「青い脂」ウラジミール・ソローキン感想

はじめに

あの~まずこの小説を誰しもに積極的にお勧めするものではないんですが、ただ「すげーもの読んだな」という感覚は残る本だったので、感想文というか…所感を残しておこうかと思っています。

この本には、8通りの特徴、というか楽しみ方があり、それはかなり人を選ぶ特徴も含みます! 地雷が多い人は逃げるんだ!

①未来の口語を覗き見る楽しさ

 例えば「この前同担とマチソワ2連したんだけど、推しのカテコ全然違って、2回目のファンサガチエグくて、二人とも要介護になっちゃった」というのは、「この間、同じ俳優ファンである友人と、(好きな俳優が出演する舞台の)昼公演・夜公演を隣同士で観劇したのだが、俳優のカーテンコールの時の所作が昼と夜とで異なっており、夜公演の時のカーテンコールが大変ファンに寄り添った素敵なものであったため、私と友人は、二人とも取り乱すほど喜んだ」という意味だというのを、同じ時代に生き、同じ文化圏で飯を食い、同じようなものを見て過ごしている私やその周辺の人は理解できるわけですが、これを70年前の人に読ませたら、果たして理解してもらえるだろうか? っていうことを考えてみます。無理じゃないですかね?! っていうことは、今から70年後の人たちが当たり前に使う言葉を今の我々が聴いた時、意味がわからないかもな? って思いますよね? でもそれを知ることはできないですよね? それは70年後の人たちが当たり前に使う言葉をわれわれは手に入れることができないからです。でもそのバーチャルな体験としてこの小説があります。2068年(これがかかれたのは1999年)のこいびと同士の手紙からはじまる小説だからです。
 「70年後のロシアの人は、きっとこういう価値観で、こういう言葉づかいで、こういうことを恋人に言っている」という、作者の純度100%の妄想を、ディティールの部分からこれでもか!! とド直球剛速球でぶつけられ続けるため、こっちも「どういうことなの?!」「それってなに!?」と思いながら受け止め続けるしかない。序盤は特にそういう展開であり、割とこれが面白いんです。一応、わけがわからないなりにわけがわかる瞬間があるというか、「これは恋人にあてた手紙だな?」「ああ、今、書き手は単身赴任しているのか?」「遠距離恋愛ではあるようだな」とかいうこともじんわりわかってきます。これは不思議な感覚で、とても楽しいですね。
 そして、どうやら男の同性愛者同士のカップルで、随分お盛んだっただな、ということがわかったとき、「ああ、じゃあさっき、お前の星にキスが云々、って言ってた、あの星って、アナルのことか」ということがわかる、そういう時間差の「読み解けたぞ!」が「うれしいな!」だけでは終わらないところで、この作品のクセがわかるというものです。

②怖いもの見たさみたいな楽しさ(エログロ)

 さっきの、「星=アナル」という意味だったということなど些末な言葉遊び…と言えるほど、この話はエロ・グロが割と溢れています。でもまあ、「文章から血がしたたるような」というよりも、「人間ってここまでやれるんだよ」という、びっくり人間発想勝負みたいな感じであるため、フェチを感じて「こういうの好きな人が勃起するのかな」と思うというより「で、次はどんな発想を見せてくれるのかな?」という感じの芸風ではあります。(いや、Twitterで感想を検索したら普通にヌいている人がいたので世界は広いんだけど)

 エド・ゲインが何から何をつくったのか? ブラック・ダリアってどういうありさまだったのか? そういうことにちょっと好奇心が疼いて、インターネットを自ら検索した人なら、耐えられないほどではないエログロではないか? とも思います。ただめちゃくちゃ下ネタというかいってみればスカトロがあるため、それだけは無理な人は無理。耽美ではない。一つ一つがぽんぽんお出しされるため、サドに似てるな…と思ったら作中で登場人物が読んでいて笑ってしまった。

 エログロスカトロ系のちょっとグロテスクで悪趣味さな人間の業を、人間ってこういう発想も出来るんだ……で流しつつ楽しめる人なら、この楽しみ方が出来ます。近親相姦・拷問・カニバリズムもあった。ないのがなんだったのかわからないな…女×女は無かった気がしますね。
 ただ、フルシチョフ×スターリン、逆転なし、ラブラブ赤ちゃんプレイ本番ありのシーンもあるので、基本的にこの辺りは「こんなこと書いてええんか?!」を連発したい人向けの楽しさです。

