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(改訂2024年9月) 【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】 第0回 その1 《特集「モーツアルト生誕250年 モーツアルトのオペラ その制作現場」(文芸同人誌「関西文学」より転載)》

(改訂2024年9月) 【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】 第0回その1 《特集「モーツアルト生誕250年 モーツアルトのオペラ その制作現場」(文芸同人誌「関西文学」より転載)》


【まえがき】

本稿は筆者の演奏会印象メモを元にした演奏会批評です。国内オケの演奏会評のうち、関西を中心とした演奏会事情などをまとめます。

第0回として、他媒体に発表済みのエッセイを紹介します。

第0回その1、は2006年に大阪の文芸同人誌「関西文学」に掲載した、モーツアルトのオペラ制作現場の取材レポートです。

この当時、筆者は小説家として商業デビューをした時期で、まだ教員をしながら物書きとして取材活動も精力的に行っていました。
その後、本業の教員を退職し、物書き1本となりますが、その辺りの裏話を、最近、以下のエッセイで連載中です。


※マガジン
ゼロ年代物書き盛衰記〜ゼロ年代に小説家商業デビューした私だが

https://note.com/doiyutaka/m/m17e6144e8b2f

2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?


ここから本編

《特集「モーツアルト生誕250年 モーツアルトのオペラ その制作現場」(文芸同人誌「関西文学」より転載)》


※写真は全て土居豊撮影

大阪音楽大学カレッジオペラハウスは、豊中市の下町のど真ん中にそびえ立つ


 モーツアルトを聴くうえで、オペラを避けて通れない、というのは、いまや常識である。その音楽の天才性をいかんなく発揮したのが、オペラ作品においてだからである。
 ついでにいうと、モーツアルトのオペラがもしなかったら、その後のドイツ・ロマン派オペラも、あのような発展はしなかっただろうともいわれる。なんといっても、オペラはイタリアのものだったのだ。ウェーバーもワーグナーも、モーツアルトの『ドン・ジョバンニ』や『魔笛』の直系なのである。
 2003年から、大阪音楽大学ザ・カレッジオペラハウスは、サマーオペラシリーズとして、モーツアルトの四大オペラを順次上演している。2003年の『フィガロの結婚』に始まり、『ドン・ジョバンニ』、『コジ・ファン・トゥッテ』、そして今年の『魔笛』でシリーズを締めくくる。演出に気鋭の岩田達宗、指揮は常任の山下一史で、シリーズを通して、共通のコンセプトで製作してきた。
 あるきっかけがあって、2005年の『コジ・ファン・トゥッテ』を、歌手の立ち稽古の段階から本番まで、密着取材することができた。さらに、本番直後の打ち上げにも呼んでもらえた。そこでの見聞は、現代日本のオペラ制作現場の抱える数々の問題に目を開かせてくれただけでなく、なぜ日本人がオペラをやるのか、という素朴な疑問にも、一つの解答を与えてくれた。また、モーツアルトの音楽が持つ魅力とはなにか、考えるきっかけにもなった。
 オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』は、いまだに誤解を招いている作品である。タイトルは文字通り「女はみなこういうもの」で、女性の浅はかさを嘲笑する題名と、男女のふざけた恋愛ゲームの内容が、19世紀以来、不評を買ってきた。しかし、音楽的にも内容的にも、モーツアルトのオペラを代表する作品の一つと再認識されてきて、現代では、四大オペラの一角を占めている。
 今回の岩田演出のコンセプトは、「人間の自由」という4回通しのテーマのもとに、この作品では、タイトルを「女」から「人間」に読み替えるという、ドイツの評論家ヒルデスハイマーの解釈に基づく考え方で作品を捉えなおした、斬新な制作である。その意図を強く打ち出して、ステージ上の字幕にも、あえて「女はみんな」ではなく、「人はみんな」というセルフが使われていた。
 以下に、そのレポートを書く。



