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『ルックバック』は見る『才悩人応援歌』である【映画感想】

ネタバレは比較的ないですが、基本鑑賞済の方に向けてます。



"現実"を乗り越えるための"フィクション"

 藤本タツキの同名読み切り漫画が原作の、映画ルックバックを7月に観た。すでに観ている方も多いかと思う。

 僕は原作が配信された当時に読んでいて、まだ記憶に新しかった京アニ放火事件に触れた内容が話題になったことも覚えている。

 原作を読んだ際の僕の感想は、「これは読む『ワンス・アポン・ア・タイム・インハリウッド』だ」というものだった。
 こっちの方は観ている方が少ないと思うのでネタバレは避けるが、両作に共通したざっくりテーマは "現実の惨劇を、フィクションで救う" であり、それはもう面白いやら感動するやら、ブラピとレオ様がカッコいいやらで個人的に大好きな映画なのでぜひ観ていただきたい。いや観ろ。監督はタランティーノです。


最高に"映画"している映画

 上記の感想は別に的外れというわけではなく、タツキ先生も意図していたものだ。というのも、原作漫画に件の作品のパッケージが描かれているコマがあるからである。このことから、ある程度 "フィクション" という存在に対する向き合い方は共通していると考えている。

最後のコマより。完全に一致

作品としての純粋な良さ

 で、映画『ルックバック』である。登場人物の名前が変更されている点を除けば、基本的なストーリーやシーンは原作と大きくは変わらない。しかし、監督が持つ狂い火のような情熱により圧倒的な演出効果が乗っかり、それはもう心への響き方が強くなっていた。

 巷でちょこちょこ言われているように、正直音楽での感動の押し売り感は若干思うところはあった。しかし映画特有の間の取り方や空間の描写、色を使った感情表現など、加点方式で言うと5億点の演出の良さだった。熱意。
 僕は始まって最初のシークエンスである、学習机に向かう主人公を背中からとらえたカットですでに泣いた。あぁそうだ、誰しもみんな初めは"楽しい"という感情一つでどこまでもできたんだよな、やりたいからやる、それだけで人生を走ってたんだな…という思いが溢れてきて、やりたくもないことを頑張ることでしか生きられていない現状を振り返り泣いた。明らかに考えすぎである、休んだ方がいい。

 んで、序盤の持て囃され→挫折→やっぱり頑張るという流れを改めて観て、原作を読んだ時には思わなかった、記事タイトルのような感想が浮かんだ。これ、BUMP OF CHICKENの『才悩人応援歌』だわ。

全人類一回『才悩人応援歌』を聴け

 知る人ぞ知るこの曲は、名盤『orbital period』に収録されているメッセージソングだ。聴いたことがない人は今すぐ聴いてほしいところだが、この歌は『昔は好きなことを"好き"だけでできていたよな、今じゃ金になるか?とか自分よりすげぇやつがいるから…とか考えて純粋に頑張れないよね。そんな、脚光を浴びることのない自分のために歌われる歌なんてない、と思っている君のために歌うラララ』である。中学生のときに聴いた時から、この歌は定期的に僕をぶっ刺してきている。(※関係ないが、同じようなメッセージソングとしてポルノグラフィティの『ギフト』も大好きだ)



 さて、この曲とルックバックの直接的なつながりは正直ない。この記事のような言及をしている人も調べた限りいなかった。
 しかし、どちらも自分の才能に対する複雑な感情、現実と理想のギャップによる挫折とそれを乗り越える勇気を綴っていると思う。

皆思う、「これ私のことだ…。」

 絵がうまいと持て囃されていた自分よりも絵の上手なものが現れたときの絶望に近いシチュエーション。なんだ慢心だったのか、と萎えてどうでもよくなった期間。件の人に認められている(作中では認められるどころか尊敬だったが)ことを知り、雨が降ってたって構わないほどに心が晴れたあの感情。あぁこれ全部知ってる、これ私のことだ…。萎える段階で終わった人もいるかもしれないが、それぞれ人生のどこかで味わった人は多いはずだ。

 今作が興行的なスマッシュヒットに加え好評化を博したのは、イデオンの全方位ミサイルのような範囲で共感を強制的に引き出す作りが一つの要因であろう。先述のような成功/失敗体験は、誰しもが持っていてだけど誰もかれもに話すようなものではない、宝物のような粗大ゴミのような大切な記憶である。(※BUMPの『分別奮闘記』はこのようなテーマの曲でオヌヌメ)

 そんなものだから、(これ自分だけにぶっ刺さるな…)という気持ちをみんなが持ち、そして高評価をすることで多くの人に広まったのだと思われる。似たような売れ方をした作品として『花束みたいな恋をした』が挙げられる。どちらも"人生あるある映画"なのだ。そらみんなに刺さるって。

"現実"よ、"フィクション"を超えろ

 さて、後半のあの展開については多くの方が様々な形で言及・評論を行っていると思うので割愛するが、僕は主人公が漫画家として成功するというストーリーに対して、初見時に ん? と思った。なんだかんだで成功人生を歩むんかい、けっ!と。

 しかし、ここで改めて立ち返ってみるとやはり冒頭で書いた『ワンスアポンアタイム~』との共通のテーマを感じることになる。現実では確かに、こんなに成功するストーリーはフィクションのようなものである。だが、フィクションでくらいは現実よりも良い道を表現することは大切なことだ。これを観た人に救いを与え、奮い立たせるのも創作物の役割だといえる。
 そうしてまた誰かが大きな目標に向かい、フィクションのような夢を現実の未来で叶える。『努力は必ず報われる』という"フィクション"を、現実の僕らが変える。飛躍した発想だが、この作品はすでにそれを叶えたタツキ先生からのバトンなのではないか、と思った。
 そんなわけで、この点も含めてこの作品は見る『才悩人応援歌』なのだと思った。中学生の僕の心に刺さったままこの歌が僕を支えているように、『ルックバック』も誰かに刺さったまま、誰かの人生を支えていくのだろうと思うとなんだか温かい気持ちになる。

 未来の自分のためにできることのひとつは、このような "人生の作品" に出会うことだろう。(無理矢理参加テーマを回収)

おわりに

 ということで、薄々の文章で今更ルックバックの感想を書いた。タイトルの意味とか京アニ事件との関連とかはどこにでも落ちてそうなので、今回わざわざ触れなかった。

 これを読んでくれたあなたにも、人生に寄り添っている作品はあるはずである。良かったら是非教えてほしい。いやこんなクソnoteに書いたらもったいないか。あなたが大切に思う人にそっと共有してあげられたら、それはきっと愛だね。

 したらなっ!
(好きな挨拶だが全く伝わらないネタだと気が付き後悔している)

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