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幸せな技術 一

 高校生のとき、パソコンを持っていると口にすると、それはCMでやっているあのマッキントッシュのオシャレなパソコンなのか、と女子たちに群がられた。このとき、初めて、あのパソコンのオシャレさは女子高生たちに人気があるのだと知った。違う、と答えると、女子高生たちは何も言わずに去っていった。
 その後、一人、あのパソコンを同じクラスの女子が買ったと知った。
 ショートカットのオシャレな女子だった。
 一度も目にすることはなかったが、彼女の私服は原宿系らしく、私服はもっと可愛いと評判だった。オシャレでもないスポーツもできないセンター分けしかセットできないパッとしない俺の耳にも自然と入ってくる程の女の子だった。
 原宿系、それがどういう服装か知らなかった。原宿系という単語だけが頭にフワフワ浮かんでいて、あのマッキントッシュのパソコンのオシャレで少し透けているブルー、沖縄の透き通ったトロピカルブルー、コバルトブルーの海みたいな、そのフォルムがそのまま彼女に具現化したような姿しか、想像ができなかった。頭の中で彼女はトランスフォーマーのロボットのような姿になってしまった。ちなみに沖縄の海も見たことはない。
 彼女は身長が高くて、短いスカートから伸びる長い脚が白くてキレイだった。露出したその両の脚には無駄な肉がなくてエロい感じではなかった。あのマッキントッシュのパソコンみたいなスタイリッシュさ、それを操る姿を想像すると、なんとなく彼女に似合っていた。
 とにかく、オシャレで近づき難い、自分のような人間とは世界線が異なる女子だという印象は、十分に受けた。
 高校生で自分専用のパソコンを持っているのは珍しかった。その親近感があって、数日は彼女のことをひっそりと目で追うことも続いたが、すぐに飽きた。
 中学生のとき、パソコンを持っていると口にしても、女子中学生たちに群がられるなんて現象は一度も発生しなかった。代わりにゴリゴリのパソコンオタク男子たちが寄ってきた。電子計算部の勧誘もしつこかった。その顧問の理科教師は生徒中から嫌われるフケだらけの根暗だった。
 俺は、オタクではなかった。と、自分では思っている。
 父親の仕事の関係で、物心がついた頃には、既に家にはパソコンがあった。父親はカメラの設計技師で、パソコンで設計図を書くのが仕事だったからだ。
 父親がパソコンを買い換えるとき、そのお古を俺は貰っていた。同級生がファミコンやスーパーファミコンで遊ぶ中、自分だけがパソコンの初代シムシティや三国志で遊んでいた。それは密かな優越感でもあった。
 小学生のとき、自分のパソコンを持っていると口にすると、同級生から容赦なく殴られて、よろめいて倒れ込んで、教室で大泣きした。それで担任教師から怒られたのは、俺の方だった。授業中、関係のない自慢話をする方が悪いと、一方的に怒られた。その制裁としての自分に対する暴力が許されることが理解できなかった。
 この一件で、世の中の全教師のことが嫌いになって、話す相手はよく観察してから選ぶようになった。
 でもそれが凄く自分に合っているような気がしてならなかった。
 元々、同級生との接し方がよく分からなかった。何を話していいか分からなかったし、休み時間や放課後、同級生に誘われて遊びに行っても、何が楽しいのか理解できなかった。運動も得意ではなかったし、ドッジボールやバスケットボールで遊んでいてボールを取れないからという理由で同級生からボロカスに批難される意味も分からなかった。駄菓子屋でお菓子を立ち食いする同級生たちの笑顔が理解できなかった。
 家で、父親から貰ったパソコンで一人遊んでいる方が、比較にならないくらい面白かった。それを横で大人しく座って見ている三歳下の弟、その一時だけが俺にとっての平穏な日常だった。
 この教室で起きた暴力号泣事件の後、自ら意図的に孤立しようと図っていた俺に、本当にビンの底かよと思わされる分厚いレンズの眼鏡を掛けた同級生が話し掛けてきた。同族嫌悪なのか分からないが、鈍臭いこいつのことが俺は物凄く嫌いだった。ただ上手く邪険にする方法も分からず、こいつの言うままに図書室である一冊の本を借りた。ゲームプログラミングの本だった。こいつは本をめくりながら要点を説明してくれたが、何を言っているのかほとんど分からなかった。ひとつだけ分かったのは、この本を読んだ通りにプログラミングすると、テトリスというゲームが完成するということだった。
 家に帰ってやってみたが、冒頭から理解できなくて、本はすぐに返却した。この眼鏡のことはその後、無視して一切相手にしなかった。
 俺は運動だけでなく、勉強も苦手だった。じっくり考えることが嫌いだった。宿題なんかやらないし、テストのペナルティの居残り勉強も教室から走って逃げて、家で母親に怒られながら、パソコンで一人遊んでいた。母親はパソコンのことをよく知らなかったので、ファミコンに対してやっていたようにいきなり電源を切ったりという暴挙には出なかった。パソコンだと爆発するとでも思っていたのだろうか。俺はそこに逃げ込むことを覚えた。