大阪音大オペラハウスのリハーサル



2 演出家・岩田達宗は語る

 《4回シリーズの通しテーマは「人間の自由」です。テーマの象徴として、4回共通で巨大な羽根を使います。
 『コジ・ファン・トゥッテ』の難しさは、スコアの圧倒的な情報量の多さで、オケも難しい。まともな『コジ…』を観たことがありません。歌手がいかにステージで自由になれるか、それまでの稽古と、キャリアの差が出ますが、当日、笑って観ていられたら成功。しまった、と思うことになったら失敗。アバウトさの中で、キャストが自由になれるようにします。糸で縛り付けずにゆるめておいて、自然な盛り上がりを狙います。
 結果からいうと、今回の『コジ…』は大成功でした。
 セットはシンプルなものほど、きちんと組むのに高い技術がいります。しかし、セットや衣装の費用は大したことはない。もっともお金がかかるのは人件費。スタッフやオーケストラ、コーラスです。日本では、GP(直前リハーサル)はオケのためにやるようなもの。ほとんどのオケがオペラを知らないのです。オペラには必ずPA(音響機材)が必要で、様々な機材の出す音を、いかに無音状態にするかの技術が難しい。むしろ全面的にPAに頼るほうが簡単です。照明は、影を消す技術です。ステージの天井が開いていない状態ではそれが難しいから、天井に反響版を組めないので、ステージ奥での歌にはマイクが不可欠です。
 日本のオペラで、演出と指揮者が事前に打ち合わせたりはほとんどなく、全て現場の仕事です。歌手とは稽古が長いから頻繁にコンタクトをとれます。ドイツでも、レパートリーシステムで、分業化がすすんでいるので、事前に話し合いはありません。イギリスでは、指揮者と演出家をプロダクションが抱えるので、話し合いの機会が多いです。演出家で、スコアが読めない人は、ほとんどコンセプトの提示のみ、あとは助手がやる。自分はスコアを読み、原語の歌詞を読み、イメージを作っていくタイプです。
 もともと芝居の演出出身だが、オペラの演出は、芝居と違って、いろいろハードルが高い。だからやる、ということです。客席後方でお客の反応をみて、たとえ初日がだめでも、次うまくいくように、あいまいにしておきます。》



大阪音大オペラハウスのオケピットと客席



3 指揮者・山下一史は語る

 《モーツアルトはアンサンブルが大事です。今回は、オケと歌手がうまく噛み合って、最高の出来でした。天からなにかが降りてきたような感覚を感じました。ずっと稽古をともにして、同じ釜の飯を食ってきた仲間としか実現できないことをやりとげたという感じです。今日(註・2日目の公演)は序曲からがっちりはまって、歌とオケが噛み合って、すごいことになっていった。客席の反応がよくて、ますます相乗効果が出ました。ここのオケは、歌がのってくると、さらに力を出せるところがいい。
 『コジ…』は無理に笑わそうとしても駄目で、真面目に取り組んでこそ自然に笑いが生じる作品です。貴族の宮廷で、恋愛が仮面劇だったような時代に、こんな深い作品を書いたモーツアルトのすごさを実感しました。
 オペラはお互いに信頼関係がないとできない大人同士の仕事です。このステージを成功させるためにそれぞれがなにをするべきか、考えて行動しています。このオペラハウスでの仕事は、自分のキャリアのうえで大きな意味を持ってます。オケともはじめからしっくりいっていた。ここの常連がもっと増えたら、オペラが普通に楽しめるようになっていくと思います。このオペラハウスは、人の善意でようやくまわっている。今の人材が一人欠けてもだめです。日本で唯一、ちゃんとオペラハウスとしてまわっている貴重さを、世間はわかっていないと思います。。スタッフもはした金で、オペラが好きだから打ち込んでいるんです。時間的制約の大きさ。予算の差。箱のサイズ。問題はたくさんありますが。
 指揮者は人間関係の仕事で、それは普通の職場と同じ。でも、何度かミスしておっこちたら、やはりそこを去ることにもなります。他に候補はいくらでもいる、シビアな世界です。『コジ…』をやるのは初めてだけど、ミスしても回りにサポートしてもらえるか、見捨てられるか、人間関係で決まるんです。私はカラヤンの弟子です。オペラでのカラヤンのやり方は、ふわっと自由な空間をつくって、歌手に自由にやらせていました。よく、アクセルとブレーキだけのような指揮者がいますが、それではがんじがらめになる。演出の過剰はあっても、そこは折り合いをつけます。大切なのは音楽そのもので、演出家でも歌手でも指揮者でもない。歌手のアドリブも、行き過ぎると音楽を損ないます。音楽のあるべき姿をつくるために指揮者はコントロールするのです。》



