依頼事/相談事は断らない主義です。
自分は、基本的に「依頼事/相談事は断らない」と決めています。とりあえずどんな仕事でも前向きに考える。それが自分の信念で、師匠に教えられたことでもあります。
なぜかというと、自分に依頼/相談してくれているのが普通に嬉しいんです。誰かが求めてくれる、相談したいと思ってくれるのってなんだか嬉しくないですか?
「土肥に言ったらなんとかしてくれるだろう」「土肥に頼みたい」と思ってくださる方がいて、こちらからアレコレとアイデアや解決策を提案したときにスッキリする瞬間に自分は幸せを感じます。
さらに言うならば、自分は仕事を選べるような人間ではないと考えています。超売れっ子の方ならまだしも、若い自分は期待で依頼や相談が舞い込んでくることも多くあります。
ですから、選り好みをするのではなく、自分を必要としてくれる場があるのであれば、その場で一生懸命にやってきちんと成果を出す。それ自体が自分の糧にもなっていくだろうと思って、様々な仕事をお引き受けしています。
その意味で、「やりたいことが仕事になっていていいね」とよく言われるのですが、実はそうでもなかったりするのです。むしろ「求められること」をひたすらにやるのが自分の仕事で、むしろ自分から「やりたい!」と思ってはじめたことは少なかったりもします。
正確にいえば、他の人から「求められること」を、自分のやりたい形、自分の心が潤う形に変形させながら進めるのは得意かもしれません。どんな依頼や相談も当事者意識を持って考え、自分にどう関わることができるのか?を意識しています。
ですから(自分の記憶のなかで)今まで相談や依頼を断ることは、ほとんどなかったんじゃないかと思います。ありがたいことに、いまは週に1回はなんらかの依頼や相談が入ってきます。その分野も多岐に渡っていて、行政、企業、財団、金融、市民活動、学生、ほんとにいろんな方が連絡してくれます。
ちょっと前までは、なんでも頼まれて、引き受けていくので「なんでも屋」のアイデンティティの無さに虚しさを感じることもありました。むしろ依頼などは絞っていったほうがいいんじゃないか?と思うこともありました。
いまはコミュニティファシリテーターとしての軸が自分のなかで確立しはじめていて、むしろ次はどんな依頼・相談がやってくるのかと楽しみにもしています。
もちろんお仕事として引き受ける場合の金額や自分がやるんだったらここのラインは譲れないという意見はきちんと言います。なんでもボランタリーに受けていると、自分もしんどくなってしまった時期がありますし、自分の譲れないラインは、自分がやる意味や意義にも通じると感じています。
なんでも引き受けすぎて、自分のキャパを遥かに超えてしまう場合もたまにあるので、そこは反省もしていますが、せっかく声をかけてくださったら何かお力になれる方法を一生懸命に考えたいんです。それが自分の仕事の仕方です。