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50歳からでもまだ間に合うらしい、そのための残り5年を考える

今日はいつも以上にふわっとした内容になります。
お気楽にお読みください

僕は37,8歳あたりで、ふとした不安から
『どのように40歳を迎えたいか』
を考えるようになり、
その結果、転職して紆余曲折あったものの、
現職に辿り着きおおよそベターな状態で40代をスタートする事ができた。

すぐに次の10年のために何をすべきかで路頭に迷う事になる。

状況は悪くはないが、
決して満足はできない状況にやきもきし続けている。

45歳になって感じるのは、
『多分このまま50まで走り続けるのだろう』
ということ。
正解は無いのだから、
正解を作る人生にシフトしなければならない。

40代が半分あっという間に終わってしまったわけだ。

理想の自分はどこにもいないのだから、
そんな自分に成るためにこれまで通り積み上げていくしか無い。

そのために残りの5年を使うつもりで動きます。


うろ覚えだけど、、

伊丹十三は50過ぎて映画監督になった
糸井重里は50過ぎるときにコピーライターをやめてほぼ日をはじめた
佐久間宣行は45くらいでフリーになった
鈴木おさむは50をすぎて作家としての事業を終了して、次のフェーズへ

どうやらこれまで積み上げた人たち50過ぎてからもやり直しが出来るらしい。

ならば次の5年をつかって積み上げるアクションを取らなきゃいけない。
何もない状態で50歳を迎えると早々と老後を迎えそうだ。


でだ、
40歳になるまでに大してなにも努力してこなかったもんだから
僕自身、何者でもない状態で中年になってしまったわけです。
それがコンプレックスレベルで辛い。

自分は何者なのかを答えられない。
だからこそ、

何者かにならなければならない
と思って生きて来た、それがもがく活力にもなったが、いまだにカオナシみたいな状態。

もしかしたらそれが勘違いだったのかもしれない、と最近思うようになった。

そうしなければならないという呪いにかかっていたのかなと。

基本的に人の思考は低き(易くて甘い方)に流れていきます。
今回もそんなゆるい方向に思考が流れていっているのかなとも思いましたが、
そうじゃなさそう。

少し角度を変える

何者かに成る
のではなく、
何事かを成す
ほうへシフトする。

憧れからアクションに気持ちを切り替える。
何を成すべきかを知るために正しくインプットし、
コツコツと実力をつけて
いざという時のチャンスのために備える

そんな感じ。
あながち間違ってないと思うのです。
これまでも実はそうだったじゃんと。

そうすれば、成した人にはなれる。

何かに成ろうとする精神だと、
成り代わろうみたいな気持ちが生まれる。
憧れたポジションの人と場所を代わってくれみたいな。
これってテイカー精神。

そんなやり方よりも、自分が成すべきことを見つけて成すためのアクションをとって行く方が健全だ。

よく見て、よく考える、はとっても大事。
成すことを考えていく。

成した後に、一回それを捨てるのが50歳なのかなと。

その時に何が残って何が使えるのか、
強くてニューゲームができるのか楽しみだ。

そして、「次は60歳まではしるかー」なんつってさらに次のステージに迎えることを楽しみにしている。


承認欲求を満たすのではなく、
人生への付加価値を探す旅へ出よう。

誰かの目を気にするのではなく、
オモロい人生を生きようと思う。

お読みいただきありがとうございました。もし参考になったり面白かったと思っていただけましたらサポートよろしくお願いします。次の執筆のモチベになります。