精神を病む悪循環を垣間見た

私の強みは、身体的・精神的にタフなところです。

ESに書き面接で答えてきた。嘘や見栄ではなく、実際にそう思っている。だって、タフだからといってどれくらい有利なのかわからないが、人よりも有意に自信を持てる部分は本当にそれくらいしかない。そんな私が、精神を病みかけた話をしたい。運良く深みにはまらずに戻ってこれたのだが、下手したらはまりかねない悪循環を実感した。その恐ろしさを共有したい。

私のタフさについて 〜身体編〜

まず、私がどれくらいタフかということをご紹介しておきたい。しょーもない私のタフ自慢に興味のない方は飛ばしていただきたい。幼稚園〜高校まで、欠席したのは幼稚園の時の1日で、小中高と全て皆勤賞だ。インフルにかかり出席停止扱いが2回、部活の大会での公欠は5回程度、忌引きは1回、と実際の欠席はもう少し多いが、記録上の遅刻欠席は小中高で皆無だ。中学時代は陸上部と吹奏楽部を掛け持ち、最も忙しかった年は夏休み(35日間)中の休みが計3日だった。高校時代は陸上に専念し、高3の夏休み(受験生にとって”勝負の夏”と言われる、夏休みである)まで部活を続けていたが当然受験生だったので1日平均10時間の勉強時間を目指し、部活がある日は7〜9時間、オフの日は11〜13時間の勉強に励んでいた。恐ろしい。大学時代には、朝6時からのホテルの朝食バイトに進んで出勤していた。なぜかというと、最小の勤務時間が4時間なのだが、6時からだと4時間働いても10時なのだ!その後ほぼ丸1日、予定を入れられる。

私のタフさについて 〜精神編〜

私のタフさは身体のみにとどまらない。タフで、なんというか、とても幸せな性格をしている。簡単に言うと、おそらくドMなのだ。「苦しさは成長してる証拠!」「この失敗も何かに繋がるはず」と真面目に思っていて「涙の数だけ強くなれるよ」を地で行く人間なのだ。落ち着きがない性格だから日々色々とやらかしているし、馬鹿正直だから人を簡単に信じて騙されることもあるし、要領が悪いから何事もスマートにできないし、落ち込む要素はいくらでもあるのだ本当に。でも、それらを全てネタに昇華させてしまう。Twitterのいいねに昇華させているのだ。そんなお気楽な人間だ。

病み期は突然に

そんな私が、である。自分でも驚いた。原因は何を隠そう就活である。ありきたりすぎて泣けてくるが、就活が思うようにいかないと本当に辛い。就活を経験して気づいたこと・考えたことなどは別の機会にまとめてみたいと思っているが、簡単に言うと、私は心のどこかで就活をナメていたし、その甘くない現実に直面して苦労した

始めてすぐの頃は、ちょうど私が1年ぶりに留学から帰国した時期でもあり、積極的に予定を入れて友人・知人と会っていた。就活では東京に行くからこそ、色々な人に会えると思い、いろんな人と会うつもりだった。しかし、就活全体の準備期間が短かったこともあり、面接やテストに向けた準備に時間を割かなくてはいけなくなって、途中から人と会うことをやめてしまった

人と会っていると、シンプルに楽しくてストレス発散になるし、(相談してるわけじゃなくても)就活・仕事についての考えが参考になるし、良いこと尽くしだったので、忙しくても続けるべきだとはわかっていた。でも、就活中は単純に時間がないだけでなく、予定が読めない。「もしかしたらこの日の夜に会えるかもしれない」という状態で誘えるほど、私のコミュ力は高くなかった。
幸い、私は実家で生活していたため、家に帰れば両親と話ができた。就活の状況は両親の経験と違いすぎてアドバイスをもらうことはできないが、話を聞いてもらえる、遠慮もなく愚痴を言える環境にいたことは本当にありがたかった。

始めて1ヶ月経った頃、同じ日に面接を受けた(通過者には即日の連絡が決まりの)2社から連絡がなく、受けに行った帰りの電車で既に不採用を悟った時の疲労感は今でも忘れない。その時は、初めて最終面接まで進んだ企業の連絡も待っていて、既に2週間が経とうとしていたので最終落ちも悟っていた。感触の良かった1次面談を終えた企業からも音沙汰がない。
「あれ…?」と怖くなり、自分の就活スケジュールを見てみると、それ以降残っているのはこれから選考予定の記者職の4社しかなかった。(記者職の夏採用なんて本当に少数しか採らず、とてもアテにできない!)

