プライド
僕は「プライドが高い」という理由で採用試験に落ちたことがある。自分でも納得し、面白い話のネタが出来たと思っていた。
現に幼いころからの友人には納得された。しかし学生時代から付き合いの続く友人には伝わらなかったようだ。「プライドが無いわけではないが、決して高くはない」というのが理由らしい。
この差は何なのかと自分なりに考えた。
まず、「出会った時期が関係しているだろう」というざっくりとした結論に辿り着いた。確かに一方は記憶にないほど幼い頃からの付き合い。もう一方は16~17歳頃からの付き合い。恐らくこの間に僕自身が「丸くなった」のだろう。
では、そもそも私や周囲にの人間が感じている「プライドの高さ」とは何なのだろう。別に偉そうにしているわけでも、独断で物事を進めているわけでもない。思い当たった具体例の一つが「いじる・いじられる」というものだ。
「君っていじられる側だよね」と言われることが、確かにこれまでの人生では多かった。ただ自分にはそこまでの自覚は無く、でも面倒なので笑ってやり過ごしてきた。だが思い返してみると、この「面倒なので」という感覚が僕の中で大きく、(周囲からすれば)いじられてもその場が円滑に進むような対応をしてきた。でも流石に笑えないようなこと(例えば気にしていることや一般の感覚で言うべきでないことなど)に対しては、毅然と応じてきた。
恐らくこの差が「プライドが高い」と感じるかどうかの差なのであろう。幼い頃、「いじられる側」などの意識を持っていなかったころには「言われて嫌なこと」に怒りを向けてきた。年齢を重ねると、その場のことを考えた対応を取るようになったのだろう。そう考えた。
長々と語ったが、「毒舌」と「失礼」の違いみたいな話だ。
そして、こうして自己分析をしていることも偉そうで、プライドが高く見えてしまうのだろう。