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青春は棺桶から出てきた

私はヴィジュアル系が好きだ。

幼少期からXを聴き、小学生の頃にシドやNoGoDにハマり、高校の頃SadieやDADAROMAに通った。中学生の時はメタルにも並行してハマった(別記事で書く予定)。
そこから90年代からドマイナーの若手まで色々漁った。
気がつけばV系は自分を構成する一部となっていた。

その中でも最も青春だったと言えるバンドがいる。
MORRIGANという仙台のバンドだ。

1番好きなアー写

MORRIGANは悪魔をテーマにした4人組V系バンドだ。
圧倒的ビジュアルを誇り、デザインにも長けたボーカルのARYU。

1番好きなありゅう


ツインテールの妖精である天才的コンポーザーギタリストPITTY。

1番好きなぴてぃ


地獄出身の堕天使である技術力が高く音作りも最高なベーシストKULOE。

1番好きなくろえ


ストイックで技術を磨くことを惜しまず、顔面が強すぎるドラマーSETSUNA。

1番好きなせつな


この4人で構成されていた。
とにかくビジュアルのレベルが高い。世界観がしっかり確立されたバンドだった。

私が特に入れ込んていたのは、ベースのKULOEさんだ。
元々ベースという楽器が大好きなのもあり、KULOEさんの音作りからフレーズがかなり好みだった。かつ長い黒髪に黒い片翼を生やしたビジュアルも大好きだった。
何よりその人柄が魅力的だった。

だった、と過去形なのは、5年前に解散したからだ。
MORRIGANの喪失は私には青春の喪失と同等だった。



出会い


MORRIGANに出会ったのは、高校2年生の時。DADAROMAの池袋EDGE主催だ。
確かJILUKAが被っていたので観に行ったんだったと思う。
私は池袋EDGEの、2列目の下手の壁にくっついてライブを観るのが好きだった。
その日も一頻りJILUKAでおおはしゃぎした後、下手の壁側に寄っかかりながらトリであるDADAROMAを待っていた。

ドマイナー界隈は、何となく出順がわかるようになってる。それは、仕切りという不思議な存在のお陰な場合もあれば、仕切りがいなくても、不思議なパワーで最前交渉などが行われ、ちゃんと次のバンドのギャになったりするからである。
私はこういう些細な文化が何となく好きだった。
以前、誤算か何かのバンギャの動画がバズり、パンピ(死語では?)から「軍隊みたいwww」などというコメントが付いていたが、バンギャは軍隊だ。
盤という国を愛し、強くする為に世界中を飛び回る軍だ。

と私は思っている。(尤も、私は弱小バンギャルだったが)

話が逸れたが、そういう訳で何やら次はMORRIGANというバンドらしいということが、何となく周囲の動きで分かった。
なんか前にフリーペーパーで見たことある。確かツインテールの妖精がいるところだ。ツインテールの妖精ってなんだよ、って思ったからなんかすごく覚えてる。

暗くなって、幕が開いて、登場SEがかかる。ギャたちが大きく手拍子する。
この瞬間が大好きだ。対盤は、その回数が多い分意外とお得かもしれない。
上手にはクマのぬいぐるみが置いてある。妖精さんだからクマさんとか好きなのかな。
そんでもって目の前の下手では黒地に赤い十字架の入った棺桶が置かれていた。
面白いセットだな、とその時は思っていた。

ドラムの人が入場する。彼のギャたちがデスボイスや咲き声でメンバーコールをする。この人顔綺麗だな、そんでここのギャさんたちめっちゃ気合い入ってて楽しそうだ。
なんて考えていた、その時。

目の前の棺桶が開いて、真っ黒い人が手を前に組んで現れた。

そっから出てくんの?!?!?!

爆笑した。対盤で爆笑したのは初めてだった。
そこから出てきたってことは、音出しの後そこに入って順番待ってたってことよね?
面白すぎる。しかもなんか黒い羽根生えてるよ。網タイツだし。

もうとにかくその登場とビジュアルに全部持ってかれて、それ以降のメンバーの登場シーンが全く記憶にない。全部吹き飛んでしまった。

背が高くてビジュアルの強いボーカルの煽りと共に、ライブが始まる。

セトリとか全然覚えてない。覚えてないけど、ギャさんたちの熱気、そこから生まれる熱気の渦と、ただただベースがすごかったのは覚えている。
棺桶から出てきたその人は、とても低い位置でベースを構えていた。ピックで爪弾かれるそこから発せられるフレーズはどれもセンスに溢れていて。