③エログロが過ぎて最早コメディ

 ②の要素がかなり行き過ぎており、最早面白いまであります。
 スカトロもなんていうか…コロコロコミックの「うんこー!」(大爆発!)のノリで読めるというか……。
 こればかりは一例をあげると、めちゃくちゃ男性器が大きい男性が出てくるんですが、どれくらいデカいかというと、立つと性器が床に着きます。このレベル。当然歩けないため、男性器を乳母車に乗せて押して歩きます。さらに、お偉い人に「勃起してみせよ」と命令されて、「はい」とこたえ、一生懸命自慰するんですが、その右手がたくましいんですね…。もうこの辺りで「そうは!ならんやろがい!!!」と元気に突っ込める人は、この本で大笑いできる可能性があります。割とそういうことが多く発生するからです。人体もてきぱき破壊されたりするため、もうその手のコメディというか、そういう小学生のノリというか……。

④シュールレアリスムとしての文章の美しさ・楽しさ

 かなりシュールというか、「青年の前立腺を山盛りにしたお皿を運ぶ女性」みたいな、「それってどういうこと?!」と思うような文章もたくさんあり、「文章としては読めるが場面として想像するとなるとちょっと立ち止まる」みたいなのをむりくり想像してみるのが楽しい人には楽しめるところがあります。モチーフは9割生臭いですが……。シュールでないところもふつうに文章が上手く、ほんと上手いな…ってなるんですけど、次のページで人糞が出て来たりするのでな~にも油断できない。

⑤SFのストーリーラインが楽しい

 さっきからエログロスカトロの話ばっかしちゃいましたが、普通にこの話、かなりストレートなSFなんですよ!
 「ゼロ・エントロピー、つまりどんな状況でも太陽が爆発しようがなにしようが絶対に温度が変わらない」という特徴をもつ、「青脂」を秘密裏に開発・製造している研究所を、新興宗教団体のテロリストが襲う! みたいな大枠のアウトラインが存在するんです。そのあいまあいまにエログロスカトロが挟まるだけで…

 猫のゆりかごのアイス・ナイン、虎よ!虎よ!のパイア、ガンダムのガンダニュウム合金、いっそ魔法騎士レイアースのエスクード、あらゆるファンタジーに登場する「ふしぎ素材」みたいな概念が青い脂であって、そういうのって…楽しいじゃないですかあ……。

 この「青い脂」、作中では「青脂」とかかれており、明らかに「精子」とのダブルミーニング狙われているのでもうこの時点で下ネタからは逃れられないんですが……。原語のロシアの方では、「青い」に「男性同性愛的」みたいなニュアンスがあるものの精子とは関係なさそうなので、ちょっとやりすぎでは?とは思いますが……。

 話の大枠、そしてオチはだいぶSFなので、SFファンには進めてみたい気持ちと、でもエログロが大分あるんだよな…と踏みとどまる、そんな小説……。

⑥ロシア文学のトンデモ二次創作が楽しい

 ⑤で書いたキーアイテムの「青脂」の製造方法が、「ロシア文学を書き終わった作者の身体から収穫する」なんですよね。なのですが、2065年の世界において、小説はとっくにオワコン、作家は「紙に自分の空想を書き込んでいた人間」として、昔の存在になっています。なので、主人公たち研究者はどうするかというと、かつての作家のクローンを作り上げ、そのクローンに執筆活動をさせ、文学を書き終わったら彼らの身体から青い脂がとれるようになるのを観察するわけです。
 そのクローンが書いた小説も、作中作の形式で読めるわけですが、これが結構面白くて、基本的には「下劣なパロディ」という感じです。日本人の例でいえば、「おばあさんがおじいさん"で"肉団子を作ってくれて、それをもって旅に出た痩せた男が、出会ったネズミの首を鉞で掻っ切り、出会った猿を犯す」みたいな……部品部品は見たことあるんですけど、その味付けがエログロ……というか基本的に倫理がない。でも確かに「それっぽい」と思う瞬間があり、「ここは白痴で読んだ気がする……」「ここは……かもめ……か」「何故トルストイがナボコフで…?」など、ロシアの小説をある程度読んだことがある人間ならわかりやすくて、面白いです。
 AIに書かせたみたいな不自然な描写も混じるんですが(これほんとう翻訳大変だっただろうな)、この本はAIの前にかかれた小説なのでそこも安心ですね……。

