人を傷つけるのにアウトもセーフもあるか【侮辱罪厳罰化】
⚠この記事は法改正に対しての社会の反応に関する手記であり、法改正の是非を論じてはいません。
お久しぶりです。犬です。
病気していました。
まあ今もしてるんですが。
コロナじゃありませんが、
今後治るかはわかりません。
それはさておき。
2022年6月13日、参院本会議で侮辱罪厳罰化の改正刑法が可決、成立しました。
某テレビ番組に出演していた女子プロレスラーの方が、ネット上でのバッシングを苦に自殺された事件が2年前の2020年5月。
侮辱罪の厳罰化などの法改正に関して閣議決定されたのが2022年3月。
今から3ヵ月前の厳罰化報道以降、
ネット上でもさまざまな反応がありました。
その中でこんな疑問の声が散見されました。
「どの程度の言葉が該当しますか」
「○○は誹謗中傷になりますか」
僕は、とても怖いと思いました。
ネット上に限らずですが、
言葉のやりとり、会話はよくキャッチボールに喩えられます。
相手が取りやすい球を投げることと、
相手の球をよく見てきちんと正面で捕らえることがとても大事です。
そして、どれだけ気を付けていても、
時にはあなたの投げた球が相手に当たり、
痛い思いをさせたり、
怪我をさせたりすることもあります。
逆も然りです。
しかし悪意のある人が投げるのは 、
投げ合う前提の球ですらありません。
明らかに相手を傷つけるつもりで、
石を一方的に投げつける人がいます。
これが、暴言や悪口、誹謗中傷です。
さて、この喩えを先程挙げた疑問に当てはめるとこうなります。
「どれくらいの大きさの石なら
投げても法律上許されますか」
冷静に考えてください。
めちゃくちゃ怖くないですか。
大きさ問わず、石なんて人に投げていいわけがありません。
法律上投げていい石のサイズなんてあるわけがありません。
なぜ人に向かって石を投げるのでしょうか。
なぜ人に向かって石を投げたいのでしょうか。
他人に向かって石を投げる権利が、
なぜ自分にあると思うのでしょうか。
それは犯罪だから許されないのでしょうか。
厳罰化されなければ石を投げてもいいのでしょうか。
今までは罰が軽かったから石を投げてもよかったのでしょうか。
厳罰化されなければ石を投げる人が、
厳罰化されることで石を投げなくなる人が、
僕はとても怖いです。
厳罰化されればやめることができるということは
「これくらいの石なら投げても大丈夫だ」
と判断していたということです。
怖いです。
厳罰化されないと石を投げることが我慢できない人達が多い社会なんて、
怖くて泣きそうです。
もちろん「どの程度の言葉が該当しますか」という疑問は
曖昧な基準で法が作られることへの危惧から出る意見だと
そういう主張があることも理解しています。
表現の自由を侵害している、言論弾圧だ、
という声もあります。
しかし、この主張にも違和感があります。
今回の法改正は「侮辱罪の制定」
ではありません。
「侮辱罪の厳罰化」です 。
刑罰の種類が変わっただけです。
つまり、侮辱罪は元々存在しています。
侮辱罪の成立要件は変わっていないはずです。
それなのに、なぜ今になって
「基準が曖昧なのは危険だ」という声が上がるのでしょうか?
厳罰でなければ曖昧な基準の法があってもよいということでしょうか?
基準が曖昧な法律が危険であることには同意です。
そして基準が曖昧だからこそ、
そんな法律の運用は困難で、面倒です。
だからこそ今まで放置されてきて、
沢山の人が傷つけられてきたんだと思います。
それによって、
今のままじゃいけないと多くの人が感じて、
やっと、ようやく、動き出したんだと思います。
実際のところ、法律の詳しい話は僕にはあまりわかりません。
法学部出身ですが、大して真面目に勉強してませんでした。
でも、そんな僕にもわかることがあります。
誹謗中傷しちゃいけないのは、
法律で禁止されているからじゃありません。
人を傷つけちゃいけないのは、
怒られるからじゃありません。
人を傷つける権利なんて
誰も持っていないからです。
傷つけられて当たり前の人なんて
どこにもいないからです。
僕が人に石を投げないのは、
罰されるからじゃありません。
投げたくないからです。
投げたいと思う人の気持ちがわかりません。
投げたいと思う人にはなりたくありません。
そんな人と仲良くなりたくもありません。
僕が怖いのは
厳罰化しないと誹謗中傷が止まない
今の世の中です。
怒られるからやめよう。
なんて考え方は、もうやめませんか。