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連載更新 挿話「芸大&クラシック音楽の現場取材」 (2000年代物書き盛衰記〜ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)

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挿話「芸大&クラシック音楽の現場取材」
(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)




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新章「大学の取材編」その4
(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)


2005年6月3日〜大阪市音楽団の演奏会

 今日は、大阪のクラシック専用ホール(日本初だった)のザ・シンフォニーホールへ行く。
 筆者が通っている音大には、全国でも珍しい本格的なオペラハウスがある。そこの専属管弦楽団はれっきとしたプロのオーケストラで、年3回のオペラ上演以外にも、定期演奏会などを精力的に行っている。そこの常任指揮者であるY氏の知遇を受けて、何度か演奏会に行き楽屋にお邪魔させてもらった。
 今日はそのY氏が、全国唯一の自治体所属のプロ吹奏楽団である(であった)大阪市音楽団を指揮するコンサートがあるのだ。
 シンフォニーホールへは、これまでそれこそ数え切れないほど演奏会を聴きにきたり、ベートーヴェンの第九交響曲のコーラスに出演したりして、ホールの裏も表も隅々までよく知っている。だが、この日は勝手が違った。ホールの客席が中高生の色とりどりの制服姿で占領されている。まるで学校行事に紛れ込んだみたいな気分だ。
 それもそのはず、今日の演奏会では、今年の全国吹奏楽コンクールの課題曲を全て演奏してくれるので、それ目当てに吹奏楽部の中高生が大勢集まったというわけだ。
 コンサート自体は、なかなか意欲的な内容だった。世界初演や本邦初演の曲が何曲もあり、作曲家まで挨拶に出てきた。こういう場所に大勢の学生が集まり、吹奏楽の新しい曲が生まれる瞬間に立ち会うというのは、意義がある。子どもたちの心にまかれた音楽の種は、いつか日本の音楽界に新鮮な芽を出し、後世に音楽の魂を伝えていくことだろう。


(だが現実には、その後、大阪府の知事に橋下徹氏が就任し、文化芸術の予算削減を始めて、真っ先に大阪市の抱える大阪市音楽団は税金無駄遣いの標的にされ、あっけなく大阪市専属の位置を失った。その後はファンの支えもあって民間団体として再生したが、大阪市は貴重な、全国唯一の自治体所属プロ吹奏楽団を失う羽目になった)


 演奏会のあと、指揮者のY氏の楽屋に向かった。このホールは部外者を楽屋に入れてはくれないのだが、受付でY氏に連絡してもらって、入れてもらった。
 指揮者の楽屋はなかなか広い一室で、来客用のソファ・セットが置いてあり、今も何かのインタビューが行われていた。Y氏はいつものように、ステージ衣装を絨毯の上に脱ぎ捨てたまま、靴も脱いでころがして、椅子の上であぐらをかいてインタビューに答えている。入ってきた筆者を見て笑顔をみせ、ソファで待つよう指差した。
 そこで、のんびりとインタビューの終わるのを待ちながら、窓の外に見える旧ホテル・プラザの建物を眺めていた。
 もうこのホテルがつぶれて何年になるか。かつてはこの指揮者の楽屋から、歩いてそのままホテルの部屋に戻れただろうに。
 きっと、幾多の世界的な音楽家が、窓の下の楽屋口に群がるファンの群れの数が減るのを待って、ゆっくりとホテルに戻ったのだろう。
 かつて自分がこの窓の下の路上で、ウィーン・フィルやベルリン・フィルの前売りチケットの発売日前日、徹夜で並んでいたことを、ふと思い出した。
 あの頃、正真正銘の大学生だったが、今でも学生たちは、徹夜でチケットに並ぶのだろうか?





2005年6月6日〜小説『トリオ・ソナタ』寄贈

 いつものように、音大の吹奏楽の授業を見学する。このところT先生は毎回、ヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』序曲をやる。これは吹奏楽のレパートリーとして定着しているクラシック曲のアレンジもので、特に木管を合わせるのが難しい。あとは、現代の作曲家のなんとかいう吹奏楽のオリジナル曲を、継続してやっている。これは、だれが聴いても難しいとわかるだろう。とにかく変拍子ばかり続いて、大変そうだ。
 休憩時間に、ロビーで椅子に座ってメモをとっていると、この第2キャンパスの責任者と思しき、いつも事務所にいる先生が筆者を手招きしている。まずい。これはまずい。きっと、自分が学内をうろうろしていることに苦情が出たのに違いない。
 しかし、責任者先生はやけに丁寧だった。
 「あの、いつも見学にいらしてる方ですよね?」
 「はい、あの、こういうものでして」
と、一応、名刺を差し出した。
 「いやいや、T先生から話はうかがってますよ。ところですみませんが、あなたの本を一冊、ここの事務所に頂戴できませんか?」
 「は?」
 「せっかく毎回いらしてるので、学生にも勧めてみようかと」
 「へ?」
 というわけで、全くの杞憂だった。この責任者先生は、吹奏楽のT先生と仲がいいらしく、筆者の書いた小説『トリオ・ソナタ』のことを先生同士で話題にしていたらしい。
 こちらとしては、願ったりかなったりだ。今までにも学生たちに自分の本を渡して読んでもらっていたが、これで堂々と自分の本の話も出来る。
 この人は音大の図書館の仕事もしているらしく、筆者の小説『トリオ・ソナタ』を音大図書館に入れてくれるという。筆者は部外者なのに、こんなに好意的に扱ってもらえるなんてさすがは音大、芸術のプロを育てる場だ、話がわかるな、と感銘を受けた。
 今から思い返してみれば、とにかく、このときはまだ筆者は音大でまともな扱いを受けて、ほとんど公認されていたようなものだったのだ。







2005年6月8日〜東京芸大へ

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/