ドイ・ストーリー(中編)
〜カラテチョップの軌跡〜
(全部で前・中・後編、あります。)
第三章
「廃業と奇跡」
廃業したときの正直な感想は「やったー!自由になれる!」だったんですよね。
まあ、そんなに甘くはなかったけど、とりあえず一旦休憩、って感じです。
で、数日間、何もしないでゆっくりしたんですが、お腹は下すし、腰痛がひどいわで突然の環境の変化にカラダがびっくりしちゃってました。
廃業したあと、多額の銀行返済が残りますよね。当たり前だけど。
見たくない現実(笑)
国産の高級車が2台買えるくらいの金額だったんですよ
有限会社だったんで、倒産させて、僕が保証人なので、払わないとですよね。
とはいえ、まあ、お金が無いので、
「法テラス」って無料法律相談に行ったんです
弁護士さんに事情説明したら、「倒産して、◯◯◯◯して、生◯保◯もらう、ですね」ってなって、
最強の 3点セット
、、、笑えないです。
3つともドラマとかでしか聞いたことない言葉だったんで、まさか自分がそういうことになるなんて思ってなかった。
っていうか、最後はそうなるんだろうけど、え!?オレが?!って感じ(笑)
いや、笑えないです。スンマセン。。
◯◯◯◯は本当に最終手段で、あってはならないことだと思います。
でも、もう後がなく、どん詰まりの僕は、、正直、救われました。
再スタートできるチャンスをいただいたんです。
◯◯◯◯ってのが、申請してから受理されるまでに数週間かかるのと、長崎行きの費用を貯めなきゃなんで、その間の仕事探し
で、もう飲食店はやらないって思ってたんで、派遣会社に登録して、
40すぎで資格なし。
セールスポイントは「大卒」ということくらいか?
テレアポくらいしか思いつかず、何社か応募したんですけど、全然、受からず。
滑り止めじゃ無いんですけど、飲食店一社だけ面接を受けてて、そこは大歓迎してくれてたんだけど、飲食店で働く気なかったから、もしご縁があればって、断ってた。
そしたら無職状態が1か月続いたんで、こりゃマズいってことで、結局、この飲食店に電話して、
「千と千尋の神隠し」の千尋ばりに、
「ここで働かせてください!」
「ここで働かせてください!!!」
ってお願いしました。
やっぱ、またベトナム料理か、、これも運命かなって。
ならば、
ベトナム人コックのもとでバシバシ鍛えてもらおう、と思ってました。
ベトナム人コックとキッチンアルバイトはベトナム人留学生しか雇わない方針のお店。
マネージャー、店長クラスだけは日本人。僕は経験者ということで、特別枠でキッチンで雇ってもらえた、アルバイトで。
この会社はベトナム料理だけでなく、あらゆる種類の飲食店を多角経営している会社。
実質1年半働かせていただいたんですが、すごいストレスでしたね。
ベトナム人って、真面目っていうイメージあると思いますが、やっぱ日本人の方が真面目ですよ、一概にはいえませんが。。僕の見解ではね。
日本人の方が人数多い場合の中でのベトナム人は、たぶん真面目(笑)
この職場はベトナム人の中に日本人は一人(僕だけ)っていうパターン。
その場合はベトナム人が主導するので、ベトナム人のペース
仕事の効率とか、あんまり考えてない。衛生面もだらしないし、何よりもみんな雇われだから責任感がない、これは日本人でも一緒か。
まあ、これまで自己責任でなんでもやってきた個人経営者が無責任ヤングの中で仕事するキツさ。さらに人種の違いによる些細な行き違いなどなど、、
え?そんなの気にせずにバイトなんだしテキトーにやればいいじゃんって思うでしょ、そうしたかったんですよね、
でも、できない理由があった。
経験者ということでベトナム人コックが休みの日の交代要員(サブのコック)として抜擢されちゃったんです。
ベトナム人コックがいるときは、彼のいうことを他のヤングと一緒になってこなせばいい、体力勝負です
ベトナム人コックがいないときは、彼の代わりとしてヤングたちに指示を与える立場になっちゃったんですよ。
ベトナム人は目上の人を敬う習慣があるから、ベトナム人コックのいうことよく聞きます。で、その代わりの僕の言うこともすんなり聞いてくれるのか?っていうと、そうでもないんです、一応、ダントツ最年長だったんですけどね(笑)
やっぱ言葉の壁もあるし、ボクの料理の味も彼らが「好きな味」ではなかったから、説得力がないっていうか、統率することができなかった。言うたら、マウンティングできなかったわけですよ
細かい指示が送れないから、作業がスムーズに進まないこともあって、いや、ほとんどがスムーズじゃなかった
例えば、「皿用意しといて」、「麺茹でて」、「揚げ物入れて」、とかの瞬時の指示ができない
普段はベトナム人コックが ベトナム語でやってるから、僕の時だけ日本語でやっても通じない
一応、日本語学校に通ってる子たちだから多少は理解しようとしてくれることもあるけど、忙しいときに早口で言う日本語って通じないよね。
そんな感じだから、コミュニケーションがとりづらくて、、
さらにベトナム人って自由奔放だから、言わば「猫のサーカス」を仕切ってるような感じ?