かっこよかった。とにかく。美しくて。

吸い込まれるようにその人を見ていた。ちょっと見下すような目つきも、揺れる黒い羽根も、フレーズに集中している時の横顔も。

ライブ自体も信じられないほど楽しかった。ギャさんたちの楽しい!という気持ちが会場を巻き込んでいた。

気づけば次のMORRIGAN主催のチケットを取っていた。


初めて主催に行く

そこからの日々は毎日頭の中がMORRIGANでいっぱいだった。
友達にも棺桶から出てくる人の話をずっとしていたし、プリントの隙間にメンバーの絵を描いていたし、主催が待ち遠しかった。低時給でそこそこしんどいスーパーのバイトも、MORRIGANのことを考えたら死に物狂いで頑張れた。

あの熱気と棺桶の人が忘れられなかった。

そして待ちに待った主催の日、気になっていたFixerやDADAROMAの対盤などでちょっと観ていたグリモアなど、安心感のあるメンツを楽しく見届けた。

そしてトリのMORRIGAN。棺桶から登場するKULOEさんの姿を見て、私のテンションボルテージは最高潮になった。前回ノれなかった分を取り返すように、全力で暴れ、名前を叫んだ。
MORRIGANのライブはとにかく体力がいる。ヘドバンぶっ通しやジャンプぶっ通しは勿論、逆ダイ曲もある。
美術部でスポーツとは無縁、ただSadieなどの暴れ系のV系のライブで鍛えてきて少し体力に自信があった私でも、終演の頃には汗だくだった。

KULOEさんのチェキが欲しくなった私は、ひっそりと物販に並んだ。チェキは1枚500円。引けるかな、なんてドキドキしながら物販を覗き込む。
すると、5000円以上の購入で好きなメンバーとツーショットが撮れるという。

5000円か…バイト1週間分くらいだな…

チェキ10枚買えばいい話だ!タオルも欲しかったしちょうどいいや!
チェキも買えて写真も撮れるなんてお得だな!

悲しいことに、バンギャルという生き物は、例え弱小だとしても金銭感覚がイカれているのが常だった。

手元の10枚のチェキは、半分くらいKULOEさんだった。今考えるとこの時が1番引きが良かった。ビギナーズラックと新規ハイのダブルパンチで最高の気分だった。
ほくほくの気持ちでツーショット券を手に入れた私は、KULOEさんに話すことを一生懸命考えていた。初めて主催にきた、ライブ楽しかった、あなたのベースが大好き、あなたのことが大好き、次のワンマンも行きます、応援してます………
伝えたいことが沢山あった。

撮影は、撮りたいメンバーの時に列を作る方式だった。最初はSETSUNAさんの名が呼ばれ、ぞろぞろとお姉さんたちがホールを先頭に列を作っていた。
緊張してきた。
今まで行ってきたバンドは出演後に撮影会は無かった。インストアイベントなどでツーショット撮影には慣れているけど、ライブの後にすぐ会って話すことなんて殆どない。あーみんなお化粧直してる。かわいいなぁ。というかかわいい人ばっかりだ。なんか恥ずかしくなってきた…
そんなことを考えていたら、

「次ー!KULOEさんの方ー!」

よ、呼ばれた。いそいそと列に並ぶ。
田舎に住んでいるので帰りを急いでいたからか、列の先頭になってしまった。
メンバーの声がする、あー無理、緊張する、よりにもよって先頭だ。作法がわからないのに。
床を見つめながらそんなことを考えていると、どうぞー、というスタッフさんの声がした。

ドキドキしながら顔をあげ、お願いします!と声を上げる。

「よろしくねー、来てくれてありがとね。」

SETSUNAさんがチェキカメラを持って立っていた。

えっっっ!!!!SETSUNAさんが撮るの?!?!

びっくりして立ちすくんでいると、奥の方で「ありがとね」と声がした。
KULOEさんが椅子に腰掛けている。
それの何と絵になること!

はじめまして、、とか細い声で言いながら、失礼します、と腰をかける。

「来てくれて、ありがとう。初めて…なんだね。」

何だかすごく独特な間のある話し方だ。あと意外と目が合わない。
この人も人見知りなのかな…なんて考えてると、SETSUNAさんが、
「ポーズどうするー?」ときいてきた。
ポーズ?!
ポーズ指定ってやつ?!

ポーズ指定ありの撮影会は初めてだった。
というかありだったのかもしれないけど、全く指定とかしたことない。
テンパった私は慌てて言った。

「強そうなポーズでお願いします!」

強そうなポーズって何?

