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5月の振り返り 自分を開くということ

4月に受けたある面談をきっかけに、本当に多くの人と出会わせてもらう2カ月を過ごしている。思い切って参加した場で、さらに出会いがあり新しい場に誘ってもらい…というのが続き、さらに別の場所でも…という連鎖が起こったのだ。

私はコップ片手に「友達探しているんです~涙」といいながら近寄っていく明らかに怪しい人物なのに、なんて世界は優しくて暖かいんだと感動さえ覚えた。皆、口をそろえて「友達になりましょう!」と言ってくれる。「友達ってなに?」と言われたこともあるけれど笑。名前を知り、声を聞けて、いいところが一つ見つけられたら友達でいいと思う。(なんだかすごくパリピ感がありますが、ゆるりと温かい場に恵まれております…)

ときにはライターという職に興味をもってもらい「中学生の娘が編集者になりたいといっていて」と、私の仕事について2人の中学生に話をする会を企画してもらったり、とにかくオープンな人たちに声をかけてもらって半泣きで仕事の相談をさせてもらったり。ここ数年の孤独感はどこへやらというくらいに、本当に色んな人とお話をさせてもらった。

だけど育ってきた環境も職業も何もかも違う人たちと出会い続けながらも、「私はちゃんと自分を開けているのか」と悩むこともあった。このことはちゃんと言葉にしたいと思っていたけれど、流されるままに動いていたので頭のなかはずっと散らかっていて。ようやく少しずつ整理されていきたので、心に残った言葉を紐解きながら書いてみることにした。


「私は武器を持っていないよ」と見せなきゃいけない

これは面談で相談に乗ってもらった方に言われた言葉。この言葉の前後にも色々と言ってもらったのだけど、とにかくグサリグサリと刺さった。

この言葉を頂いてから、私はどうやら相手の出方を見て、どの自分で関わるのかを選んで人と接しているのだと気づいた。相手に合わせるといえば聞こえはいいが、その観察の時間は確実に相手に壁を感じさせているだろう。相手がなにも見せてくれなければ、双方閉じたままの関係が続いてしまう。

これを改善するために、まずは「関わるぞ」スイッチをちゃんと入れること、そして一番好きな自分でいることを意識したい。もちろん不快感を与えないとか、不要なことは言わないとか最低限なマナーは守りながら、「自分を知ってほしい」というほんの少しのエゴも入れてみる。嫌いな自分を見せるよりも、結果的に相手に対する誠意になる(はず)だ。

もちろん開いた自分を否定される怖さはあるが、どんな人も多面的である。たった一面だけで判断するようなことはせず関係を築ける人と出会い、繋がっていたいと思う。(自分もそうでありたい)


「はるって警戒心強いよね」

先日、学生時代を過ごした大阪へ久々に遊びに行き、総勢14人の友人や先輩に会う4日間を過ごした。そのとき仲のいい男友達に言われた言葉。「ほんとにそうなんよ…」と反省。特に誰かに裏切られたり、傷つけられた経験があるわけでもないのになぜなんだろう…。

幼少期からそうなので、原因とかないのだと思う(考えるの放棄)。

でも30年近く警戒心とともに育ったので解く方法は知っている。ただ、その人の隣にいること。目を見ること。今までは相手に警戒心を解いてほしいと他力本願だったから、これからは自分で解いていこう。私がそばにいたら「警戒心解きにきているんだな。頑張れよ~」と、心の中で思ってやってください。


「自分にもちゃんと心を開く」

これは一番大切だと思う。感情や体調に気づいて動いてあげること。自分の声は自分が一番聞いているから。開いた自分をまずは自分が受け入れてあげる。それがスタートだなと思う。


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ほかにも接し方や話し方、まだまだ改善すべき点はあるけれど、心地よく自然に、でも確実に開いていけれたらいいなと思う。

そして、この数カ月出会ってくれた皆さん、久しぶりに会えた皆さん、必ずまた会いに行きます(会いに来てもらえてももちろん喜びますが)。

そして今ははみ出すための友達作りをしている。2022年何かできたらいいな。ずっと逃げ腰だったから、岡山にいる意味を見出したいところ。

「開く」とは、饒舌に話せることでも、胸の内を語れることでも、別け隔てがないことでもありません。コミュニケーションの技術や方法論の話ではありません。
「開く」とは、あり方です。社会の中に、自分を置くということ。関わり方は人それぞれでよいのです。
https://note.com/tell_me/n/n12e806aee06c  より引用


出会いと流れのなかに身を置いて、自分なりの関わり方を模索していきたいと思う。

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