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「夕陽のあと」完成〜島生活13ヶ月経過〜

どうやって自分の気持ちを説明したらいいのか分からない。

「夕陽のあと」がダビングを終え、編集作業を終えた。

思いのままにTwitterには書き込んだが、撮影を終えてから、編集過程にたびたび立会いをさせていただき、映画がモノとして完成するまでの途方もない道のりには舌を巻いた。これほど時間を要することを、次々に作り上げていく映画を生業にしている方達の思考回路や神経が一体どうなっているのかと感じる。


編集の流れとしては、まず、とてつもない準備を要した撮影を終えて、その撮影された映像をシーンの順番どおりに並べて繋いだ映像を"ラッシュ"と呼び、ラッシュをスタッフ複数人で見て、見終えた感想をぶつけ合い、幾度も修正とお披露目を繰り返し映像としての繋ぎが完了する。

映像の編集が終わってからは、グレーディング作業という映像の色の調整がおこなわれる。グレーディングを通じて、映像が色彩鮮やかとなり、その映画の魅力は増していく。その一瞬がどのような映像で切り取られているのか、ビフォーアフターを知ってしまったら映像に釘付けになること請け合い。

そして、音楽が加わり、効果音を加えたり、ノイズを取り除いたりと音響作業が最後におこなわれる。自分は今まで意識して音に集中するような映画の見方をしたことがなかったが、音楽の有無とかではなく、映画は音そのものにとても大きな意味があることを知り、音が映画を表現する瞬間が沢山存在することを知った。

僕も知らない細かな作業がまだまだあるが、大まかに編集過程ではこれほどまでに膨大なプロセスと時間が費やされていく。

言葉にするととてもシンプルだが、2週間朝夜ぶっ続けで撮影された映像は、4ヶ月の編集作業を経て、見違えるほどの輝きを放った。
子育ての経験などないが、まるで子育てのように感じる。


企画が始まったときが産声をあげた瞬間。

台本の打ち合わせで物語が洗練されていくときが、幼稚園や保育園。

出演者、スタッフ、撮影場所、期間、予算などが決まる準備段階が小学校。

現場に一同に集まり、怒涛の勢いで撮影をおこなっていく瞬間が中学校。

細かく、丁寧に物語を磨き上げていく編集作業が高校。

練り上げられた宣伝、PR、パブリシティで世に飛び立つ寸前が大学。


そうしてようやく映画は社会へと飛び立っていく。

今日「夕陽のあと」は高校を卒業した。

あんなに小さかった子どもが、これからどんな姿になっていくのだろうと、親心のような気持ちかどうか分からないが、形容する言葉が見つからない感情を抱いている。「立派に育ってくれてありがとう」そんな気分。

越川監督、プロデューサー橋本さん、音響の菊地さん、黄さん、音楽の宇波さん、そして僕とでスタジオにて、菊地さんが「終わりです」といった瞬間があまりにアッサリとしていて、いま思い返すとなんか笑えてくる。でも素晴らしいとしか思わなかったんだよな。本当に良かった。

編集を終えて、越川監督と帰る道中「あの時あーだったね、こーだったね」と話した数々が格別の時間だった。


「映画がモノとして完成」と前述したが、映画は観客と一緒になって初めて完成するものだと思っている。

自分自身たった1度の制作経験だし、見てきた映画の数も多い方に比べればたいした数ではないが、「夕陽のあと」を見ていただいた方が、見終えたあとに何を感じるか、何を想うか、何に気づくか、その見ていただいた方と「夕陽のあと」の会話が映画の最後の仕上げだと思う。

映画の最後の仕上げまで、まだまだこれから。

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