KULOEさんも強そう?強そうなポーズ?ってあたふたしてる。
そりゃそうだ。私も強そうなポーズなんて知らない。
SETSUNAさんめっちゃ笑ってる。
終わった。早く次のギャさんたちと楽しくお話しして私のことは忘れてくれ…

そんなことを思ったが、KULOEさんはこうだな、といってかっこよく構えてくれた。

何故かチャリできたポーズをする私


強そ〜〜〜

SETSUNAさんは笑い続けている。
撮ったチェキを渡されたながら、KULOEさんに伝えられるだけのことは伝えた。
ライブ楽しかった、KULOEさんのベースが好き、ワンマン楽しみにしてる、またきます。
必死になって話す私を見てKULOEさんは頷きながら、待ってるよ、と言ってくれた。

これが私がKULOEさんと初めて話した日だ。
口数の少ない人だなぁ、と思った。
ただ人見知りで話すのが苦手なのだということは後で知ったのだった。


KULOEさんと絵

ところで、当時はファンメールというものが公式サイトにあった。TwitterなどのSNSとは別に、メンバーに直接メールを送れるシステムだ。

コミュ障の私は、インターネットでのコミュニケーションだけは得意だった。撮影などで話しきらないことや冷静になってから感想を組み立てるのにちょうど良かった。Twitterだとリプライが周りに見えてしまうのも恥ずかしかったし。
だからよく、ライブの感想を送っていた。

そして、私は絵を描くのが好きだった。
特にKULOEさんは描き甲斐のあるメイクをしていたし、とにかく学生時代はKULOEさんを描きまくった。
そしてそれをファンメールに添付していた。
純粋に見てみて!描いたよ!っていう気持ちだった。

主催の次の日くらいか。Twitterを覗くと、
主催終わりにファンメールで送った絵が、KULOEさんのTwitterに載っている。
文面は堕天使の言葉だからわからないけど、迷惑ではなかったようだ。

それが当時高校生だった私にはとてもとても嬉しかった。
言葉で伝えきれなかったことを、絵で届けられたような錯覚だった。

そこから、私はとにかく描いた。ライブの度にその時の衣装や自撮りをモデルに絵を描いて、終わると感想のファンメールと共に絵を送った。

KULOEさんはいつもファンメールで絵を送るとTwitterに載せてくれた。ファンメールに添付した絵の載せ漏れはない(色紙で現物を送った時や、手紙に書いた時くらいだ)。
撮影の時は、いつも絵の話をしてくれた。
本人が嬉しかったかどうか、今はわからない。ただ、私は喜んでもらえる(例えそれが営業用のポーズでも)ことが嬉しかった。

どんどん描いた。様々な画材を試した。どんどん画力が上がるのが分かった。
私の絵はKULOEさんで出来ていると言っても過言ではなくなった。

KULOEさんは、会うといつも絵の話を嬉しそうにしてくれた。
口数の少ないKULOEさんと、コミュ障の私の話題の種はいつも絵だった。



通いだった日々、変わった日

主催が終わってから、それなりにライブに通うようになった。
全部書くと一生終わらないので、ダイジェストでお送りする。

首都圏在住だったので、関東のライブは学生なりに行けるだけ行った。
KULOEさんともだんだん緊張せずに話せるようになった。
常連のギャさんたちともお話するようになった。
今でも遊ぶような付き合いの長い素敵な友達もできた。
無料ライブには高校の友達も連れて行ったりした。
途中から高校の友達がPITTYさんのファンになり、一緒にライブへ行ったりした。
クラスメイトにヴィジュアル系の人と認識され始めた。
私の誕生日には友達が何故かKULOEさんのお面を作ってきてくれた。

眼鏡率の高いクロエ軍団


KULOEさんの誕生日にはケーキを買ったりした。

キモ・オタク

受験期は少しお休みして勉強に取り組んだが、何だかんだ絵は描いていたし、MORRIGANへの熱も冷めなかった。
無事大学生になり、時間を捻出しやすくなってからは、初めて遠征にも行った。
常連さんが出すお花に飾る用の絵を描いたりした。
KULOEさんが銀髪になった時は友達に泣きついた。(黒髪が好きだったので)

全てのライブには行けなかったけど、MORRIGANのライブに行く日々は楽しかった。
紛れもなく青春だった。

KULOEさんの決めゼリフは「棺桶にぶち込むぞ」と「デスビーム!」だった。
ハロウィンのイベントは何故かカイジとかフリーザ様とか、あとツタンカーメンみたいな格好もしてた。ネタ枠だった。
バンド内でのKULOEさんはお笑いキャラで、よくARYUさんから無茶振りをされては困っていた。
可哀想なキャラだったけど、そういうところもなんか好きだった。人柄が良く、自分のファンでない人にもしっかり対応する。自分のファンにも過度な接触はしない人だった。でも記憶力は良くて、私のことも名前で呼んでくれるようになった。
話すと大人しくて口数が少ないのに、ベースを弾いている姿は本当にかっこよかった。

