『2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?』 その2 2000年代に30代で初めて小説を商業出版したこと
『2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?』 その2 2000年代に30代で初めて小説を商業出版したこと
その2 2000年代に30代で初めて小説を商業出版したこと
(1) 商業デビューまでのあれこれ
そうこうするうち20代を過ぎて30代になり、2000年に小説ではなく文芸評論でまず商業出版を先に果たした。この評論の商業出版には、これまた出版業界の高いハードルがあり苦労の連続だったが、同じジャンルの類書がない時点での刊行で、そこそこ業界から反響もあった。
ところが、題材にした作家ご自身からきついクレームが版元にあって、びびった版元がこの本を事実上の絶版にしてしまったのだ。それでも、評価してくれる同業や同じ関心の読者が今でも絶えないぐらいで、我ながらよくできた評論だった。
しかも、この本がきっかけで、2002年、有名文芸誌の「すばる」からお声がかかった。書評の依頼だったのだが、そこは太々しい自分を発揮して、当時の「すばる」編集長K氏(すでにお亡くなりになった)に、小説を送りつけてみた。すると、新人賞に応募するように返事が来て、その言葉に甘えて「すばる」新人賞に応募、2次まで残った。
例によって厚かましくK氏に会いに東京まで行き、小川国夫氏のことを勝手に話題に出したりしながら、K氏の職場である集英社の近所の神保町で、文士ゆかりの飲み屋に連れていってもらったりした。
2003年、出身大学で小川国夫氏を編集代表として文芸雑誌が創刊された。その際に、私も短編小説を寄稿し、小川氏は「よく書けてる」とほめてくれた。
その後、「すばる」新人賞をとれなかった小説とは別の小説を、どこか出してくれる版元はないかと業界界隈で聞いてまわってみた。すると以前、小川国夫氏の飲み会で知り合った編集者が、声をかけてくれた。
そのH氏(すでにお亡くなりになった)は、文芸書専門の出版社の社長で小川国夫の著作も出していたりして羽振りの良い人だった。しかし会社が潰れて、その当時は借金に追われて雌伏中、業界に顔が効くため自身の会社の再建を試みつつフリー編集者として活動していた、そこへ、たまたま上京して版元を探していた私と会い、新作小説を読んでくれて、なんと書評誌の「図書新聞」の出版部から出してくれることになった。
これが2005年、私の小説商業デビューとなった『トリオ・ソナタ』の誕生のきっかけである。まさに、ひょんなことから出版が決まったという流れだったのだ。
(2) 小川国夫とのご縁
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/