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勉強好きが勉強嫌いに変わるまで(統合失調症当事者が語る)&20241203の日記

「勉強が嫌い」じゃなくて「理解できないことが苦痛」

一つ前の記事を読み直して思ったのですが、私は勉強は嫌いじゃないんだと思います。
今でも何か新しいことを学ぶのは好きですし(と言っても読書程度ですが)今からでも高校の(もしかしたら中学のも)勉強をやり直したいと思っています。

勉強が嫌いと感じるようになったのは、私が学ぼうとしていることを理解できないのが苦痛だったからだと思います。
中学と高校の途中までは、勉強したことはみるみる身につきました。
たとえ理解に時間がかかっても、理解できた時の喜びを知っていたので頑張れました。

統合失調症を発症してからは、とにかく無気力になりました。
生きている意味もわからず死にたいと思う日々。
自殺の仕方の相談を親友にするくらいには追い詰められていました。

統合失調症の名の通り、思考の統合が取れないので何を考えても思考がまとまらない。
そして幻聴がひどく授業が聞き取れない。
ずっと自分が他所事を考えている、集中が切れていると思っていました。

そんな怠惰な自分が許せず、また理解できない勉強に苦痛を感じていました。
自分はなんでこんなに情けない人間なんだろうと、ずっと自分を責め続けていました。

「病気じゃなければ」

それが前回書いたように病気のせいだったとなれば、いくらかは自分を責める気持ちもおさまります。
いくらかはおさまりますが、依然として自分を責める気持ちはあるのです。
それは私が中途半端に完璧主義者だからというのと、病気にならなければもっとできていたという傲慢さから来ています。

「自分は病気じゃなくても、この程度だったよ」とは思えないのです。

病気じゃなければ、もっと勉強できたのに。
病気じゃなければ、もっといい大学にも行けたのに。
病気じゃなければ、大学を卒業できたのに。
病気じゃなければ、就職して働けていたのに。
病気じゃなければ、今頃結婚して子供もいたかもしれないのに。

無数の「病気じゃなければ」が頭をよぎります。
その度に何を恨めばいいのかもわからず、ただ病気になった自分が恨めしく思える。
そうやってじわじわ自分を責め続けています。

病気になっても人生は続く

書き出してみるとスッキリするもので、こんなことを考えていたのだなと改めて思います。
病気じゃなければ、病気じゃなければ。
多分、一生考え続ける事です。

病気じゃなければと思う一方で、病気だからで人生を諦め切れない自分がいるのも事実。
病気でももっとやれるはず、と思っています。
まだまだ、私はこんなものじゃないと、どこかで自分を過大評価しています。

それが過大評価なのかそれとも妥当な自信なのかは、私がこれからの人生で証明していく事だと思っています。

20241203の日記

全体
祖母が母に怒って私がパニックを起こすまでが様式美。
母は以前怒られた時はとても怯えていましたが、今日はケロッとしていました。
なんで私だけパニックになっとんねん。
冬の間の洗濯物を乾かすために、部屋の中に物干しポール設置。
タスクは書き出すだけでも、少しは効果があるのだと実感した今日です。
あとは母の年賀状。
こんな(介護が必要な)状態なので年賀状仕舞いをするのかどうか。
母は年賀状でしか知人の近況が知れないのでやめたくなさそうです。

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