なります。日本円で数百万、数千万といったレベルではなく、数億、数十億という規模のお金が動きます。有望な事業にはとんでもないスピードでとんでもないお金が集まるのです。

もう一つは、電子部品がタダ同然で、しかもスグに手に入るというもの大きいです。

たとえば、弊社では電子製品の受託開発をしていますが、華強北電気街やタオバオやTモール、アリババなどのネットショップから電子部品が大量でかつタダ同然の値段で手に入ります。

ネットで2、3元(50円前後)のものを発注しても、送料無料で届きます。これはメーカーと運送会社との間で物量に関係なしに定額契約を結んでいるからのようですが、こんな国に単なる価格で勝てるわけがありません。

こうなると開発なんてほぼ人件費ですが、中国は国内で人件費の格差が激しいですし、日本と比べると独立志向の人が多いため、株をシェアするなど、人件費を抑える方法やいくらでもあります。

このような会社に勝つには、商品に付加価値をつけたり、ブランディングするなどしないといけませんが、これらは一朝一夕でできることではありません。

深センにはベンチャー起業家が育ちやすい下地がある。

どこの国であろうと、創業したてはお金がない場合がほとんどです。

資金に余裕がないベンチャー企業にとっては、仕入れや交通費などの経費はできる限り抑えたいところですが、中国は人口が多くて採算を取りやすいからなのか、交通費は日本と比べても格安です。

そして、前述の通り部品代もあまりかからないとなると、開発費用に占める経費の割合は低く、ほとんどが人件費となります。

ただ、ほとんどが創業メンバーで占めるベンチャー企業なら、給料はほぼなくても、株を持ち合い、会社が大きくなった時の創業者利益を狙うというこで人件費はかかりません。

一方で、現実問題として、給料がなければ普通は暮らしていけませんが、そこが深センが他の都市と異なるゆえんです。

40年前に経済特区になった深センには多くの人がチャンスを求めてやってきました。深センに働きに来た人たちもいれば、ファーフェイの創業メンバーたちのよう軍を辞めて、深センに来て起業した人たちもいます。

彼ら彼女らの親世代が経済特区になったばかりの深センでがんばった結果、
ある程度裕福になり、今後はその子供たちが生活の心配をすることなく、自分のやりたいことに時間とお金をかけられる下地ができました。

これにより、起業当初の苦しい時代を乗り越えることで多くのベンチャー企業が生まれ、その中からユニコーン企業へと育つようになりました。

既得権益層がいなかった深セン

私はこれらの下地に加えて、新しい街なので既得権積層がぼほいなかったことも功を奏したと思っています。

よく考えてみれば、かつての日本もそうでした。

約160年前、明治維新の大革命により当時の既得権益層が力を失い、まだ何もルールがない中で若者が伸び伸びと仕事をした結果、維新後わずか40年で日露戦争で勝利するまでに発展しました。

日本は第二次世界大戦の結果焼け野原になり、社会がひっくり返ってリセットされた結果、既得権益層がほぼいなくなったことでバブル崩壊までの約40年間で驚異的な発展を遂げ、世界第二位に経済大国になりました。

深センも同様に、元々人もいなければ大した産業もなかったため、何をやろうと余計な口出しをしたり邪魔する人はいません。むしろ、深センのためにどんどんやってくれという感じでだったでしょう。

ただ、20歳の若者も40年経てば60歳のベテランになります。40年も経てばいろんな既得権益層が育ち、それが新しいことをする人にとって足かせとなります。

実際、日本も明治維新40年、戦後40年を過ぎたあたりがピークで、その後の40年はそれ以前と比べれば勢いを失い、停滞しました。

他都市に先駆けて深センで普及したシェアサービス

この既得権益層の有無を象徴するようなできごとがありました。
2017年のことです。

2017年はシェアサービス元年だと言われています。
シェア自転車を皮切りに、シェアモバイルバッテリーやシェアアンブレラ、シェアロッカーなど、ありとあらゆるシェアサービスが中国で一気に普及しました。

いや、厳密に言うと、深センに住んでいた私はそう思い込んでいました。

というのも当時同じ大都市である上海行った際にわかったのですが、深センほど普及していなかったのです。他の都市でも、同じ時期で比べると深センほど普及していませんでした。

確かに、たとえばデジタルチックなシェアモバイルバッテリーですと、上海に多く残っているアンティーク調の建築物にはふさわしくありません。
シェアロッカーはある程度普及していましたが、シェア自転車やシェアアンブレラもあまり見かけませんでした。

もちろん、最終的にはシェアアンブレラ以外は、シェアカーも含めて中国全土に普及したのですが、深センは他の都市に先駆けて市内全土に普及しました。これも深センスピードといわれるゆえんです。

そして、上海が深センよりも普及が遅れた原因は、新しいもの好きの深セン人と、中国最大の都市で規則権益層も十二分に育っている上海との違いだと私は考えています。

まとめ

いかがでしょうか?以下、まとめると、

・中国はその歴史において激しい変化を繰り返してきた。

・ものごとのスピードが速かったり安かったりするのは、得てして確認が疎かになっている場合がある。

・見積もりが速いが不正確な場合が多いのは、リスクを甘く見たり、あまり深く考えていないことに起因する。

・深センはハードウェアのシリコンバレーと言われるくらい、電子製品・ハイテク製品のサプライチェーンが発達している。

・プロトタイプから量産までのPDCAサイクルを高速で繰り返すことで好循環を生み出し、一気に発展した。

・新しい街なので既得権益層がほぼおらず、能力のある若者が伸び伸びしごとすることで一気に発展してきた。

最後に

ここまで、「広く、多く、長く、そして、速い国、中国。」というテーマに基づいて、私が住んでいる深センや広東省を中心に様々な観点からお話ししてきました。

ただ、最後に言う言葉ではないかもしれませんが、

中国人でも中国はわからない。
中国人であっても中国は競争が激し過ぎる。

と言われるくらい、中国は複雑かつ生きるのが大変な国です。
これまで5話にわたって、私の勝手な意見を書き連ねてきましたが、正直、このナゾの多い国を完全に解明するためにはほとんど役に立たないかもしれません。

ただ、私の意見により、もし新しい視点を発見することができ、皆さんの中国に対する理解の一助となれば幸いです。

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鈴木陽介デジペクリエイター@ドジノスケ
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