無題
牛丼屋の室外機が苦手だ。それから絶えず放出される塩と肉と油の香り、生温い温度を感じるたびに、あの日のことをどうしようもなく思い出すからだ。某月某日、千葉の平凡なニュータウンでのことだった。なんの不条理についての説明もなしに、後にプレデターと呼ばれる、どの種類にも属さない生き物が大量発生し、そこの住民の大半を食い殺す、という事件が起きた。
プレデターは蚊が突然変異したものだという意見もあれば、いやあれは豚と人間が何がしの陰謀によって交配されたものだという意見もあった…もっとも、この頃の民衆のあいだで一番有力視されているのは「人々の不義理や無責任さが生物の形とエネルギーとに変換されて顕現した、上位存在から人間へと与えられた罰そのものである」という説であり、彼らが出現して以降、科学者というものはまとめてペテン師へと成り下がってしまっていた。
僕はまさに事件が起きた場所に住む学生だった。ベッドタウン特有のものなのだろうか、ちいき一丸となって子育てをしましょうね、という謎の雰囲気が充満する中で、まだ中学生の僕は当事者意識のいまいち足りないまま、三人くらいの小学生を引き連れて登校していた。ゴゴゴという音が鳴り響いた。寝不足由来の耳鳴りかと思ったが、その瞬間住宅街はプレデターの爪で上半分と下半分に引き裂かれ、人々は、ふりかけのように、パラパラと死んでいった。辺りの匂いをよく覚えている。
人間の脳というのは不思議なもので、自分を守るためにショッキングな記憶をすっかり忘れ去ることができる。事実、僕はこれ以外の当時のことを、あまり覚えていない。社会も同じように、このことをないものとしているようだった…普段はなんともないようにしているが、少しでもプレデターたちを想起するような話題が出ると、または牛丼屋に設置された室外機の横を通り過ぎると、人々は攻撃的なまでにヒステリックな姿勢をとって、陰謀めいた悲鳴をあげるのだった。そんな中で、科学者たちだけが、恨めしそうな視線で、虎視眈々とプレデターを睨みつけ、元の正気な地球を取り戻そうとしていたのだった。