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カレー女

 ある日、村上と名乗る女子高生からこんなダイレクトメールが来た。

 村上さんが通うT学園は、戦後間もなく設立された高校で、女子高と男子校が併設されている。お母様も同校の卒業生だということで、いろいろな思い出話を聞かせてくれたそうだが、そのエピソードの中に気になるものがあったという。それが「カレー女」という怪異の存在だ。

 T学園に在籍する恋愛中の女子学生は、その恋愛に終幕が近づくと体からカレーの匂いが漂い始め、お風呂でどれだけ丁寧に体を洗ったとしても、その匂いは失恋するまで消えることがなかったという。お母様の在学中にもカレーの匂いを漂わせた同級生がいたそうで、その女子生徒は体から匂いが消えた数日後に、学校の屋上から身を投げてその短い生涯を終えてしまったそうだ。

 村上さんは最初こそ、古い学校によくある怪談だと鼻で笑っていたそうだが、2年生になったある日、思いがけない出来事がきっかけでその話を思い出すことになったそうだ。隣接する男子校に通う渋谷君という男子生徒と恋愛関係になったのである。渋谷君と付き合い始めてしばらく経ったある日、丸山というクラスメイトの女子生徒がにやけ顔で近寄ってきて、学校の怪談でよく聞くあの言葉をかけてきたという。そう、「ねぇ、知ってる?」というあれである。

 ある日、村上さんは目を疑うような出来事を目にしてしまう。体育の授業中、タオルを忘れたことに気が付いた彼女がロッカー室へ戻ると、何者かがロッカーを漁っている。「誰!?」と入口越しに声をかけると、その何者かはロッカーの戸を激しく締め付けるなり、村上さん目掛けて突進してきたのだ。急なことに面食らってしまった村上さんは、その体当たりを真正面から受けてしまい倒れ込んでしまった。走り去るその人物の横顔に村上さんは見覚えがあった。間違いなくそれはクラスメイトの丸山だったと村上さんは言う。丸山が漁っていたロッカーに近づくと、馴染みのある匂いが村上さんの鼻を突いた。それは小さい頃から嗅いできた、自宅近くのカレーせんべい工場から漂ってくるカレー粉の匂いだった。案の定、鞄の中はカレー粉まみれだった。村上さんはカレーの匂いに包まれながら、丸山が恋愛に憧れていたこと、彼女の実家が例の製菓会社を営んでいることを思い出して、全てのことに納得したという。

 その出来事から1ヵ月ほどが経った頃、村上さんは再び、体育の授業中にタオルをロッカー室に忘れたことに気が付いた。丸山のことを思い出すとロッカー室に向かうことが憚られたが、それでもロッカー室へと向かうことにした。頬を舐めるように流れてくる汗が、その日に限ってどうにも気分悪く感じられたからだそうだ。廊下に差し込む夕日がロッカー室の入口だけを照らしていないことに違和感を覚えながら入口の戸を開けると、村上さんのロッカー前に佇む不審な人影が飛び込んできた。

「丸山…さん…?」

 村上さんはそう呼びかけたが、その人影はロッカーの戸を静かに閉めるとゆっくりと首だけをこちらに向けてこう言った。

「私は、中等部の横山。最近、ロッカー室で盗難が頻発しているという報告があったから見回りをしているところなの」

 人影の正体が丸山ではなかったことに安堵した村上さんは「そうなんですね」とだけ言うと、自分のロッカーへと向かった。“この先生は私のロッカーで何をしていたのだろう?”という疑念を拭い去ることはできなかったと村上さんは言うが、それよりも、できるだけ早くその場を去りたい気持ちでいっぱいだったという。村上さんがロッカー前に近づくと、その横山という教師は一歩後ろへと下がり、村上さんの様子を後ろで眺めていた…と村上さんは思っていたそうだが、タオルを取り出して振り返ってみると、そこには誰もいなかった。鞄の底には以前と同じようにカレー粉が敷き詰められていた。

 帰宅後、その日の出来事を母親に報告した村上さんは2度驚くことになる。まず、T学園に中等部はまだ存在していなかった。入学当初、隣接する男子校に中等部が開設される計画を耳にしていたため、その中等部は既に開校されたものだと思い込んでいたそうだ。つまり、中等部の横山という教員が存在しているはずがなかったのである。翌日、学園の職員リストを確認してみたが、確かに横山という名の職員は存在していなかった。さらに、お母様の話によれば、失意の果てに自らの命を絶った女子学生が、具体的に誰かということはわかっておらず、一説には、当時は存在していた女子中等部の女性教諭だったという噂もあったというのである。

 バッグに染み付いたカレーの匂いが消えるまでに1ヵ月ほどかかったというが、匂いが消えた数日後、村上さんは渋谷君から別れを告げられたそうだ。

 ダイレクトメールを読み終えた頃、火にかけていたカレー鍋の蓋がカタカタと私を急かしたのだった。

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