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今、死ぬ。

 テロメアの研究から人の死ぬ瞬間の正確な時間が分かるようになったらしい。俺は最近慢性的に体調が優れないから軽い気持ちで受診したのに、いつの間にか入院することになっていて、検査の結果、数日後に死ぬと医者から宣告された。
 俺は今、ベットで横になっている。あと二分で俺は死ぬ。何時何分、何秒までに死ぬかが分かるらしい。今のところ、俺は特に死ぬような兆候は感じられていない。
 十年ぶりに顔を合わせた母親がずっと俺に声を掛けてくる。この瞬間にも記憶に残らないようなどうでもいいことを俺に話し掛けてくる。正直、鬱陶しくて頭痛がする。医者や看護婦たちにも囲まれて、医療機関には安らかに眠らせるという概念は存在しないらしい。
 俺が死ぬまであと一分を切った。看護婦が淡々と時間をカウントする。これは死の宣告か。特に大きな変化はない。強いて言えば、眠くなってきたくらいだ。夜遅くまでゲームしたり漫画を読んだり映画を観たりしているときに、ふっと落ちてしまうその感覚の、その少し手前にいるような眠さだ。
 気を許せば俺は眠るだろう。俺はもう目を開けていられなかった。眠い。医者が声を掛けてくる。今、どんな感じですか。お前のお蔭で眠気が少し遠のいたよ。俺はもう声を出すことも億劫で、ただこのまま眠りたかった。
 このままいつものように、毎日、何も考えずに行ってきた睡眠という行為と同じ要領で、俺はそのまま死ぬのだろうか。それ以外の違和感がまるでない。だとすると、俺は毎日、とても怖いことをしてきたことになる。ただ、一日に疲れて、仕事に疲れて、遊びに疲れて、安らぎに身を投じてただ眠っていた。もしかしたら、そのまま死んでたってことだ。自分の死期も感じずに、ただ平凡な時間の流れの中で俺はそのまま永遠に目を覚まさなかったかもしれないのだ。そう考えると、今の俺のこの状態は、幸せなのかもしない。死ぬ瞬間が分かっただけでも。
 看護婦が死の宣告をする。残りテンカウントだ。
 俺は急速に眠りに引きずり込まれる感覚に溺れた。額の中心、もっとその奥、脳の中心に俺の全てが引きずり込まれるような感覚だ。手の先、足の先、全身が脳の中心に向かって引きずり込まれる。俺の身体の全てが脳に押し込まれる。膨れ上がった脳が、俺の頭から飛び出そうとしている。頭痛がする。母親と医者と看護婦の鬱陶しさが招いた頭痛とは比較にならないくらいに頭が痛い。音を立てて頭を引き裂こうとしているようだ。ギシギシと、ミシミシと、俺の頭を破ろうとしている。
 看護婦が死の宣告をする。
 俺は今、死んだ。

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