見出し画像

“人生はゲームだ”あるいは人見知りがなくなった話

意識低いようで高いようで低い文章です。でも意外と力作かも。駄文散文ご照覧あれい。



人見知りはつらいよ


 ただの人見知りじゃねぇぞ、ド人見知りだ!!のきゃんどぅです。とりあえず人見知りエピソードを羅列します。

①大人数のいる場で輪に入れない
・大学のサークルで仲良くなるまで半年かかった
・講義、ゼミで知り合った人とプライベートで遊ばない(これは普通か)
・新卒入社した際、同期と3か月の研修期間中ずっと敬語。フランクに話せない

しかし人前でのプレゼンやグループワーク等をするのは得意

②こちらから話しかけられない
・街中で知り合いと遭遇しても声をかけない
・会社の打ち上げで盛り上がっている輪に入れず、後ろでそっと頷くだけ
・3人で道を歩いているとき、自分から率先して後ろについて2:1の陣形を取る

しかしお喋りは好き

ビバ面倒人間

 …コミュ障と人見知りの境界が曖昧になってきたのでやめておきますが、とにかく面倒くさい人間なことこの上ない。もはや矛盾とも捉えられるこの生態、実際そうなので仕方ない。内なる矛盾こそ人間の持つ特性なのです!!
 こんな七面倒な性格をどうにかしたい!という気持ちはあったので、改善のためにまずはなんでこんなことになっているのかを考えてみた。

李徴子のような心持ちの人生

輪に入りづらい!
→僕なんかが輪に入ったら盛り下げちゃうよな…という過剰な不安

初めからフランクに話せない!
→いきなりズカズカ行って変な奴って思われたくないな…という臆病な自尊心

プライベートで遊べない・話しかけられない!
→まだプライベートに踏み込めるほど仲良くないしな…という不要な慎重さ
加えて、(まだこいつらプライベートに入ってほしくないな…)という尊大な羞恥心

 総じて、これらは『言われてもないことを考えすぎている』結果生じたゆがんだ認識が原因と気づいた。相手のことを考えると、喋りたいのに喋れない。めんどくさいねぇ。
 で、実は旅行先で会うなどした"一期一会"な人とはめちゃくちゃフランクに喋ることができるのです。お店の店員さんとか、道端で話しかけられたときとか。こういうときはなんかいけちゃう。
 こっちの原因は既に分かっていて、ぶっきらぼうに言えば『もう二度と会わない人はどうでもいい』から。逆に言うと、『これから仲良くなる可能性のある人』とは、じっくりゆっくり関係を築きたいと考えているから、身近な人にほど人見知りが発動してしまうのだ。難儀である。

他人からしたらどうでもいい定期←自分からしたら大事定期

 こういうメンタルを打ち破る考え方として、『お前のことなんて誰も気にしてないよ』というものがあり、これは皆さん承知のことだと思う。確かに、よっぽどズカズカ来ない限り相手のことを嫌だと思うことはないし、自分自身他人のことはどうでもいい。だから一期一会の場は得意なんだと思う。
 仲良くなる予定の人も、仲良くなってしまえば最初の頃の印象なんて忘れているだろう。覚えていたとしても、人見知りが発動している奴よりもフランクな奴のほうが良い印象を持たれるはず。

…ということに気が付いた後も、別に人見知りは治らなかった。どうしても人のことを気にしてしまう。やっぱり社内の飲み会とかでは少人数で固まって話しちゃうし、新しい部署に異動した際も「アッス、ウッス・・・」という感じだった。これはもう性分だから仕方ないのか…とあきらめていた。

ゲーミフィケーションライフ、リンクスタート

 そんな感じの人生だったが、ある時なんかすーごく辛い時期に陥り、すーごく絶望していた。もう人見知りとか関係なく、ワーッってなってた。
 そのタイミングで、僕は『自分の人生をゲームと捉えよう』と思うようになった。いわゆるゲーミフィケーションってやつ。しばしば仕事を楽しむ考え方として使われるもので、ゲームのようにタスクをこなせばモチベーションが続くよという手法だ。で、普通こういう時オープンワールドに例えられるが、僕の場合ジャンルはメトロイドヴァニアである。
 メトロイドヴァニアってのは、広くて複雑なマップを探索し、色々なアイテムや能力を手に入れつつ行動範囲を広げるのが醍醐味のゲームジャンルです(説明合ってる?)
 この、新しく手に入れたもので行けなかったところに行けるようになるというのがめちゃくちゃ楽しくて、最高にワクワクできるゲームです。やれ!

 で、これって人生と同じだなと。学生の時のお勉強をすることで視野が広がるし、役に立つ能力を身に着ければ就けるジョブが増えたりもする。
 また、年齢を重ねるほどに知識が増え、できることが増えていって、その分楽しいことが解放されていく感覚。人生は(神/クソ)ゲーだ、というコピペがあるが、まさにその感覚を軸に生きられるようになった。

舌が回れば世界も回る

 その延長線で、コミュニケーションもゲームみたいにすればいいんじゃないか、と思いついた。つまり会話行動=会話レベルの経験値を溜める戦闘だ、と捉えれば楽しくなるはず。
 さらに、多様な会話パターンを習得すれば人と仲良くなれるスピードも上がると考えた。RPGなどでNPCと会話するとき、「やぁ、ここはニッポンポン国だよ!」としか喋らないキャラよりも、時々によってランダムに色々喋ってくれるキャラのほうが印象に残るし、愛着も湧くだろう。人間も同じである。

 つまり色々な会話のパターンを武器にし、それを繰り出すことができれば効率よく経験値を稼げる上、多くの人と話すことでそのパターンをラーニング(青魔導士)してさらに武器を増やせるという合理的ループ。このシステムが完成するときっと楽しいはず。

