何が正しい?
関東インカレ
大学の意向で、出場が認められず、欠場することとなった。
今の大学の状況から、合理的な判断だと思う。
実際、このようなご時世になってから同じような境遇になっている人はたくさんいるのであろうから、反論はできない。
ましては広く見ればただの1人の陸上選手、仕方ないでかたずけられるであろう。
しかし、ここまで学生アスリートは無力にさせられていいのであろうか?
集大成
そもそも私にとって関東インカレは冬季練習前からの目標としていた舞台であった。
昨年初めての出場した関東インカレ。
14位という結果で終わったものの、勝てば価値のある大会だと感じた。
高校の時はインターハイ路線で予選落ちしている。
そのため関東インカレレベルの大会で結果を残せば、高校時代から成長していることの証明になるだろうと思った。
それゆえ、冬季練習の前から「関東インカレで優勝する」ことを目標に掲げた。
疑い
もちろん大学の判断は合理的で世間一般から考えると賢明な判断だと私は思う。
しかし、いったいそれはアスリートに対して正しい決断なのかひっかかってしまった。
選手だからこそ、いや、選手の目線だからこそ、この現状は疑うべきではないかと考察する。
正しいこととは
あくまで持論を述べる。
結論から言う。正しいものなどないのである。
上記で述べたように、大学の判断は合理的であろう。
しかし、倫理的な思考を取り入れたとすると、その合理的な考えは正しいとは言えなくなる。
例えば、私のように集大成の想いがあって試合に臨むものもいれば、また別の想いをもって試合に臨む者もいる。
その想いに上下はつけられないが、価値観の違いとして理解できる。
合理的に判断してしまえば、その違った価値観を一掃して片付けてしまうことになる。
だからといって、それぞれの価値観をぶつけ、それぞれで判断したら、上下をつけることになり、倫理観に反する恐れもある。
こういう場面で正しい判断を見つけるほど難しいことはない。
無力であるのは
大学の視点、アスリートの視点でこういう場面でどう判断されるべきか。非常に難しい問題である。
私は学生アスリートの一人である。
だからこそ、出場はできずとも、出場をしたい意思だけは途絶えさせたくないと思っている。
無力であるのは私の競技者としての力不足にあるともいえる。
私がもっと影響力のある選手で、大学から見て栄誉のある結果を残していれば判断も変わったかもしれない。
残酷な話だが、そういう世界である。
ぜひ様々な視点からの意見を聞いてみたい。