わからない余白が楽しい。
先日、関東から2人のお友達がきてくれて一緒に瀬戸内の島旅に行きました。1日目は犬島、2日目は豊島へ。私は何度も行っている場所ではありますが、毎回一緒にいく相手が違うので新鮮なリアクションをみるのも楽しみの一つになっています。
今は瀬戸内国際芸術祭の会期外なので比較的来訪者も少ないため、スタッフさんとコミュニケーションがとれるという隠れたお楽しみも。(もちろん場所によりますが)
なかでも犬島精錬所美術館では毎回最後に島のおばあちゃんが待ち受けていて、私は今回3度目の来訪にして初めてお話することができました。初めて行った時には「おばあちゃん、どこから入ったの?!」と思ったものです。島のガイドとしてそこに来てくれているらしく、おばあちゃん曰く「年寄りなのに、(ガイドを)やれぇゆうけぇ仕方ねえからやっとんじゃ」とのこと。
出口に向かおうとする私たちに「おい、(作品のこと)わかったんか?わからんで、何を帰ろうとしょんなぁ」とおばあちゃん。こんなにもワクワクするようなお誘いを受けてしまっては、「わからなかった」我々は足を止めて聞くしかありません。おばあちゃんが小さい頃に遊び回っていたという精錬所のこと、三分一博志氏による建築のこと、そして館内にある三島由紀夫作品からインスピレーションを受けたというアートのことを教えてもらいました。
3回も訪れているくせに知らないことばかりで、おばあちゃんの説明もわかりやすく、非常に興味深く聞きました。
その後のスタッフさんによるガイドツアーにも参加し、瀬戸芸の意義までお話を聞くことができとてもいい時間になりました。
ただ、ガイドを聞けてよかった、聞くべきだと思った反面、私は瀬戸内の島には「何度も訪れたい!」と思っていたのですが、その理由は「わからないから」というのがあったと感じました。
「わかった!」と満たされると、次の新しいものに飛びついてしまう。「わからない」という状態の方がよく観察をし、たくさんの疑問が浮かぶのかなぁと。
もちろん犬島に関しては基本を教わっただけなので、まだまだわからないことの方が多いですし、教わったことは「答え」ではなく自分で考えるための「知識」でもあったので、また行きたいと思えているのですが。
それでも「わからない」を楽しむ余白はできるだけ残しておきたいなぁと思ったのでした。