大阪音大オペラハウスのオケピット




4 スタッフたちの語ること、その姿


(マネージャー)
「オペラをもっと大勢の人にみてほしい」と熱く語る。常に練習に立会い、指揮者、演出家にミネラルウォーターのボトルを差し入れる姿が、絵になっている」


(コレペティトール)
「オペラの魅力は、みんなでやること、伴奏とは違う。弾いているだけで楽しい」ピアノでも歌でもとにかく何でもやる。イタリアでは劇場の正規の職。専門教育もある。立ち稽古に入る前にみっちりと歌手に稽古をつける。指揮者とテンポのことなどでぶつかることもある。練習にはいると、降り番でもスコアをみて、あとで駄目出し(注意すべき点を指摘すること)をする」


(副指揮者)
「プロンプターは、GPぐらいになると、歌手の間合いなのかミスなのか、とっさに判断、いざというときは自分が歌う」日本ではプロンプターを兼ねる場合が多いが、イタリアでは本職がやる。日本ではプロダクションごとの契約。歌の出も立ち位置もすべて指示する」


(歌手たち)
「日ごろは仕事で、そのあと駆けつける。体調管理が大変」初めに演出家のコンセプトの説明を聞いて、あとは自分のイメージで役をつくる。恥ずかしいことだが、メインキャストが体調を崩して、練習中止のときもある」



5 現場レポート

 初めのころの立ち稽古は、ステージ上に譜面台を立てて装置にみたて、ピアノをコレペティトールが弾いて、指揮者が振る。演出や制作スタッフはステージ上の長机に向かっている。演出家はステージや客席を歩き回り、助手がそのあとを付いて歩いてしきりにメモをとる。
 練習は常に時間に追われていて、スタッフは駆けずり回っている。歌手たちは出番の順にやってくる。出番が終われば先に帰る。そんな喧騒のなか、指揮者は音楽に没入している。
 オケ合わせになると、さすがに稽古場の雰囲気がぴりぴりしてくる。オケのマネージャーが初めにあいさつと諸連絡をして、曲ごとにどんどん通していく。オケはピットに入り、指揮台後方に副指揮者がいて、場面によっては舞台そでに行ってタクトを振る。コーラス隊は出番まで客席で待機している。客席中央に演出部が大きなデスクを設けて、ノートパソコンを広げている。場当たりで、照明の駄目出しをする。ステージ上に演出助手がいて、どんどんインカムで指示していく。
 セットを組んでみると、遠近感の効果で印象はまったく一変する。照明の効果もすごいものだ。
 HP(事前リハーサル)では、まずコーラスのバランス、それから通しをやる。完全な全曲通しで、開始の合図は舞台監督が出す。
 GPになると、学生にも公開する。演出家の家族や関係者も見学している。コレペティトールは照明室で合図を出し、副指揮者は客席後方からペンライトで指揮したり、舞台そでで振ったりと忙しい。プロンプターボックスにはもう一人の副指揮者が入っている。
 初日は大雨だった。しかし、大入り満員で、音楽評論家らしき姿も見受けた。演出家はスーツ姿でロビーにいて、関係者と談笑していた。
 初日の出来は今ひとつだったが、2日目になると、こんどは一転して大変な上出来だった。この日は、評論家や関係者よりも、純粋なファンが多いようで、ブラボーの連発。歌手もオケも気分が乗りに乗っていた。
 打ち上げで、みんなの素顔を垣間見た。スタッフたちはみなそれぞれに理想家で、こだわりをもって現実の舞台と取り組んでいる。何よりもオペラそのものの魅力にとりつかれた人間同士の仕事で、それが彼らをひきつけてやまないのだった。

(本稿ここまで)




次回

【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】
第0回 その2 《忘れられた作曲家・大澤壽人〜モダニストの限界〜 (文芸同人誌「関西文学」より転載)》

https://note.com/doiyutaka/n/nc631c538599d


※マガジンでまとめ読みできます

関西オーケストラ演奏会事情




旧・大阪フェスティバルホール


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国内オケの演奏会評、関西を中心とした演奏会事情などをまとめた。 21世紀前半の今、日本での、それも関西という地方都市を中心としたクラシック…

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