話のネタ探し=人生の実績解除

 ということで、まずは会話の弾を作りに行こうと、色々なことをするようになりました。一人旅に行ったり、人が買わないものを買ったり(例: 30000円弱の傘)など、人に話したくなる・聞きたくなるような話を作るための行動が増えた。3カ月毎日瞑想をしてみたりなど、「それnoteに書けばいいじゃん」みたいなこともした。書けばよかったな。
 これは話が溜まるのと同時に、『人生の実績』が解除できることにもつながる。生きてたらたまに画面の右下で実績解除のポップが表示されますよね、あれです。CS版の人生なら左上。

 で、そのことを職場の人や友達に対して話す。エピソードトークと言えるほど整っていないが、とにかく喋る。
 すると、やっていくうちにやりたいことがどんどん増えていく。なぜなら、聞いてくれた人から「自分はこんなことをしたよ」とか「それだったらこんなのもオススメだよ」みたいな話が返ってくるからだ。それで行動予定のストックが増え、実際に勧められたものをやって追加で話すと面白がってくれるし、何より喜んでくれる。

 自分が勧めた曲やマンガを聴いてくれたり読んでくれたりして、嬉しくなった経験はないだろうか?僕はみんな嬉しくなると思っているので、それをやってます。んで繰り返していると、「こいつに言ったらなんでもやってくれるんだ」と思ってくれて、ちょっとハードルの高い、けれどその人が一番やってほしいようなことも引き出せる。信頼度MAX限定のイベントみたいなものだ。

 そうすると、人から好かれるようになるのはもちろん、段々自分の話す能力も上がってくる。こうなれば占めたもので、いろんな人に色んな話をすることができ、レベルアップのループ状態に入るのである。ナーフ待ったなし?いえいえ仕様です。

 そして、何より大切なこととして自分のことを好きになれる。好きとは言わずとも、少なくとも自信は持てるようになる。こないだひとりでディズニーシーに行ったときなど、「えっこいつ一人でディズニー行けるの!?すげえな!?」と自分で驚いたくらいだ。

だから僕は人見知りを辞めた

 さらに、ネタの引き出しが増えてきた結果、いつの間にか人見知りがなくなっていた。いやなくなったとは言えず減ったというべきだろうが、前よりも人と知り合うのが楽しみになっていた。以前の僕からしたら信じられないことである。
「この人からはどんな話を聞けるんだろう」「この人にはどんな話をしようかな」
とか考えていると、人との出会いがそのままレベリングの機会に思えてきたのだ。なんか書いてるとめちゃくちゃ冷たい人間に見えてきたが、実際は全くもってはぁとふるな人間です、誤解なきよう。
 ただ、出会いの数にも限界はあるので、そろそろリアルだけでなくネットでもいろんな人と話が出来たらいいなと。ということでこのnoteでも様々な話を収集してより強くなっていこうと思います。noteよ、俺の糧となれッッッ

ゲーミフィケーションは最高のソリューションである

 あと、人生のゲーミフィケーションによるメリットは「頑張る理由」ができること。例えば転職サイトなどで、『〇〇資格所持が必須条件』みたいな求人、ありますよね。
 今までであれば「じゃあ持ってない自分は無理ですわ、サヨナラ!」となっているところが、今の自分は「じゃあこれがジョブ解放の条件ってことね、頑張るか!」と思えるわけです。

 これマジで大事で、他にも本を読むことは手軽にできる話題収集に感じられるので苦じゃないし、運動もそういうスキルを習得する機会として捉えているから楽しくできている。
 もはや頑張ろうと思わずとも行動に移せるし、やってる自分、えらすぎ!と思えるので自己肯定感も爆上がる。

 ちなみに何もしない日ももちろんある。体力回復にターン消費はつきものなので、別に焦ることはない。パワポケなら1週間消費するでしょ?それよりはマシ。怠惰も大事。

おわりに

 ということで誰の役に立つのかわからないけれども、とりあえず僕はこういう感じで自分を変えたよという話でした。だであるとですますが混在しているのは照れ隠しだと思ってほしい。
 誤解しないでほしいのが、みんなこうしろ!と言いたいわけではない。こういう方法もあるよ、というだけのことである。

 人見知りを無理に解消するのは結構心に対する負担も大きいから、別にそのままでいいと思う。僕も解消したくてしたわけではないので。ついでなので。
 ただ、人見知りでいるのも気持ちのいいものではない。話しかけたいなぁという気持ちの風船が膨らんだまま、結局話せず消化不良の心を持って帰ったことなんて数えきれないほどあるし、仲良くなれたはずのチャンスをフイにしてしまったことも数知れずだと思う。
 そういう意味でも、ある程度解消できたことは本当にありがたいことです。

 あと、頑張るってのもなかなかきついものです。僕は極力、人に「頑張れ」と言わないようにしています。
 辛いときは休めばいいし、やりたくないことはやらなくていい。1ミリでも前に進む行動をしたならめちゃくちゃえらい。そういう気持ちです。

 その中で、ちょっとだけやってみようかなと思えるものができたなら、今回紹介したようにゲーム感覚で捉えてやってみるといい。
 ゲームやったことないからその感覚がわからない!というのであれば、まずは何かしらゲームをやってみてほしい。それも一つの経験になる。聞かれればオヌヌメはいくらでも出せる、プロの積みゲーマーなので。

 三日坊主になることもあるだろうが、何事も始めることが重要であり、難しいものだ。1回やってしまえば、三日坊主に終わっても次やるときは2回目になる。そのくらいの軽い気分で、人生を歩いてほしいと思う。

 また続きとか関連した話を思い出したら、書きます。

 したらなっ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?