この瞬間だった。

私は何をしてるんだろう、この先どうなるんだろう。初めて、本格的に不安になった。眠れなかった。いくら記者が第一志望とはいえ、その頃受けてた企業は「(上から目線のように聞こえるが)行ってもいい」と心から思っていたところだった。本気で臨んだのに落ちた。この事実が、私には本当にショックだったんだと思う。それまでは「他の就活状況を聞かれて、受けてる企業のことが本気だと伝わらないから落とされる」と繰り返してきた言い訳が、通用しなくなったからだ。

人に会いたくない

翌朝、目の前で泣き出した私に、母は優しく対応してくれた。母自身も、「自分では何のアドバイスもできない」と感じていたのだろう、「誰かに会ってきなよ」と提案してくれた。私が尊敬している先輩大好きな高校の先生(私は母校が大好きで、母校の先生たちも大好きで、帰省する度に会いに行っていたが、就活中は行っていなかった)、大学でお世話になった教授、、、色々な人を提案してくれた。

それは、自分自身でも考えたことだった。家族以外と会ってないからこそ、考えも狭まるし、自分を追い込む。好きな人と会って、別に就活の話じゃなくても話をすることで、気楽になれることはわかっていたでも、この落ち込んだ状態では、それが無理だと思ってしまった。
それまで私はタフさがウリのに、弱っている姿を他人に見せたくない。成績優秀で将来有望と褒められて期待されてきたのに、「就活がうまくいかない」なんて落ちこぼれた姿を見せたくない(落ちこぼれというのは、その時自分のことを思ってしまっただけで、他者に対して思っているわけじゃないです)。そんな、不必要なプライドの高さが邪魔をして、「絶対に誰にも会いたくない」と思ってしまった。

これが精神を病むメカニズムだ!

ここで私は気づいてしまった。こうして、人は精神を病むんだと。人に会えれば少しは元気になることがわかっているのに、既に落ち込みすぎてて人に会うことを拒む。そしてどんどんと深みにハマっていくという悪循環だ。
もちろん、精神の病み方は1通りじゃないだろうし、必ずしもパターン化できるものじゃない。それでも、こういう経緯で辛いところまで行ってしまう人も少なからずいるこの悪循環を断ち切ることは非常に難しい。だって、循環するから。

(私は幸いにも、この日、究極に落ち込んでいた日、以前受けて落ちたと思っていた筆記試験が通っていた連絡をもらい、前を向けた。記者職で初めての受験だったので、そこの筆記試験が通ったことで、「全くアテにできない」と思っていた記者職の選考に、少しは希望が見えて頑張ろうと思えたからだ。
でもこれは本当に偶然で、奇跡だと言っていい。もしこの日(ちょうど金曜だった)に連絡がなければ、土日のうちに落ち込みがエスカレートしていただろうし、もしこの試験で落ちていたら、就活を続ける気力もなく、想像もつかない状態になっていたかもしれない。)

だから、有効なのは、この循環にハマることを防ぐことだ。
「もうダメだ」と限界に達する前に、人と会うこと。「辛くなったら誰かに相談しよう」と思いがちだが、案外それはできない。辛くなってからでは手遅れだ。少しストレスを感じてるなあ、なんとなく誰かと話したいなあ、というくらいの状態の時に、何よりも優先させて、人と会う

そして、別にこれは”人と会う”ことに限定されない。私の場合はそうだっただけで、他の”ストレスを軽減させてくれて、気持ちを前向きにしてくれる”方法は何にでも当てはまると思う。
ちなみに私は、偶然「留学から帰ってきた」という大義名分があったからこそ自分から誘ったり人から誘ってもらったりして、積極的に友人と会おうとしていたわけだが、圧倒的コミュ障なので、普段は自分から誘えないし、友人の数も決して多くない。だからストレス解消法としては、スポーツや読書、ヒトカラが圧倒的だ。

「早期発見、早期治療」は心にも

とにかく、「限界まで辛くなったら対処しよう」では手遅れなのだ。変なプライドが邪魔したり、そうじゃなくても、元気な時と同じようには考えられず、極端な考えに走ってしまったりする。

誰にでも起こりうるし、突然起こる、精神的な辛さ。
少しでも兆しを感じたら、ぜひ早めに自分なりの対処をしてください。

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