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帰国のご報告

2024年4月にウクライナに帰国することになりました。
2年前の2月中旬から多くの方に私たち家族の安否を心配いただきました。
ご心配をおかけしたにもかかわらず、このようなご報告をすることでいろんなご感想があることは承知しております。

今のウクライナの状況を考えた時、私たちが住むKyivの状況は2年前に比べて明らかに良くなっていますが、国全体で考えた時に日々状況は悪化しています。ウクライナ軍の犠牲者数の詳細は明らかにされていませんが、戦争の長期化に伴い追加動員の必要性が議論されている以上、私たち家族にとって、「娘たちとお父さんが共に過ごす時間」の優先度を無視できなくなっていると感じています。

娘たちの幼稚園のお絵かき帳には「ウクライナでみんなで暮らす様子」の絵が何ページも描かれていました。

2人ともまだ幼いのに「寂しい」というと私を困らせてしまうことを理解していて、寂しさをほとんど口には出さずに我慢をし、再びウクライナでお父さんと一緒に暮らせると信じてずっとその日を楽しみにしています。

避難した時は長女は4歳、次女は2歳。
長女は避難の最中も一言も不満を言わず、その後も積極的に私を助け支えてくれました。
昨年夏の一時帰国の時、寂しさをほとんど口にしなかった長女が大きな声で大泣きしたのを見て、こんな幼い子達に長い間ずいぶん我慢をさせていたんだなと反省しました。

夫は10年前のロシアによるクリミア侵攻の時にストレスから聴力の9割を失っているので、軍に志願はせずに家で仕事をさせてもらっている状況ですが、今後動員が活発になるといつかは覚悟を決めなければならない日が来るのではないかと私たち夫婦に不安が募ります。

日本で友達がたくさんできて笑顔あふれる娘たちを見ていると親として最善の選択肢ってなんだろうと葛藤があります。でも、家族でいっぱい悩んで相談して、一旦ウクライナに戻りまた家族一緒に暮らすことに決めました。

本当ならウクライナが勝利したあと「安全になったウクライナに笑顔で帰国」という前向きなご報告をしたかったのですが、このような状況でのご報告となりますこと、正直なところ悔しいです。

私は娘たちには「自分たちは戦禍の可哀想な子ども」ではなく「自分たちはたくさんの人に愛されている幸せな子ども」と感じながら成長してほしいと思っています。

この2年間、ウクライナ支援活動に可能な限り娘たちを同席させ「こんなにたくさんの人がウクライナを応援してるんだよ」「娘ちゃんたちは日本とウクライナの素敵なところを両方を知っていて2倍幸せだね!」と教えてきました。

応援してくださる皆様のおかげで幼い娘たちは「自分たちは多くの人に守られている」「みんな私たちが大好きなんだ」と強く逞しく、天真爛漫に育っています。

これからも娘たちに多くの愛情を注ぎ、私自身も出来るだけ前向きな姿を娘たちに見せたいと思いますので、これからはKyivの街からウクライナの素敵な文化や現地の一般家庭の生活を皆さまに紹介できればと思います。

最後になりましたが娘たちが少しでも楽しい時間が過ごせるよう、どうかウクライナを今後とも応援いただけますと幸いです。

絵: 次女(4歳)作「ウクライナに帰った後の私」

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