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連載更新 「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」 第1部 ⒋ 中編の楽しみ  (1)『国境の南、太陽の西』はホラーミステリーだった?

土居豊のエッセイ「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」
第1部
【コロナ前、村上春樹読書会で口角唾を飛ばしで議論し、大笑いしながら打ち上げの飲み会を楽しんだ】


ノーベル2021の1


⒋ 中編の楽しみ (1)『国境の南、太陽の西』はホラーミステリーだった?


本作は刊行当時、「まるでハーレクインロマンスだ」などと国内で批評家に酷評され、海外翻訳の方もドイツでは文学論争となり、「ファストフード文学」だと叩かれた。いわくつきの問題作なのだが、いま改めて読みかえすと極めて現代的なテーマを扱っていることがわかる。作中の言葉でいうと、「究極的には悪をなしうる人間」についての小説なのだ。
主人公の「ハジメ」は生まれも育ちも恵まれた何不自由ない男でありながら、生きているだけで他人を傷つけるような存在になっていく。ごく普通のどこにでもいる人間がただ生活しているだけなのに悪を為しうる、という底知れない恐ろしさが、リアリズムの文体で淡々と描かれている。この物語は人生の選択を誤った因果応報ではなく、いかなる人生を選択しても悲劇の運命を変えることができない、という絶望感が表現されている。いかに裕福であろうと家族の愛に恵まれようと、それでも人間は悪に捕らえられてしまうという絶望は、21世紀の先進国に暮らす我々の生のあり方を20世紀末の時点で先取りしていたのだ。
本作を課題にした読書会では、参加者の年齢層や男女比によって反応が分かれた。小説の描写について国内外で批判された主な要素は、無節操な性描写の連続、小説の中で男女のモラルや社会的な良識が放棄されていること、などだ。主人公男性の性的願望がたやすく実現される性的ファンタジー、と一蹴する人もいた。
その一方、やはり村上春樹が書いたのだから何かあるはずだ、と深読みをする読者もいた。読書会で深掘りして読んでみると、この場面もあの場面もと多義的な意味合いが浮かんできて、参加者それぞれが解釈を語るうちに相互作用でますます意味深に思えてくる。中でも盛り上がったのは、ラスト数ページの解釈だ。ラストシーンで「ハジメ」の背中に手を置いたのは誰?という疑問を突き詰めると、一見なんでもない家庭小説のような本作がホラー小説のように読めてくる。実はすでにハジメは背後から刺されていたかも、などと推理すると、読書会の場が一瞬凍りつき、怪談の会をやっているような寒気に襲われた。
小説を読む楽しみは、通り一遍の表面をなぞるのではなく文章の隅々まで深読みしてみることだ、と参加者が気づいてくれたのが、嬉しい収穫だった。


※春樹の母校・神戸高校

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神戸高校からは、街並みと海まで見渡せる

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春樹の高校時代の体験は、『国境の南』になにがしか反映されている

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(2)『スプートニクの恋人』のタイトルは春樹のダジャレだった?


村上春樹『スプートニクの恋人』を課題とした読書会は、他の長編の場合よりも意見が出にくいので困る場合がある。それというのも、数ある春樹長編の中でもあまり批評で言及されない「迷作」だからだ。筆者もこの作だけは、解説しようにも語りにくい困った作品だと思っていた。
それでも、いくつかの切り口を使って読書会の参加者に解説を試みた。
例えば、村上春樹は関西出身なだけあって、実は意外にもベタなダジャレ好きであること。本作の題「スプートニク」も、作中で登場人物がビートニク文学という語を思い出せなかったとき、似たような言葉として間違えて言った単語から取られている。スプートニク、ビートニク、というダジャレなのだ。
また、作中に出てくるギリシャの島は実在しない架空の島で、村上春樹が「ノルウェイの森」を書くために滞在したスペッツェス島とカルパトス島を合体させたと考えられる。そういった遊び心が隠された小説であると指摘すると、読み方がもっと自由になる。
特筆すべき特徴は、春樹の長編で初めて子供が重要な役割で登場している点だ。語り手の小学校教師が担任する児童、あだ名は「にんじん」というのだが、これは名作小説のルナアル『にんじん』から取られている。この『にんじん』の由来は、にんじんのように赤い髪の子はひねくれた根性だという話が元である。そうなると、本作に登場するにんじん少年はひどいあだ名をつけられていることになり、いじめられていると考えられるのだ。
名前の由来が登場人物のコンプレックスである点では、本作のヒロイン「すみれ」も実は同じだ。その由来はモーツアルトがゲーテの詩に作曲した名曲「すみれ」なのだが、実は歌詞の内容がかわいそうな話であり、本人はその名前を嫌がっている。
このように、本作の細部を精読すると様々な仕掛けが浮かび上がってくる。そういった仕掛けを読書会でレクチャーすると、参加者もいろんな角度からこの「迷作」を解きほぐそうと試み始める。他の人の読みを聞くことで、改めてもう一度、このややこしい小説を再読しようという気になる方もいるようだ。
特に本作のラストシーンは様々に解釈ができて面白い。ハッピーエンド説からホラー小説だったという読み方まで、読む人によってずいぶん異なる受け止め方が可能なのだ。


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(3)読書会レポートや資料など

【土居豊による、読みの視点】


村上春樹『国境の南、太陽の西』について
〈次作の『ねじまき鳥クロニクル』のスピンオフ〉
実は『国境の南…』は『ねじまき鳥クロニクル』の執筆中に派生した物語であると、春樹氏自身がエッセイで語っている。
見城徹氏が「これはただのハーレクインロマンス」と酷評。

〈過激な性描写がドイツで論争に〉
※参考
ジクリト・レフラー(フェミニズムの視点からの分析で知られる女性評論家 オーストリア人)の発言
「私はこんな作品にはレッドカードを突きつけて、この放送からの退場処分を言い渡したい。これは文学まがいのファストフードであり、マクドナルドである。とても文学の名に値しない。まず言葉がないし、あるのは表現力を欠いた単純なつたない話だけである」

『ドイツにおける現代日本文学の受容 村上春樹の場合』

遠山義孝(明治大学工学部教授)
明治大学教養論集347号(2001年)より

※参考
イルメラ・日地谷一キルシュネライト「村上春樹をめぐる冒険 “文学四重奏団”の不協和音」(『世界』2001年1月号)

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/