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くじら売買

 小さい頃、僕の住んでいた地域には「くじら売り」という職業が確かに存在していた。芳しい潮風が日夜を問わず家屋やアスファルトを撫で回るあの町だからこそ成り立っていた職、などとと立派に飾りたい所だけれど、実際にはその程度の労働でおのれを養っていける手筈も無く、時間と暇を持て余してはいるもののガツガツと居酒屋バイトに取り組む気にもなれない、ある程度社会に出てこの世の実情を知ったので気概もくそも捨ててしまいました、なんて勝手に絶望した顔をしている大学生などの、片手間の小遣い稼ぎである、というのが話のオチだった。
 くじらの町、白石。特段誇れるような海産物も、目を惹くような美しい浜辺も存在しない。シーグラスで越した視界のようにぼやけて色彩を欠いている。
 そんなぱっとしない白石のどこが気に入ったのかは知らないが、何故だか例年、季節を問わず沢山のくじらが海にやってきていた。大きなくじらに子供のくじら、しぼんた風船みたいなよぼよぼのくじら等、とにかくその数は計り知れず、さした合図も無しに突然集合しては、巨体に似使わない繊細な声色でなにか崇高なことを囁き合ったりしていた。
 そんなくじら達の動向を観察しては出現する場所を予測し、近場の場合は徒歩で、そこそこする距離の場合にはレンタル自転車で案内する、というのがくじら売りの専らの仕事内容である。他所ではホエールウォッチングと呼ばれることが多いだろう。客に対してやっていることはあまり変わらないが、実際そのくじら売りという言葉がかつての白石町で使われていたことは明白な事実だし、何よりその質素で間が抜けた語感と、仰々しく横文字を名乗るにはどこか決定的なところで遅れを取ってしまっている哀しみ、そもそもくじら自体を売っている訳ではないという根本的な履き違いの可笑しさも含めて、幼少期の僕はすべてを愛おしく感じていたように思う(あまり賢い子供ではなかったのでこのように詳細に言語化されたものを愛していた訳ではなく、前述した全部の雰囲気を混ぜこぜにしたものを直接肌で受け取り、そのまるごとが大好きだった)。
 くじら代は一回五百円だった。係のひとの拘束時間は大体三十分に満たないぐらいで、しわくちゃになったマニュアル本(恐らくくじら達の時間や季節ごとの出現場所が書かれていたもの)を眺めながら店から移動し、対象を一匹でも発見するとテンプレートに沿った機械的な解説が始まって、しばらくするとピピピとタイマーが鳴って、終わる。はいさようなら、私の仕事はこれでおしまいです。さっさとお家に帰ってね、とまで言われているような感覚に陥るほどの、淡白であっけない現地解散。
 僕はそれが大好きだった。その丁度いい距離感ときたら、ウットリ心酔してしまう程だった。母に抱擁されるよりも心地良いと感じ、身の回りの大人から小銭をせびっては、くじら売りに渡しに赴いた。我ながら変な子供だったと思う。どことなく処方箋薬局を思い起こさせる、古い建物を改造して作られた簡素な店舗は、一日中潮風に当てられているせいか端から端までの要素が歯ブラシで擦られたように燻んでいて、しかし夕陽に照らされた時などは、印象派の絵画のように際限無く色付いた。

 曜日ごとのくじら売りの店員にはある程度の規則性があって、僕は水曜日のタジマさんがお気に入りだった。タジマ、と大きくマジックペンで書かれた名札を、ゴワゴワで茶色がかった髪が少しだけかかっている肩にぶら下げていて、目元は力なく眠たげな二重、最初こそハツラツな態度で面白おかしくクジラの紹介をしてみせたものの、途中から相手をしているのはただの子供だと気付いたらしく、数回目には心地よさを感じる程度の距離になっていた。様々な店員達の中で、タジマさんは一番適当だった。
 僕のことを「ボクくん」と呼んで、大学生にしてはくたびれた低い声を持ち、マニュアルを大幅に端折った解説を終えた後は、だんまりと膝を抱えて僕と一緒にクジラを眺めていた。
 タジマさんはやはりと言うべきか大学生で、下手くそな標準語でぎこちなく話すところを見た限り、進学するにあたって関東のほうに登ってきた人らしかった。何の会話の流れで得た情報かは今ではさっぱり思い出すことも出来ないが、近辺の大学のケーザイガクブ(当時の僕は単語の意味を理解できず、後になってそれが経済学部だと知った)に通う学生らしいことを知っていた。タジマさんの言った「ケーザイガクブ」には痛々しいほどに孤独の感情がこもっていて、どんなに寂れた場所なんだろう、と内心で心配したことも記憶している。

