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ふたりの太郎(『ウホッホ探検隊』と『裸の王様』)

モダンな人生風景

 干刈あがたの作品を、80年代半ばごろ、印象深く読んでいた。当時の自分が、何に印象づけられていたのかと、思い返すと、子供の肉体の実在性ではなかったか。固有の生の運動と切り離しがたい、すぐ目の前にある世界と衝突する、痛みを伴う肉体の発する熱のようなものではなかったか。干刈の代表作のひとつである『ウホッホ探検隊』は、次のように始まる。

 太郎、君は白いスニーカーの紐をキリリと結ぶと、私の方を振り返って言った。
「それじゃ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
 玄関の前の砂利を踏み、路地を遠ざかって行く足音が聞こえなくなった時、私は電話のダイヤルを回した。君のお父さんの声が出た。

『ウホッホ探検隊』

 「太郎」というシンプルで懐かしく清々しい名前。「君」という呼びかけに感受される、背筋の伸びた者同士が交感しあう古き良き時代を呼び起こすような麗らかな響き。「白いスニーカー」の清潔さ。その清潔さに見合った「キリリ」という引き締まった擬音とともになされる靴紐を結ぶ溌剌とした決意のアクション。短い冒頭の一行で干刈は、80年代の主調音であったシニシズムを切り裂くような爽やかな風景を鮮やかに提示してみせたのであった。

 とはいえ、「太郎」という名の少年の前途はなかなか多難で、家を出る彼が向かう先は、妻とは別の女性と恋愛関係に陥り、家族と別の住居に住まう父のところなのであり、少年は中学入学を前にして中学の制服のネクタイの結び方を父に教わろうとして家から出てゆくところだった。だから少年の心は大きな揺れ動きの中にいる。「君たちは寄る辺のない気持ちだったことだろう。不在の父と、父を待つ気持を失った不安定な母との間で」。少年の世界には、薄暗さが確実に忍び込んでいるのであり、早すぎる危機の到来に、精神と肉体は足元を乱され、決定的な崩壊までには至らなくとも、やはりそれなりに重い人生の負荷に苦しんでいる。

 君はひどく怒りっぽくなってきた。玩具を作っている途中、ほんの少しのミスをすると、たちまちメチャメチャに壊す。木材を鋸で挽きながら思うように出来ない時、「なんだよこの木は!なんだよこの鋸は!」大声で叫んで投げ出す。そして拳でガンガンと壁を叩く気持ちの中には、やり場のない焦立ちが出口を求めていたかもしれない。君はだんだん弟を苛めるようになってきた。

『ウホッホ探検隊』

 こうした場面に、当時の私は、鬱陶しさよりも、むしろ、好ましさを感じていた。当時の文化的感性は、真っ当な重さを、徹底的に締め出すように機能していたのだから。誠実に素手で人生に立ち向かおうとしている人間を馬鹿にする風潮があったから。そのような風潮の背景には、やはり、ポスト・モダンと呼ばれる現象やシステムの力が働いていたのだろう。それは、粋で軽やかの美学とされていたが、私にはむしろそのようなものが鬱陶しかった。空虚なスタイリッシュに価値を見出すような諦めの境地には達していなかった。だから、「諦めろ~う。諦めろ~う」というメッセージを発しているような当時の村上春樹の小説が苦手だった。

ポスト・モダンの流儀

 「重いものを軽く書く」というふうに、村上春樹の小説はよく評されていた。核心を横目にふっと通り過ぎるような、粋と言えば粋だし、ずるいと言えばずるいような身のこなし方が村上の生のスタイルを特徴づけている。

 僕たちは彼女のプレイヤーでレコードを聴きながらゆっくりと食事をした。その間、彼女は主に僕の大学と東京での生活について質問した。たいして面白い話ではない。(略)デモやストライキの話だ。そして僕は機動隊員に叩き折られた前歯の跡を見せた。
「復讐したい?」
「まさか。」と僕は言った。
「何故?私があなただったら、そのオマワリをみつけだして金槌で歯を何本か叩き折ってやるわ。」
「僕は僕だし、それにもうみんな終わったことさ。だいいち機動隊なんてみんな同じような顔してるからとてもみつけだせやしないよ。」
「じゃあ、意味なんてないじゃない?」
「意味?」
「歯まで折られた意味よ」
「ないさ。」と僕は言った。

『風の歌を聴け』

 「もうみんな終わったことさ」というニヒリスティックな世界観のもとで、80年代のキラー・フレーズ「意味などないさ」が発せられている。理念という大きな物語は終わったのだから、「より良き世界を構想する」という意味は打ち捨てて、いかに優雅にお洒落にふるまえるかという「粋」ゲームで生を消費しよう、というわけだ。じつにポスト・モダンであるし、新自由主義=むき出しの資本主義的である。理念や倫理のような「崇高さ」の感覚が消え去った世界では、数量的拡大に没頭するという即物的な欲望だけが大手を振って歩く。当時、理念の種のようなものをもう少し擁護し、蒔いておけば、現在の状況はもう少し変わっていたのではないか、と思わずにはいられない。