しかし、バンドの動員が少しずつ増える度、何となく不穏な空気が漂い始めた。
まず常連さんが入れ替わり、仕切りの人が上がった。
KULOEさんは棺桶から出てこなくなった。普通に登場するようになった。私はこれがとにかく寂しかった。あの登場の仕方ほど、世界観に沿っていて堕天使的だと思うものはなかった。
ベースの音もなんだか丸くなってきた。ゴリゴリの音が好きだったから、また寂しくなった。

バンド自体は少しずつ動員が増え、新宿BLAZEでワンマンが決まった。
その時は本当に嬉しかった。

そんなある日、PITTYさんが飛んだ。
湾曲表現とかでなく、本当にTwitterで飛んだ、と記されていた。
友達と、ツインテールの妖精だから飛んでいっちゃったんだね、なんて話した。

MORRIGANは、3人になった。BLAZEワンマンはサポートギターを入れて行われた。
かつてのメンバーのファンが、サポートギターのファンになった。
サポートギターの方がアー写に写るようになった。

いよいよ、私の好きだったMORRIGANじゃなくなってしまった。

そこから、私は少しずつMORRIGANから離れてしまった。
ライブの本数が、少しずつ減っていった。


解散が決まった日と、最後のインストアイベント

ライブの本数が少なくなってきた頃、公式TwitterでKULOEさんと連絡が取れないという情報が目に入った。

この時、多分MORRIGANのギャたちは何となく、終わりを感じていたと思う。

私のように離れる人も少なくなかった。たまに行くワンマンは、だんだん埋まらなくなっていった。ライブハウスのキャパも、だんだん最初の頃に戻っていった。MCの時のKULOEさんが何となくしんどそうな顔をしていた。

限界かな、という空気はなんとなく感じていた。きっと私だけじゃなかったと思う。
友達と、嫌なら無理に戻ってこなくていい、でも区切りはちゃんとつけて欲しいね、なんて話していた。
私は、ずっとステージにいて欲しいという気持ちと、解放されて欲しいという相反する気持ちを抱えていた。

それから数日後、KULOEと連絡が取れたことと、解散の発表がされた。
KULOEさんは、精神的に参っていた、心配かけてごめんなさい。最後までやり切ります。いった旨のツイートをしていた。

やっぱり、という気持ちと裏腹に、何だか実感が湧かなかった。

最後のインストアイベントに行くことにした。
私の大好きな私物サイン会。
いつもクロッキー帳の表紙に絵を描いて、そこにサインをもらっていた。

寄せ書きみたいにサインをもらうのが好きだった

でもKULOEさんと会うのは久々で、何を話したらいいのかわからなかった。

インストアイベントの当日。会場はリトルハーツ新宿。MORRIGANのインストは、仙台出身なのもあってか、リトハで行われることが多かった。
クロッキー帳を胸に抱えて順番を待つ。この日のインストアイベントは、最盛期くらいは人がいた。
私みたいな人が多いんだろうな、と思った。

ファンという生き物は一部を除いて勝手な生き物だ。
勝手に離れて、終わると知ったら悲しんで戻ってくる。
私もその内の1人に過ぎなかった。

罪悪感を抱えつつ、でもしばらく話してないから覚えてないだろうしな、初めましてって感じで行こう!という謎の余裕もあった。

順番が回ってくる。SETSUNAさんと何気なく寂しいです、みたいな話をした。
そして、KULOEさんの番。

「○○ちゃんじゃん、久しぶりじゃ〜ん。」

覚えてるんかい。

しっかり名前まで覚えてるんかい。

泣きそうになった。初めましてのはの字の口してたのに。
何だか自分が情けなくなって、苦笑した。

いつも通り他愛もない話をした。絵の話。髪型の話。その時私もKULOEさんも同じタイミングで赤髪になってたから、お揃いだね。偶然ですね。なんてことも話した。
解散の話はあまりしなかった。寂しいのもあるけど、本当に実感が湧かなかった。