だから、言うこと聞かせようとするのはあきらめて、彼らの個性をどう利用するか?っていう戦略にシフトせざるを得なかった
今思うと、この経験が後に活かされるから、やっぱ必要な期間だったんだな、って思う
まあ、そんな中でもなんか良いこと見つけてやるぞって思ってたんで、収穫もあって、
ベトナム人って、人に頼られるのが大好きだから、「この料理、どうやって作るの?」とか、「レシピを教えて!」って言ったら、めっちゃ喜んで教えてくれる。誇らしげに(笑)。そういうところは可愛い。
だから、この期間にベトナム人の味の好みとか、メンタリティとか、そういうのを「留学せずに」学べたのが大きい。
以前の会社は敢えてベトナム人コックを使わない方針だったので、僕の中で、「ベトナム人から教わってない」という引け目というか、コンプレックスみたいなのがあったんですよね
ほんと、奇跡だなって思った
奇跡はまだまだあって、
この会社はトップダウン方式で、上が決めた戦略を各店舗で言われた通りにやっていくっていう感じ
個人経営が長いと、自分の感覚とか、都合でなんでも進めちゃうから、毎月、新メニューのレシピが送られてきたり、方針が決められたり、どんどん別の力で進んでいく感じが新鮮でした
改めて自分がやってきたお店を振り返り、俯瞰できた
そして何よりも、繁盛してる、このお店!
ここ、大事!
正直、出してる料理一品一品のクオリティは?っていうと、疑問に感じる料理もいっぱいあった。本気で作ってないっていうか、、なんちゃって感というか、それ、アリ?!っていうか、ね。
でも、売れてる
ここ、大事!!(笑)
売れている、という事実。
これを直視しなければ!
でもね、
組織としてはガタガタだったんですよ
「出鱈目」っていう言葉がピッタリ。
そんな出鱈目な組織でも戦略があれば、売れるんだ!
っていう驚き。
ここで僕は思ったんです
ちゃんと気持ちが入った料理作って、なおかつ、売れる、っていうお店を自分でつくりたい!!!!!!
って。
カラテチョップ廃業までの自分は「情熱」と「気持ち」があれば報われる、っていう
「いつか、白馬に乗った王子さまが迎えに来る」思想だった
「情熱」と「気持ち」それ自体は否定しない
でも
もう、あんな悲しい思いはしたくない
エミちゃん(妻)を悲しませたくない
そのためには、売れるお店を作らなければ!
という強い思いを抱きました
もう、飲食店はしたくない。もう、自営業なんてゴメンだ!
って思ってた僕に、再び、お店をやりたい!という気持ちが湧いてきた
とはいえ、お金が全く貯まってないので、すぐに開業というわけにはいかず
大村でエミちゃんのお母さんが食堂やってるので、そこを手伝いながらチャンスを、うかがおうと。
◯◯◯◯して、ドン底だったけど、リセットしてアルバイトしたらいろいろ俯瞰できて、意義のある1年半だった。
毎日、辞めたいって思いながら通勤してたけど、辞めても次に働くところ探すの大変だし、40オーバーだし、、って、
ほんと続けてよかったって思う
それまでのトライアンドエラーな十数も大事だったし
それを冷静に振り返ることのできたこの期間も大事
失敗したことで凹んでるヒマなんてない、次やるときはもっとスマートにやってやる、って思ってた
自分の力ではどうにもできないことが起こることはいつだってある、これからもある、そのときは、その目の前にある現状にどう立ち向かうかで、その先の人生は全然変わってくると思う
まさにこの期間と、そのあとの大村でのカラテチョップの再生がそれ証明してくれた。
あの時、廃業してすぐに大村に来て、カラテチョップやってても絶対うまくいってなかったと思う。
また同じ失敗してたかも(笑)
このときは東京に足止めされてることを不遇だと思ったりもしたけど、この経験がバネとなっていまのカラテチョップがある
この経験こそが、奇跡だった
後編につづく