 あまり、というよりは、ほとんど注目されたことはなかったが、1983年ごろ、雑誌の『広告批評』が「思春期がなくなったってホント?」という意味の特集を組んだことがあった。かつてなら、思春期の時期に、人は悩み苦しみ、その体験を通して、近代的自我のようなものが確立されるというプログラムがあったのだが、今はそのような物語がないようだ、という趣旨のものだったと思う。まあ、これもポスト・モダン現象のひとつで、いわゆる「神経症」が人類の歴史から消え去ってしまったのである。このことに関しては、一部の精神分析医たちが「人類の破滅」にも匹敵するような一大事だと危機感を表明しているが、事が複雑で大きいので、この問題については別の原稿で書くこととして、経済的思考によるポスト・モダンを取り上げたい。

 ポスト・モダンについては現代思想などの方向からよく論議されることがあるが、私自身は、それを最も明確に定義したのは経済学者のケインズだったと思う。『雇用、利子、および貨幣の一般理論』に登場する「美人コンテスト」の話で、投資というのは、「参加者は一〇〇枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に商品が与えられるという趣向のコンテスト」(『雇用、利子、および貨幣の一般理論』)のようなものだというものである。ここでは「最も美しい顔かたち」という「真理」は、もはや、問題とはなっていない。「群集の大勢」という体制にどう同調するかという大衆社会特有のゲームの資質が求められている。

 ドナルド・トランプ登場後、「ポスト・トゥルース(真理)」という言葉を使って、ポスト・モダン論者たちが憂い顔をしながら語っていたが、あまりの欺瞞さに開いた口が塞がらなかった。もはや勝ち目はないのだ。理念にできることは「敗けないこと」。ただこれのみである。

 ところで、「理念」が敗北することに、なんとしても抵抗しようとした、これまた「太郎」という名の少年が登場する小説があった。開高健の「裸の王様」である。

宗教的情熱

 開高健の「裸の王様」は、1957年に『文学界』に発表され、翌年、芥川賞を受賞した。当時は、まだ、「ポスト・モダン」という言葉は一般に流布していなかったが、この作品には、経済的発想が優位に立ち、宗教的な感覚が追い詰められている状況が写し出されている。画塾の教師とその生徒を巡る一種の寓話であり、アート・マインドが懐疑されていないところはポスト・モダンよりはモダンに傾いており、懐かしさを感じさせる。学生時代に読んで印象に残ったこの小説を、私は、1986年に、干刈あがたの作品とともに再読していたが、胸に響くものがあった。悪い意味でのポスト・モダン状況が進行している中で、崇高さや宗教的な感覚が失われてゆくことに焦りを覚えていた私に、「裸の王様」の世界観は生々しいリアリティがあった。

 物語のおよそのあらましはこうである。画塾を営む「ぼく」のもとに「大田太郎」という名の少年がやってくる。「ぼく」の友人で小学校の教師をする山口という男から押しつけられたかたちである。山口は画も描く男で、個展準備のため、担当クラスの生徒でなおかつパトロンの「一人息子」である太郎の面倒を依頼してきたのである。「太郎の父は大田絵具の社長で、母は後妻」であった。小情況としては、商売意欲丸出しで息子に関心を持たない父親と「あの子のお母さんという人がとてもよくできた方でございましてね」と生みの母への遅れの意識から空回りし、かえって子供を委縮させる悪循環に陥っている母親の間で、孤独に立ちつくす幼い肉体がある。大情況としては、ポスト・モダンな「美人コンテスト」よろしく、固有性を持った肉体の思惑を抑圧し、多数派の総意の意向へと個々の固有性を馴致しようとするソフトな管理体制と、それに抗う「ぼく」の苛立ちがある。いうなれば「ぼく」は、「美人コンテスト」の勝利者である投資家には背を向け、反群集的な「個人的な美」にこだわっている。それが「ぼく」に宗教家的風貌を与えている。投資における勝利者には「共感力」が要求されるが、「ぼく」は大勢=体制の思惑を無視し、大勢=体制の外にあるものを希求している。そういう点では彼は反抗者のヒロイズムという、80年代半ばの状況では禁じられていたドラマの演じ手であった。まったく空気を読もうとしないのである。むしろ空気に搦めとられない肉体の価値を率先して擁護してまわり、そのようなメンタリティを受け止めることのできた状況があるか否かが、1958年前後の時代と1980年代の違いであったのであろう。「裸の王様」には1980年代には禁じられていた「肉体の固有性」への渇望がいたるところで述べられている。

