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『句解』(【俳句】津高里永子【写真】荒川健一)を読む
俳句とのコラボで一番簡単で難しいのが写真や画像だと思う。
写真俳句というジャンルもあるし、わたしも画像や写真を手掛かりに作句することがある。
しかし、写真ありきで句をつくると、説明的だったり、写真がないと意味不明の句になる恐れすらある。
『句解』(くどき)』はそんな課題とは一線を画して新鮮だ。俳人の津高里永子さん(「高」ははしごだか)の句集『地球の日』『寸法直し』の2冊から厳選した俳句に、写真家の荒川健一さんが句に合う、というよりは句と化学反応を起こしそうなモノクロ写真を選んでいる。その写真のほとんどは昭和レトロで、津高さんのお洒落で颯爽とした作品のイメージとは程遠いのだが、一ページに俳句と写真が並ぶと、これこそ二物衝撃という言葉にふさわしい楽しさと緊張感に溢れている。もちろん本のタイトルの「くどき」に表される艶っぽさも兼ね備えている。
ただ、残念ながらここではその写真を公開することはできない。ぜひ皆さんにもこの俳句と写真のコラボ、ページを捲るたびに受ける衝撃を体感して欲しいのであるが、今回は仕方なく津高さんの句を三句ほど語りたい。
糸瓜垂れ律の無言を聴いてゐる
律はもちろん正岡子規の妹。「無言を聴いてゐる」の措辞が静かに響く。なぜ無言なのか、そこには子規の死への複雑な感情をかみ殺しているかのようだ。ちなみに『坂の上の雲』の律は饒舌だが、祖母が若いころ根岸で見た律さんは寡黙な方だったという。
ドビュッシー聴いて水槽見て昼寝
作者は大学でピアノの講師もされているそうだ。わたしたちがクラシックを聴くのとは次元が異なる、音楽への深い造詣と理解があるに違いない。掲句はお気に入りの演奏家のドビュッシーだろうか。だんだん眠くなる、ワンクッションとしての「水槽を見て」が視覚的にもリズム的にもとても効いている。
たんぽぽの絮よわが夢なんだつけ
口語の台詞調のとぼけた措辞がなんとも魅力的。たんぽぽの絮は新たな命を育む夢と希望をもって吹かれていくのだろうが、作者自身を振り返ってみると、生活は充実しているのに、そういえば「夢」をにわかに明言することができない。でもそれでもよいのかもしれない。夢がないこともあるいは夢中に生きている証でネガティブとは限らないのだ。
他にもたくさん感銘句があるので、写真は載せられないが紹介したい。
真鶴の三羽ゆふぐれ二羽ひぐれ
くぢら肉つめたし一つ星昏し
日本なら落葉フランスなら枯葉
戦争反対おでんにトマト入るる世ぞ
春に囁く食器の裏も洗つてね
神の留守目的地にてまづは寝る
いざ戦はんへくそかづらを腕に巻き
ピアノ弾く前の体操芝ざくら
寒紅をもつて聖書を汚しけり
指寝かせ弾く花冷の夜想曲
芭蕉忌の押させてもらふ車椅子
川に吊るして降参の鯉幟
絞りたる檸檬再び絞りきる
末筆となるが、津高里永子さんという俳人に興味を持たれた方にはこちらの五十嵐秀彦さんの『寸法直し』の鑑賞もお勧めである。
津高里永子さんにご恵送いただきました。ありがとうございました!
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