⑦小説(創作)の持つ見えざる力に対する信頼と懐疑を考える楽しみ

 作者の、創作に対する熱量の大きさ、そしてその「どうせ小説は」と「だからこそ小説は」のせめぎ合いというか、作者はロシアというものを愛し、同時に憎んでいるというのを考え込むのが楽しい。

 先述のとおり、「青い脂」は、とても重要な物質であるため、それがみんな欲しいわけです。過去でも未来でも。そしてその重要な物質は「不変」という性質を持ち、文学からしか生まれないわけです。でも、みんなは「青い脂」を欲しがりはするが、その青い脂を生み出した文学は捨て置かれます。(主人公は言語学者であるため一応読みますけど、恋人との猥談の方が大事です)

 ロシア文学者のクローンも、「見た目がテーブルに近い」とかで、心を通わせることができるような、人間的な描写はされていません。彼らは狂ったように書き、興奮し、血で書き、そして眠りにつき、青い脂を生み出すだけのクリーチャーです。

 「作者が命を賭して生み出したもの」でもあり、「不要な脂」でもあり、「未来永劫変わらない」ものであり、「ファッションの材料」であり、「歴史を変える」ものでもある「青い脂」とは何か、というのと考えると、どうしても、「創作とはなにか」ということを考えざるを得ず、そこに向けられている作者の最終的な結論を「あきらめ」とみるか、「軽蔑」とみるか、「願い」とみるかで、だいぶ印象が変わる話だと思うんですよね……。どちらかといえば悲観的であり、最早そこに怒っているという感じに見えますけど……ごく素直に受け取ると……。でもこれは今の私が読んでいる時であって、また何年か後に読み返すと違うかもしれないけれども、それには①と②をまた潜り抜けなければならず、でも避けることはできないこの本の必須要素なので……。

⑧「ロシアとはなにか」を考える楽しみ

 本当に素直に疑問なんですが、ロシアってどうしてこんなにずっと「ロシアとはなにか」っていうのを悩んでいるんです???

 この小説、はっきりいってニーチェなんですけど(最初に引用されてるのなんでかなと思ったら普通にニーチェで最後のあたりで笑ってしまった)、ここでロシア人の哲学者がこないことを、作中でも「ロシアには定義上、哲学はありえません」「現象と実態との間に差異がないからです」とフルシチョフに言わせた後、かわりに「哲学者は空想をする」ということは、やっぱり序盤の「紙に自分の空想を書き込んでいた人間」として表現される作家が哲学者でもあるというか、作者がかくものと哲学者がかくものはロシアでは区別されない、ということを言っているんですよね。

 ではその、ニアリー哲学者としての作家が、クローンとなり、奇形であり、下品な捜索を生み出し、搾りかすを利用される、という未来像は、中国へ極端な憧れを示す若者像が示されることもあって、作者の危機感というか、ロシアという国家への自虐的な予言として読み取ることしか最早できなくないですか…?

 そう思うと、⑦とあんまり区別つかなくなっちゃったんですけど、この本において青い脂は「ロシア・アイデンティティ」とでもいうものであって、最早科学で利用されるしかなかったそれがツァラトゥストラの遺産によって過去に送り込まれて未来を変えようとしても結局は……みたいな話であり、そ、そんなに悲観的になるなよ~!!! とわけもなく励ましてあげたくなるんですけど、これが警鐘なのだとしたら、血と内臓と人糞と匂いのする警鐘、真顔になるしかない……。

 青い脂が寓意するものがロシアそのものだとしても普通に面白いし……ロシア文学とする批評家がいたらしくて普通にその書評読みたいよ…わかる、私もそうかもなって思った…。でも私は「ロシアをロシアたらしめる無形のアイデンティティ」みたいなものかなと思うけどどう思う…?!

おわりに

 つまり、笑っていいのか笑っちゃ駄目なのかわからなくなるような、ぐっちゃぐっちゃの読後感で、面白かったです!!!!!!!
 

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