 ぼくは赤に太郎の肉体を感じたのだ。環境に抵抗して、いつどの方向へどんな力で走り出すかわからない肉体を、いよいよ彼も回復したのだ。ぼく以外の人間にとってはしみでしかない画用紙をまえにぼくはぽっかりとひらいた傷口を感じた。

 原画にじかに接して、それを描いた子供の肉体を知りたいというぼくの希望はとうていかなえられそうもないのである。

 ぼくは彼があえいでいるのを感じた。また、いよいよ脱皮しかけたなとも思った。抑圧の腫物がかさぶたを全身につけたまま彼はぼくにむかって迫ってきたのだ。こうななると食われてしまうよりほかに道がない。

「裸の王様」

 「ぼく」が求めているのは、周囲の視線から求められているイメージをなぞるような投資家の利益につながる多数派の価値観ではなくて、個人の真芯とつながっている固有の生存感覚を担う肉体である。それは経済的発想とは異なる、アート・マインドであり、強いて言えば、経済原理と異なる宗教的な感覚である。ある時期から私たちの社会は経済的合理性のエクスキューズを入れなければ何かを言ったり、行動することができなくなってしまった。経済的発想に立っていれば心配はないし多数派でいられると。実際、「裸の王様」には経済原理が浸透してくるさまが描かれている。

 アトリエの隅で画の宿題をしている彼らの作品をみると、恐れていた兆候がまざまざとあらわれていた。彼らは先生の話した童話を街に氾濫する像と色でとらえた。子供雑誌や童話本や絵本などにある挿絵をまねて彼らは描き出したのだ。どれほどすぐれていてもそれらの画はおとなの作品だ。

 彼らは公平であるばかりか、正確で、美しくて、良識に富み、よく計算していた。ことごとくそのような画が選ばれているのだ。どの一枚をとってもそのまま絵本の一頁になりそうな、可愛くて、秩序があって、上手で微笑ましい画ばかりであった。

「裸の王様」

 「美人コンテスト」に参加する投資家のふるまいがある。ポスト・モダンの論客ならば、これを俯瞰してメタな位置から批判するだろう。いわゆる「物語批判」というやつだ。相対的には正しい。一方「裸の王様」の語り手は、メタではなくベタな方向で、すなわちロマンティックな叛乱する固有の肉体の側から突破しようとした。現在なら、そうしたふるまいは、差し詰め、中二病と嘲笑われそうである。けれども、私は「ぼく」の思春期のしっぽが切れていない青臭さがたまらなく懐かしい。「裸の王様」はあまり評価されることのない作品であるが、もっと読まれていい作品だと思う。

思春期の音楽

 今回は「思春期」をテーマにした音楽を集めてみることにする。まずは南沙織の「傷つく世代」。南沙織作品の最高峰であり、昭和歌謡の傑作である。だがしかし……。つい最近テレビで昭和歌謡特集を放映していて、観ていたのだが、南沙織の「み」の字すら登場しなかった。デビュー曲の「十七歳」すら登場しなかった。納得がいかない。この一事をもってしても、私は大衆社会の感性を信じていない。昭和歌謡の絶頂は昭和47年にあるというのが、私の持論である。80年代に松田聖子がいた、中森明菜がいた、といっても、あれらの現象は昭和歌謡下り坂の一挿話にすぎない。

 正確に言うと「傷つく世代」は昭和48年の作品である。まあ、昭和47年前後が絶頂ということである。もうひとつの証拠として、これは「思春期」とはちょっとずれてしまうが、昭和46年作品の堺正章の「さらば恋人」を挙げたい。「傷つく世代」も「さらば恋人」も筒美京平の作曲であるが、この時期の筒美は神がかっていた。「さらば恋人」も凄すぎるだろう。

 洋楽からはポール・マッカートニーの「アナザー・デイ」を。この曲を聴くとなぜかノスタルジーがかきむしられる。特にメジャーからマイナーに転調したサビの部分の「so  sad」のところを聴くと、幼少年期の夕暮れの風景を思い浮かべてしまう。

 尾崎亜美の「瞑想」がラジオから流れてきた時は衝撃的だった。この音楽は「Just my type」と思った。私の中で「尾崎亜美天才説」が作られたのはこの曲によってである。中野サンプラザで尾崎亜美のコンサートを聴いたことがあるが、そのステージでもこの曲は歌われた。

 やややさぐれた思春期でREBECCAの「Bottom Line」。じっさいはOLの曲なんだけれど無理やりねじ込む。反80年代的なハードなサウンドが好きだったのだ。

 トリはオフコースの「ワインの匂い」で。この頃のオフコース・メロディは素晴らしい。商売っ気があるようなないような境界線がいいのだ。オフコースの世界は基本的には思春期ではないか。あのそこはかとない揺らぎと小田和正のハイトーン・ヴォイスがザ・少年している。


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