 俺にとって、パソコンはファミコンやスーパーファミコンと同じ、ゲーム機の一種でしかなかった。父親のように、将来の仕事のことを考えて、ゲーム以外のパソコンのことを知ろうとはしなかった。
 その後に知ったのだが、母親はどうやら、パソコンは将来の役に立つと思っていて、それでゲームしかしない姿を見ても、取り上げることはしなかったらしい。
 俺は母親の前で、遊び以外の用途にパソコンを使ったことは一度もなかった。
 中学三年生のとき、父親が家を出た。この時は理由を知らなかったし知ろうともしなかったが、外に子供が出来て、父親はそっちの家を選んだ。
 もうこの頃には、俺は自分以外の人間はどうでもよかった。
 パソコンさえあれば。
 少し残念だと思ったのは、もうパソコンが今使っているものよりも新しくならないことだ。自分で買うという発想はなかった。ただのゲーム機としてはパソコンがあまりに高過ぎると分かっていた。
 高校に入って、パソコンは使わなくなった。原宿系の女子の脚のことを考えながら、何度か起動はしたが、何度も遊んだ三国志をまた初めからプレイして、途中で、彼女の脚と共に飽きた。
 大学受験の時期までは、ひたすらプレイステーションで遊んでいた。放課後、誰とも同級生とは遊ばなかった。同級生との遊びがつまらなくて時間の無駄であることを小学生のときに既に学んでいた。中学生のときは学校の卒業遠足にすら行かなかった。ディズニーランドのチケット代も高いんだから無駄にするなと注意されたが誰であっても教師の言うことは全て無視した。
 自分は一人が楽しい、俺にはその確信があった。自分の本質を自分自身で見つけられたようで、それは俺にとって小さな誇りだった。
 高校に入ってから、母親とは常に衝突した。
 中学に入ってしばらくして、俺があまりに勉強しないので、母親が祖父母や叔父、叔母にまでヒステリックに訴えて、俺は親戚一同から本当に輪のように囲まれて総説教をされた。
「将来のことをちゃんと考えているのか」
「そんなものは考えていない、どうでもいい」
 叔父に怒鳴られた。目が血走っていた。握った拳が震えていた。次、何か言ったら殴られると思って、俺は黙るしかなかった。制裁に暴力を選ぶのが大人という人種か。教師もそうだった。
 この集まりで、父親だけが一人だけ何も言わなかった。父親も学生時代、勉強を全くしなかったからだ。それを棚に上げる親戚一同、嫌いになった。
 そしてそれから毎日のように、叔父がうるさかった。母親は満足げだった。叔父を黙らせる為に、俺は勉強しまくって学年で五位以内に入るくらいの成績を取った。誰一人、ぱったりと、俺に説教をしなくなった。
「この子は頭の良い子だと思っていた」
 の一言で、心から親戚、血の繋がり、自分に流れる血が全身から嫌いになった。言葉ではもどかしかった。身の毛がよだつとでも表現したらいいのか、それが適切か分からないが、もっと複雑な、血液を一滴残らず入れ替えたいくらい、嫌いになった。今思えば、父親は、この頃にはもう既にこの家族には興味がなかったのだろう。だから何も言わなかった。こんな血は滅べばいいと俺は本気で思った。
 まっすぐ高校から帰ってきて、家で勉強して、余った時間でプレイステーションで遊ぶ。これが高校生活の日課になった。高校でも成績は五位以内だった。休日は一日中、プレイステーションで遊んでいた。普段、勉強して、成績も学校の教師共が褒めてくるくらい良くて、何も文句はないはずなのに、母親は機嫌が悪かった。俺のその文句はないだろうという見透かした態度が気に食わないのか、母親と言い争うことも日課に加わった。
「高校生活が人生で一番楽しいんだから、楽しみなさい」
 と言って怒鳴り散らす母親を、俺は絶対に理解できなかった。俺は十分に今、楽しかったからだ。叔父、親戚を黙らす為に始めた勉強も今になっては悪くなかったし、プレイステーションは本当に面白い。この瞬間に社会人ではなく高校生であることがむしろ強い運があるとさえ思える程、十分に一人遊びを楽しんでいた。今しかできないプレイステーションで毎日遊べる、こんな充実した時間は他にはない。
「他人の楽しい楽しくないを、お前が決めるな」
 高校三年生になる直前の春休み頃に、俺はとうとう母親の首を絞めた。だらだら無駄に生きるなら家を出て行け、視界に入るな、そう毎日のように言われ続けて、我慢の限界だった。俺の腕を掴む手の力が徐々に弱まる母親の顔を見て、このまま一生黙るなら殺してもいいかと頭によぎったが、迷っている間に弟が止めに入った。見様見真似で俺は弟を腰で投げ飛ばしたら、テーブルに顔面を強打して弟の前歯が折れた。口元、顎が血だらけだった。こいつにも同じ血が流れているのだと気がついた。
 母親はもう、これを機に、何も文句を言わなくなった。弟とは一切口を利かなくなった。
 他人、と咄嗟に口にしたこと、俺の頭にずっと残った。
 確かに、俺にとって、ここには他人しかいない。

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