好奇心がEDになったら人生終わり

僕は幼いころから好奇心が強く、幼稚園の頃は図鑑を穴が空くくらい読んで、どこに何が書いてあるのかを若干覚えるほどであった。

小学生の頃はファンタジー小説や国語辞典をよく読んでいたような気がする。デルトラクエストは楽しくて一気読みしてしまったし、ハリーポッターも丁度原作が完結する時期だったため、映画よりも先に読んでしまった。

ミヒャエルエンデは僕の想像力を掻き立てたし、知っている人は少ないかもしれないが『ネシャン・サーガ』というクソ分厚いファンタジー長編もなんとか読んだ(これはあんまり内容を覚えていない)

国語辞典は適当に開いたページの適当な単語を見て、意味を知るなどしていた。1ページに詰め込まれた情報量がすごいから、視界に映る単語たちは意識せず僕の脳に入っていると思う。(この点、1画面に1単語しか表示されない電子辞書は劣っていると考えている)

中学生の頃は・・・手に入れたiPod Touchでひたすら2ちゃんねるまとめを読んでいた。有名な洒落怖の話はあらかた読んだし、『意味が分かると怖い話』なんて友達にソラで言えるくらいには読んだ。
まぁまぁ痛い中学生だったので、この辺で自己顕示欲が出てまとめだけじゃなくて本スレにも行きたくなって、色々書きこんだらボコボコに叩かれて早々に撤退した。ネットリテラシーをここで積めてよかったと思う。

高校になると行動範囲が広がり、ひたすらに好奇心の赴くまま生きていた。土曜日の模試帰りには映画館に行ったりしたし、毎日朝5時に起きて登校前に1本映画(DVD)を観るなどしていた。今思うとめちゃくちゃすごい。

夜、勉強時には基本的にラジオを聞いて過ごしていた。当時はJUNKを主に聞いてたかな。深夜の馬鹿力や、爆笑問題カーボーイを聞いては勉強そっちのけになっていた。ここで色んな種類の話を聞きまくったのが僕の人間性に多大な影響を及ぼしたと思う。

大学はさらなり。もはや僕の好奇心はだれにも止められず、ルーレットで決めた方向に向かってひたすらクロスバイクで走りまくったり、にわかに流行していた仮想通貨に軽く手を出したり色んなバイト(光)をしたりした。

とにかく僕の人生は好奇心の赴くままに進んでいる。新しいものに対してはかなりワクワクするし、古いものでも興味が湧いたら聞く見る触るをしてみる。

おかげで70,80年代の音楽や映画も抵抗なくハマったし、スピリチュアルな分野も興味がわき次第試したりはした。こちらはあまりハマれなかったが。

オカルトモノなんてもう、好奇心を刺激するものばかりだ。一時期はカラパイアやTOCANAを全記事なめ回す勢いで読んだし、検索してはいけない言葉も相当検索していた。開けてみるまで分からない(文字通りの)ビックリ箱だから、検いけはマジでドーパミンをどばどば出させるコンテンツだった。


そんな僕だが、生きる上で決めていることとして「好奇心が無くなったら死のう!」ということがある。いや、多分実際に命を絶つことはしないのだけれど、そういう気分で生きよう、ということである。

面白いことが世界からなくなっても、そんな世界すら僕は面白がろうと思っている。そのレベルで僕は好奇心をガソリンにして生きている人間なので、例えば新しい技術が出てきてそれに興味を持てない・ワクワクできないとあれば僕は僕に失望するだろう。

ところで僕は子供が欲しいという願望がやんわりあるのだが、それは好奇心由来なのかもしれないと思い始めている。自分の血を分けられた生物がどう成長してどう生きるのかを見てみたい。
友人にこれを話したところ「マッドサイエンティストかな?」と言われたのだが、大体子供を持つ動機なんてそんなものだろう。

なので(?)これからも好奇心に従って生きることはやめないし、できるだけそれを刺激してくれるような場所で生きたいと思っている。倫理的に問題がない範囲で色んなことをしてみたいし、色んな人の話を聞いたりしたい。

そういう意味では、このnoteという場はそれに適しているように思う。何を言ってもある程度は自由だし、変な人がいっぱい(語弊あり)なので記事を読むのが飽きない。

また、AIを使うのも非常に好奇心をくすぐられる。いずれ「そこにあるのが当たり前」というレベルになってワクワクも薄れていくのだろうが、せめて今のライブ感のある成長を、ワクワクしながら見届けたいものだ。

身体は衰えても、好奇心は死なない。そういう人間に、私はなりたい。

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