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なぜ子どもたちは喧嘩の解決を大人に求めるのか。

おはようございます。もう年末になってきています。今年のやり残しがないように生活していきたいですね。

さて、今日書こうと思っているのは、こどもたちのことです。みんなの公民館まるをオープンして約3ヶ月。ありがたいことに1000名近いこどもたちが来館してくれています。

本当はもっと数が増えてくる計画なのですが、やはりこういう居場所はじっくり育てていくに限るので、じわじわとやっていこうと考えています。

ところで、最近気になっているのはまるに来る小学生たちの態度です。基本はのびのびやってるんですが、え?そんなことするの?そんなこと言うの?という場面がところどころあって、驚くことが何回かありました。

そのなかとくに思うのが、主体性の不在です。何でもかんでも人任せ、自分たちの主体はどこへ行った?という場面がたくさんあります。

まるにはSwitchとモニターが置いてあって、みんなでゲームができるようになっているのですが、やはりゲームをしているとケンカがよく勃発します。

「あいつは仲にいれたくない」
「あいつがずっとゲームやってるからどうにかしてほしい」

まあいろんなトラブルが起こるんですが、なぜか彼らは起こったトラブルをすべてスタッフに報告をしてくるのです。スタッフによって考え方はいろいろなので、関わり方に違いはあるかもしれません。

基本的に自分はこんな風に返すようにしています。

「君らの問題なんだから君らで解決したらいいんじゃない?」
「僕らに言われてもなにも解決できないよ」


大人は口を挟みすぎない

いまの社会はとにかく大人が口を挟みすぎだと僕は感じています。

ケンカが起こったら大人が止めに入るし、「お互いに謝りなさい」と解決するのも大人です。もちろん介入が必要なタイミングはあると思うのです。でも、介入しすぎもどうかと思います。

喧嘩が起こって誰かが泣いていることもあります。泣いていると大人に助けを求めます。

そんな時、大人は助けを求められることを嬉しく感じることもあります。自分を頼ってもらえた、これはどうにかしてあげないと、と思うかもしれません。

でも、こどもの問題はこどもの問題です。だから僕は一切、口を挟みません。何なら殴り合いになってもいいとも思っています。

泣きあったり、理路整然に話せないこともあるけど、そうやって対人関係のスキルを獲得していくものだと思いますし、だんだん大人になった時に誰かに頼れないと対人トラブルを解決できないってのは恐ろしいことでもあります。

大人を頼るのはクレーマーと似ている

大人を頼る姿を見ると、公園や公共施設に禁止看板が立ち並んでいる姿と似ているように感じることがあります。

というのも、ああいう禁止看板は誰かがクレームを入れて立つことが多く、「ボール遊びやっているこどもがうるさい」「道を飛び出すのが危ない」「悪いことをしそう」などのクレームを市役所などに入れたことによって、じゃあ禁止にするか、と看板が立ち並ぶわけです。

どうして本人たちに伝えず、市役所に伝えるのか。本人たちに伝えることで、対話で解決する方法はなかったのか。その構造はケンカの解決法を大人に頼るこどもに似ているようにも思います。

本来であれば自分たちの問題で、自分たちのトラブルなのに、ルールメイカーである市役所、大人に頼っています。言うなれば、自治の放棄でもあります。

公園や地域の公共施設なんて、利用している人が限られてもいて、その地域内で暗黙の了解のように話し合いができていれば、わざわざ禁止看板をあちこち立てる必要はなかったでしょう。

それにも関わらず、その解決を市役所に依頼するのは、「もう自分らでは解決できないので、解決をお願いします」と、自治を放棄し、市役所に委託しているような状態といえます。

こどもの自治の場

そういう意味で、僕らがまるで実践しようとしているのは、こどもの自治の場でもあると言えるのかもしれません。

こどもにはこどもの社会があって、大人には理解できない暗黙の空気感というのを感じることがあります。喧嘩している理由だって、正直「え?そんなことで?」と思うことも結構あるし、理解できるものもあります。

でも、だからこそ大人が大人の論理で口を挟むのは良くないと思うし、こども社会のルールや文化に沿って解決されていくべきだとも思っています。

こどもの自由圏がなくなっている

そもそも、いまの世の中は大人が監視する場が多すぎます。こどもがこどもだけで遊べる場はどんどん少なくなっています。

数年前に、石川県の加賀市で3世代遊び場マップをつくるプロジェクトに取り組みました。

これは元千葉大の木下勇先生が中心になって取り組みはじめたプロジェクトで、現役こども世代、親世代、じじばば世代の3世代で遊び場がどう変化してきたか?をマップに落とし込んだものです。

加賀市でそのプロジェクトを真似て、実際に遊び場マップづくりをしてみました。そうするとおもしろいことにこどもの行動範囲が世代を追うごとにどんどん狭くなっていることが明らかになりました。

じじばば世代のときは、こどもだけで裏山に登っていたという話が出たりもしたのですが、いまではそんなことをしたら大事件。親世代もその辺の側溝でざりがにを釣ったりしていたと話していました。

でも、いまのこども世代はみんな児童センターで遊ぶ、公園でゲームなど。用意された場所だけで遊ぶようになっていて、言うなれば大人の監視下でしか遊べなくなっています。

大人がいない場がないから大人に頼る。そして、大人が解決するのが当たり前になる。これ結構怖いことだなと思うのです。

社会を変える打ち手が見えるようで見えない

いま自分は小学生、中学生、高校生、大学生と幅広くこども・若者世代と関わるようになって、どんどんこの社会の未来が悲しくなっています。

自分で決められない、正解をすぐに求める、挑戦しない、面倒に思う、そんなこどもが増えまくっていて、日本の未来は本当に明るくなるのだろうかと。

そんな大人が親世代になっていて、負のループが連鎖する感じもします。

でも、そんな社会をつくってきたのは僕ら大人です。僕らはどうにか社会を明るくしていきたい。ので、まるというという小さなこどもの自治の場を世の中にたくさん広げ、こどもが自分で考え、決定する、そんな下支えができる大人を増やしていくしかないと思います。

先は遠いけど、そんな小さなところからしか社会は変わっていきません。きっと変わっていきます。変えていきます。

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