主観の客観
急に歌いたくなり、カラオケに行こうかと思う。誰か友人を誘おうか。いやそんなことするのは僕のキャラではない。
よし一人で行こう。いや一人で行くのも僕のキャラとはどこか違う。結局イヤホンを付けて部屋の中で熱唱した。
昔から、僕は何かをしようとする度に考える。
「それは僕のキャラでやってもいいのか」
何処からともなく声が聞こえてくる。自分を客観的に見ている自分がいる。「もう一人の自分」とでも言おうか。
周囲の目を気にしているともう一人の自分の目の方が気になってしまっている。気になってしょうがない。
オードリー若林正恭のエッセイを読んだ。次のようなことが書いてあった。
「どうして『外のジャッジ(他人からの評価)』を気にするのか。それが正しいとも限らないのに。気にしすぎると自分のジャッジを蔑ろにしてしまう。」
なるほど。
僕はここで言う「内のジャッジ」を気にしすぎていたのか。
確かにここ5年ほど人の目を気にしなくなってきた。それなのに自分のやりたいことが出来なくなっていた。これは「内のジャッジ」が原因だったのか。
解決するのは簡単だ。「もう一人の自分」とお別れするのだ。
その後の自分が周りにどう思われるかはわからない。賭けのようなものだ。やってみないと分からない。
「やってみないと分からない」
良い言葉だ。