 夏休みも終わりかけの頃だったと思う。僕はいつものように五百円玉を握りしめて、くじら売りの場所に向かっていた。あちこちではひぐらしがカナカナと悲痛に鳴いていて、脳髄の芯に染み付くくらい聞いたその声は最早鬱陶しくも感じなくなっていた。夕方だというのにじめりと漂う熱された湿度は額にこびりついて離れず、シャツの片袖を引っ張って荒っぽく拭うと、余計に体内から汗が吹き出た気がして嫌だった。
 中を覗くとタジマさんだけが無表情でカウンターに座っていた。僕を見るなり「おぉ」とも「あぁ」とも、どちらとも取れるような声をあげて、それから扉の鍵を手探りで探し、曖昧な言葉でそこで待っているように伝えた。
 浜辺の横の、小さい石を散りばめて作ったような風体の高くて四角い垣、そこをタジマさんの先導で歩く。いつもは胸焼けするほどに青い海はその色を暗く濃いものに変えつつあり、熱されたガラスのような夕陽が愚直に反射していて、その周囲だけは朝焼けのように明るかった。陸から海へと流れる風が体温を奪って去る。今日は随分歩くな、と思った。いつもなら十分程度で着くのに、かれこれ三十分は歩いている。ピピピピッ、と終わりのタイマーが鳴った。それでも目の前のタジマさんは止まる素ぶりも見せず、ずんずんと前方に進み続けた。

「あの」

 僕はたまらず声をあげた。まだ着かないんですか、そう意味を込めたつもりの勇気ある「あの」だったのに、タジマさんは後ろ姿で「んー」と適当な相槌を返したきり、何も言葉を発さなかった。
 やがて海岸の端っこに着いて、それでも彼は何も言わないどころか、とうとう諦めたように石垣へとどっかり腰をおろした。当惑しつつもそれに追随すると、タジマさんは小さな声でただ一言、寄り添うように

「くじら、いなくなっちゃったみたい。ごめんね、ボクくん」

と言った。
 僕はあまりの衝撃で動けなかったので、しばらくなにもせず、寄せては返す波を目で追って、小さな潮騒に耳を傾けた。お兄さんも同じようにして、じっと座り込んでいた。
 確かにくじらの鳴き声はどこにも無くて、そしてその代わりに、くじらはもうずっと白石町に来ないのだと確信してしまうほどの静けさと、終わりを強調するヒグラシの鳴き声だけが響いていた。
 固く握りしめていた五百円玉は、僕の汗と体温をすっかり奪っている。タジマさんが申し訳なさそうに買ってくれたパピコを食べながら帰ったけれど、もう全然暑くなんてなかったので、悲しくて悲しくてたまらなくなり、家路で声をあげ泣いてしまった。

 その日を境にくじら売りは忽然と、概念ごと姿を消した。あれから時間は経って中学と高校を卒業し、進路に迷ってそれとなく追うように経済学部に進学したけど、タジマさんにもくじらにも会うことはなかった。
 頭の中で何度も反芻した彼の名前は、あの時に見たくじら屋の店舗のように燻んでいる。しかしふと涙を流したとき、その匂いと潮風との微かな類似性を鼻腔が捉えたとき、やはりタジマさんは僕の中で申し訳なさそうに笑いながら夕陽に照らされ、僕の涙腺は更に脆く、そして緩やかに決壊する。真の安心感に身を任せられるのは、人生でその時だけだ。

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