その後、解散の話は他のメンバーとはできた。寂しいという気持ちもいっぱい伝えた。

でも何故か、KULOEさんの時だけできなかった。


最後の日

解散ライブ当日。落ち着かなくて、友達とカラオケに入った。
手紙を書きたかった。メールじゃなくて、今日はちゃんと直筆で伝えたかった。
でも何だか上手く書けなくて、少し短い手紙になってしまった。
絵を描く時間がなくて、手紙の最後に手を振るKULOEさんの絵を描いた。
これで終わりだという実感は、まだなかった。

手紙を書き終わってから、カラオケに入ってるMORRIGANの歌を2人で歌った。これから印税はどこに入るんだろうね、なんて笑っていた。

解散ライブは、奇しくも初めてMORRIGANを観た池袋EDGEで行われた。
待機の為の広場には、見たことないほどの沢山のお花が出ていた。

入場したら、立ち位置も初めて観た2列目の壁際になって、またちょっと笑った。
初めて観た箱で、初めて観た位置で、解散ライブを観る。どんな偶然だよと思った。
池袋EDGEは人で溢れ返り、フロアに入れない人も出た。
パンパンだった。今までのライブが嘘みたいに。

会場が暗くなり、SEが流れる。
ああ、始まる。胸の高鳴りとは別の、胸の痛みが走った。
いつも通り手拍子をする。

幕が開くと、棺桶があった。最近は装飾に徹していた、黒い棺桶。

棺桶が、開いた。

手を前に交差した、赤い髪の堕天使が現れた。

その瞬間、私のボルテージは、最高潮になった。

大好きな曲たちで、大好きなバンギャルたちが暴れている。
暴れた。次の日とかもうどうでもいい。全部使い果たそうと思った。
もう何を話してたとか、あまり覚えてない。必死だった。
グダグダなMC、大好きなベース、振り絞るようなボーカル、熱の入ったドラム、歪むギター、逆ダイ曲で飛び交うクマ。
いつも通りのようで、いつもと違うライブ。

大好きな、大好きだったライブだ。
網膜に焼き付けようと、必死でステージを観た。

一通りセトリを終えると、メンバーそれぞれが、最後の挨拶をする。周囲から嗚咽が聞こえる。
悲しいことに、内容は殆ど覚えていない。
ただKULOEさんが、泣き顔を見るのは好きじゃない、と言っていたことだけ覚えている。
まだ涙は出なかった。

アンコールを終え、記念撮影をした。相も変わらずグダグダで、本当にこれで終わりなんて思えなかった。

メンバーがそれぞれ、はけていく。

目の前のKULOEさんが、手を合わせて深々とお辞儀した。
その瞬間、視界が一気にぼやけた。

ああ、もうKULOEさんには会えないんだ。

ようやく、そう思った。

「ベーシストKULOEはもう観られない」という事実そのものは、ずっと頭の片隅に置いていた。
だけど、心まで納得させることはできなかったのかもしれない。

ステージ袖に去っていく後ろ姿を見送る時には、今まで笑えていたのが嘘みたいに涙が止まらなかった。

撮影には行かなかった。泣いているところを見るのが好きじゃないKULOEさんに、泣き顔を見せずに終われたので、良かったのかもしれない。

2018年9月28日。私の青春が、終わった。


心の片隅の棺桶

5年前に解散したバンドのことを何故今更、と読者の方は思うかもしれない。

未練タラタラなのだ、MORRIGANに対して。

成人し、働いてる今だったらもっと通えたのに。
あの時、がっかりせず離れていなければ。
そんなことを未だに思っている。

あの日々に観た棺桶が心から消えないのだ。

あれから、ARYUさんはソロ活動や新盤を、PITTYさんは名前を変えて楽曲提供などを、SETSUNAさんは別のバンドに加入したりしていたが、
KULOEさんは全く音沙汰がない。
あの堕天使は棺桶で眠ったままだ。

いなくなってしまった彼のチェキは、100枚単位であるが未だに捨てられない。
ベーシストKULOEが存在した証として、大事にしまってある。
その頃の友人と会うと、今もMORRIGANの話をしては楽しかったなぁなどと感傷に浸ってしまう。

この記事は、そんな私の棺桶に仕舞われた青春を、荼毘に付す為に書いたものだ。
書き終える今、ちゃんと灰にできたかと言われれば、全くできていないのだが。

あの日々は、あの棺桶は、私の青春だった。今でも青春かもしれない。

この文章を綺麗に終わらせられない辺り、全く荼毘に付すことができていない。

本当に、頑丈な棺桶だ。

最後に、
9000字近くあるこの未練タラタラな文を、最後まで読んでくれてありがとう。
これを読んでくれたあなたが何を好きかはわからないけど、好きだったものを思い返してみたり、心を整理するキッカケになったら嬉しい。


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